皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

たくさん失敗しよう、恥ずかしさを知ろう

2009-05-01 19:53:18 | 檸檬語

これはパラドックスです。

以前にアングロサクソンと日本人の人生の違い、についてちょっとだけ触れましたが、
下記書物から引用させて頂いています(ワタシが今までに読んだ書物の中でもとても大きな影響をうけた書物です)。

「菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword)」:Ruth Benedict

他の外国人著者の日本人を書したモノの中でも数多く言われていることなのですが、“日本人は子どもに寛容”なのだそうです。

上陸すると、まず例によって税関の検査があります。これはどこの国でも同じようなものです。日本人は厳格ですが、寛大でもあります。最近、外国人はクリスマスの直前に限り玩具は関税を払わずに持ち込んでよいと決めたのは、実に日本人らしいと思います。話が子どものこととなるとどんなに厳しい日本人の心もなごむのです。
(『東京に暮す-1928~1936-』:キャサリン・サムソン著より引用)。

Ruth Benedictが本書を記した1944年の時点の一般的中産階級のアメリカ人家庭では、子どもの頃に好き嫌いなく必要な栄養素を採る事など様々なことをしつけ(圧迫)、自身が成人したときにはじめて自由を獲得する(解放)。やがて身体的に自由が利かなくなると、改めて家族からの束縛を受ける立場に戻る。

一方、当時の日本人は、学校に通う前の子どもにはとにかく寛容(解放)で、成人として社会に出るまでに恥ずかしくないシキタリを学び、シキタリのもとに不自由な状態ですごす。そして老人になると、子ども返りしたかのような態度も許容される自由を再び獲得する。


現代社会において、どちらが良いとか悪いとかはなかなか言える事ではないが、少なくともこの60年の間に一挙にアメリカ型に変革しつつあるのは事実だと思う。
今の団塊の世代程度の年齢の方のことを考えてみると、戦中・戦後の混乱の中、幼少時の自由さを許容して貰えるだけの余裕が社会になかったと思う。
そんな中で日本人的紀律を重んじる社会に溶け込むような大人になることと、アメリカ型自由主義の双方を一緒くたに勉強し、要求される。
ある人はゲバ棒を担いだだろう。ある人はノンポリを通しただろう。それ以前にワタシの父のような家庭に育った男は、小学校を出た時点で丁稚奉公に行っていたりする(うちの父は小学校に入る前から自分の手で家計の一旦を担っていたそうです)。
そうして社会の第一線で働いてこられた方々が、引退した先に待っているのは老人ホーム。
旦那さんの姑さんとのモロモロの末、介護し、疲れて倒れた先の病院で独りぼっち。

ワタシ個人としては、それはちょっとあんまりじゃあないか?と思ったりする。
一方でそういう親の元で育ったロストジェネレーション世代は、結構な確率で家庭内での問題を胸に抱えながら育って来ていたりする(良いとか悪いとかは別、違うモンダイだも別)。

時代の転換期にはこういうケースが往々にして起こる。
社会が、価値観が、本質が、すり替わりの入り乱れなのだから混乱するだろう。
善きモノを見てきたヒトは、良いところを継承するだろう。
悪しきモノを見てきたヒトは、反面教師にするだろう。


ワタシは善き日本人の姿は後の世代にも残しておきたい、と個人的には願う。
ワタシが思う良いところは、日本人が日本人であるところだと思っている。変に外国かぶれすることなく、海外に出ても臆することなく日本人らしさを発揮できることが、日本の文化の継承だと思っている。


ワタシが思うことは、子どもには多くの失敗をして欲しいと思う。
挫折感を味わえ、とか、敗北感を感じろ、とかではない。
失敗しても大丈夫、十分に生きていけるということを知って欲しい。
それには社会が、大人が、子どもに対して寛容であることが求められる。
善き日本人の姿のように。

一方で、羞恥心を感じて欲しい。
他人を辱めて蔑むことを奨励しているのではない。
ヒトはどういう行為をすることが恥ずかしい事なのか、身をもって知って欲しい。
ポイ捨てしてるのをいちいち指摘するなどという社会はバカらしい。
車内や病院内で携帯電話を使っているのを怒るのもバカらしい。
そういうものは、自分にとっての“恥”であることを知って欲しい。
善き日本人の姿のように。


ワタシは、今の社会は、寛容であるところと厳格であるところがずれてきていると思う。ツケは子ども達も払う事になるし、自分自身にも廻ってくると思う。

今の日本社会で学ぶことを望まれるのは、海外の善きモノではなく、自分たちの産まれた国の古き善き文化を学ぶ事だと思う。大人も子どもも。

そうすれば、少なくとも苦労する広汎性発達障害児の数、その親の数は減るだろう。
またメンタルヘルスの概念も変革すると思う。



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