![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/50/92f1cc7e9763ff6891905ebdc4e62c1b.jpg)
きのうは、日野までお墓参りにいった。今年父が亡くなったので、お盆に引き続いてのお墓参りである。こんな私でも、父が亡くなると、そういうことをマメにするようになるんですね。
お彼岸ということで、彼岸花にまつわる話しを。
1995年の出来事だから、もう9年前のことになる。
その年、杉並区の西宮中学5期生の私たちは、初めて同期会を開こうということになった。私も幹事をして、先生の担当になった。住所がわかる先生に連絡をとり、出欠をお聞きする係りである。
ほぼ30年ぶりに、突然、いろんな先生に手紙を書いた。先生は、返信のはがきに当時の思い出だの、いろいろ書いてくださって、幹事っていうのは、多少やっかいでも、いいこともあるなあと思っていた。
藤沢先生という、国語担当の先生から、突然電話がかかってきたのは、そんな頃だった。「同期会は結婚式があって行けないけど、ぜひ遊びにいらっしゃいよ。」といって下さったのである。先生は埼玉県の高麗に住んでいて、近くには巾着田という彼岸花で有名な所がある。今真っ盛りだから、ぜひにと、強引とも思われるほどの口調で誘われた。
実は、私はどう返事をしたらいいか困ってしまった。中学1年の時、たった一年間教わった藤沢先生は、おそらく私のことを覚えていないだろうと思われたのだ。国語の成績は3で、全く目立たない生徒だった。
それに、口の悪い生徒たちは、陰で「山猿」とか「オールドミス」とかいっていた、その先生である。
でも、せっかくの申し出なので、幹事のTさん、Sさんを誘って一日でかけることにした。
一面彼岸花が咲いていた。あんなにたくさん、いっぺんに見たのは、初めてだった。先生は足が達者で、巾着田から、ご自宅まで、4キロくらい一緒に歩いた。途中で、栗を拾ったり(誰かの家のだと思うのだけど・・)、とても楽しい時間だった。家には、ご主人もいらして、栗ご飯をごちそうになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/11/0e0634fb231868eb6d526728b4d02473.jpg)
それが、藤沢先生に会った最後の時になった。先生は、1998年の6月に交通事故にあい、その年の暮れに亡くなられたのだ。翌年、お墓まいりに行こうと、ご主人に連絡をとろうとしたところ、ご主人も肺ガンで、1999年の年明けすぐに、後を追うように亡くなられたのがわかった。
今になって思うと、あの時藤沢先生は、私に会いたいというよりは、私を通して同期の人たちや、当時の同僚である先生方に、会おうとされたのだ。相変わらず、毒舌家だったけれど、中学生の頃には、あのようにさっぱりとして、自己主張のある、キリッとした人だというのは、わからないものである。あの時、行ってよかったと思う。そして、もちろんその年の同期会では、いろいろな先生や友人に、藤沢先生の写真をお見せして、一緒に彼岸花を見た日の話しをした。
◆anikobeさん「カフェテラス」 あぜ道の彩り
◆「たそがれロ~ド、たそがれ浪漫」の100万本の彼岸花
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ps)どうも新しいテンプレートが見にくいので、まだ元にもどしました。ちょっと色を変えたけど。
お彼岸ということで、彼岸花にまつわる話しを。
1995年の出来事だから、もう9年前のことになる。
その年、杉並区の西宮中学5期生の私たちは、初めて同期会を開こうということになった。私も幹事をして、先生の担当になった。住所がわかる先生に連絡をとり、出欠をお聞きする係りである。
ほぼ30年ぶりに、突然、いろんな先生に手紙を書いた。先生は、返信のはがきに当時の思い出だの、いろいろ書いてくださって、幹事っていうのは、多少やっかいでも、いいこともあるなあと思っていた。
藤沢先生という、国語担当の先生から、突然電話がかかってきたのは、そんな頃だった。「同期会は結婚式があって行けないけど、ぜひ遊びにいらっしゃいよ。」といって下さったのである。先生は埼玉県の高麗に住んでいて、近くには巾着田という彼岸花で有名な所がある。今真っ盛りだから、ぜひにと、強引とも思われるほどの口調で誘われた。
実は、私はどう返事をしたらいいか困ってしまった。中学1年の時、たった一年間教わった藤沢先生は、おそらく私のことを覚えていないだろうと思われたのだ。国語の成績は3で、全く目立たない生徒だった。
それに、口の悪い生徒たちは、陰で「山猿」とか「オールドミス」とかいっていた、その先生である。
でも、せっかくの申し出なので、幹事のTさん、Sさんを誘って一日でかけることにした。
一面彼岸花が咲いていた。あんなにたくさん、いっぺんに見たのは、初めてだった。先生は足が達者で、巾着田から、ご自宅まで、4キロくらい一緒に歩いた。途中で、栗を拾ったり(誰かの家のだと思うのだけど・・)、とても楽しい時間だった。家には、ご主人もいらして、栗ご飯をごちそうになった。
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それが、藤沢先生に会った最後の時になった。先生は、1998年の6月に交通事故にあい、その年の暮れに亡くなられたのだ。翌年、お墓まいりに行こうと、ご主人に連絡をとろうとしたところ、ご主人も肺ガンで、1999年の年明けすぐに、後を追うように亡くなられたのがわかった。
今になって思うと、あの時藤沢先生は、私に会いたいというよりは、私を通して同期の人たちや、当時の同僚である先生方に、会おうとされたのだ。相変わらず、毒舌家だったけれど、中学生の頃には、あのようにさっぱりとして、自己主張のある、キリッとした人だというのは、わからないものである。あの時、行ってよかったと思う。そして、もちろんその年の同期会では、いろいろな先生や友人に、藤沢先生の写真をお見せして、一緒に彼岸花を見た日の話しをした。
◆anikobeさん「カフェテラス」 あぜ道の彩り
◆「たそがれロ~ド、たそがれ浪漫」の100万本の彼岸花
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ps)どうも新しいテンプレートが見にくいので、まだ元にもどしました。ちょっと色を変えたけど。
何年かぶりで会う・・・
何を話そう・・・
何をお互い共有しよう・・・
複雑な思いが交錯します
でも そう言う時は
思い切って会ってみる事に尽きますね
この人 こんな人だったっけ?
こんな事考えてたんだ~
と、当時は思いも付かなかった事が
次から次へと 出現します
時間の成せる業 ですかね~
anikobeさんのカフェテラスから流れてきましたたそがれオヤジといいます。
先日「100万本の彼岸花」というキャッチフレーズにひかれて愛知県半田市の「ごんぎつねの里」へ行って来ました。
巾着田はそれを上回る「日本一の彼岸花」なんですね。
上には上があるものです。
紅連さんの中学の頃の先生との30年ぶりの出会いが、彼岸花にまつわるものであったのですね。
読みすすめていて、胸がジンとしました。
真っ赤に敷き詰めたように咲く彼岸花の華やかさが、やがて来る先生の予期しない永遠の別離を、不思議な力で知らせてくれているような気がしました。
彼岸花の咲くころ、同期の方が、紅連さんと同じように藤沢先生を懐かしんでいらっしゃるかもしれませんね。
綺麗な写真と心温まるいいお話で今日一日が始まること嬉しいです。
ごんぎつねの里のBlog読みました。面になって咲いているというの、よくわかります。
彼岸花って、ぽつりと咲いていると、ちょっとぎょっとするけど、面になって咲いていると、まっかっかのカーペットという感じで、全く趣のちがう花ですよね。
こちらからもトラックバック送りますね。
これからも、よろしく。
あの時は、先生がなぜあんなに強引に会おうとしたのか、不思議だったけれど、その時じゃないと会えないという虫の知らせのようなものがあったのかな、と思ったりしました。
「今やりたいことは今やる」 紅蓮さんに学ばなくちゃ。と思いつつ、腰の重い私です。/hiyo_shock1/}
でも、やはり名所ですね。あのような所は、そこ以外で見たことがないから。
ところで、曼珠沙華の花、子どもの頃絵本の中に見つけて、祖母にねだったら「火事になるから」とかなんとか、ちょっと怖い話をされた記憶があります(^^;すごく綺麗な花なのにと残念でした。
実は、本物の花を見たのはつい最近のことです。先日、野川をウォーキングしたときにも川のほとりや野川公園に曼珠紗華が咲いていました。やっぱり綺麗な花ですよね。
紅蓮さん、わたしも同じ。神秘的なイメージがピッタリくるような気がするのですもの。子供の頃はこの美しさが怖くて、そばにさえ行けなかった。藤沢先生にお会いになられてよかったですね。後でね、なぜあの時にあんなに言っていたのか・・って事がありますよね。この花を見て偲んでさしあげるのがご供養になりますね。いつか自分もこの世とプツンと切れるか、それとも何か思いを残してあの世へいくかしら~~?
やりたい事やって、スッパリ天国へ行きたいで~す!!\(~o~)/