皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

人生は意外とフィクションである - 一個人の脳処理について -

2009-01-09 17:13:04 | 認知の歪み

人生を生きていく中で、様々な壁や、波や、山や谷、分岐路に迂回路、行き止まりや一旦停止、本当にいろいろなことが起こっている。

では、そこで起こっている出来事は本当に現実に起こっているかと問われると、これが意外ときちんとは起こっていないことがよくある。
確かにある場面には出くわしていることは事実なのだが、その時感じた感覚や、考えてとった行動は、その時の自分の脳の状態が創り出した創造物だったりする。

ワタシの場合、三十ウン年生きているが、ワタシの身に起こった出来事を正確に語ろうとしても、どうやら『俺様脳』が勝手な解釈をしていることが多い。
例えば、O157で入院したことがある。
ワタシの中では、なかなか強烈なインパクトを持った体験である。
当時、一人暮らしをしており、会社の先輩と居酒屋で夕食をとっていた。

ユッケを食べたのだが、一人だけクリーンヒット。
食べて30分で体調がおかしくなり、1時間後には青い顔をして家に帰った。
それから意識が戻ったのはその1週間後・・・
ふと目覚めてなお結構な痛みがする。
一応会社に“今日”休みます、と連絡を入れた。
ワタシ的にはスジが通った話ではあるが・・・

1週間会社に来なくても放置されているという、1つの事実があり、
特別気になる存在であるわけでもなく、
もちろん居酒屋のユッケがヒットしたと思っている人はいるはずもなく、

とにかく意識が戻ったので、“マイカー”で病院に行った。
これすら、常識的という枠で捉えると、救急車の出動を要請する場面である。
電話で119とコールすると、消防署につながることは知っている。
でも、今のこの痛みははたして救急車を呼ぶにふさわしい状態なのだろうか???
今までの経験上、特に問題ないのではないか?
実は牛、豚、鳥、馬の生肉で今までヒット経験がある。

そのようなことを考えると、『普通』は救急車を呼ぶのだろうか?

まあ、とにかく病院について、初診の問診票を書いたところで待合室の廊下で倒れた。

次に目が覚めたところはICUだった。
となりでおばあちゃんがウンウン唸っていた。
そうか・・・いよいよお迎えが来たか・・・と思った。

そう思ったはずなのに、ベッドから抜け出して、エレベーター前で脱糞(感覚すらなかった)
足下をみると・・・緑色のなんだかスライムみたいな物質が・・・

まあ、そんなこんな言いながら、結構回復したところで一般病棟に移った。
その頃には病院を抜け出して会社に通っていた。
なんせ病院の隣が勤め先だったから。

そういえば、会社の人にO157でーす。
とは言っていない。

一度、上司、先輩方がお見舞いに来て下さったときは、あろうことか、病室で直腸検査中だった・・・
皆黙って去っていかれた。


何だかんだで2週間ほどで回復し、何事もなかったかのように職場に復帰、ワタシ自身は特に何かを忘れたとか、なんとかあまりない。
まあ痛かったな、くらいは残っているが。

しかし、これが他の人だった場合、同じだろうか?
今同じ状況に置かれたら、同じイメージが繰り返されるだろうか?

仮に同じイメージが繰り返されるようであれば、デジャブ・・・と言うよりは人間として全然成長していないということだろう。

ワタシの過去、現在、はワタシの脳内処理能力の限界を超えていない。
ただ明日は、ワタシの想像を超える可能性がある。

思っているほど現実は、悪くなかったり、楽しかったり、嬉しいことが多かったりする。

教科書に載っていることも、
学校で教わったことも、
新聞に載っていることも、
ニュースで報道していることも、

ノンフィクションだと思っていたもの
全てがフィクションであるとは言わないが、
意外とフィクションがあったりする。

そのフィクションを、自分の色眼鏡で取り込んで、脳内フィルターで処理しているのだから、かなりフィクションだったりする。


同じフィクションなら、面白いフィクションのほうが生きていて楽しいだろう。


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