紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

にっぽん山小屋物語

2011-09-08 16:21:37 | 8・山と旅の思い出
先週だったか、民放で「天空の宿へ~にっぽん山小屋物語」というのが放送された。

ところどころ見ただけだけど、思い出深い映像が流れた。

一つが北アルプス・燕岳山頂付近にある燕山荘。
その昔。10日間もテントを担いで、北アルプスの縦走をした時、1泊目がその山小屋の近くのテント場だった。
私たちは、テントを張って泊まったが、近くに見えた立派な山小屋、燕山荘に、いつか泊まってみたいと思った。
そんな優雅な山登りにあこがれた。
けど、それ以後、燕岳に登ったことはなく、その山小屋にも泊まったことがない。

もう一カ所が、北アルプス・七倉岳の近くの船窪小屋。
2008年、2009年と2年続けて泊まりにいった。

前年、滑落事故があった直後に泊まり、翌年、追悼登山をした時に、また泊まった。

船窪小屋の人達は、登山者が来ると鐘をついて迎えてくれて、送り出すときも、無事を祈って、鐘をついてくれる。

テレビを見て、その山小屋の「お母さん」も75歳になられたということで、あらためて驚いた。
私はもう、あのルートを上ったりおりたり、できないだろうと思っているからだ。
お母さんの年齢で、あの大変なコースを上り下りして、なおかつ、登山者のために食事や寝るところを用意してくれるというのは、すごいことだ。
水もないような所で、心のこもった手料理を出してくれる。クロマメノキで作ったゼリーのデザートまでも手作りだった。

<2008年の写真>



今思い出しても、急な道。胸突き八丁じゃなくて、鼻突き八丁の道。







<2009年の写真>













このような場所で、良流娯さんが突然消えたと思ったら、木の根っこにつかまって、斜面にぶら下がっていたときには、キモ冷やした。何事もなくて、ほんとうによかった。





4 コメント

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見ました。 (気ままに うたどん)
2011-09-09 08:33:18
くすのき山の会がいった、翌月iiさんと二人で・・
燕山荘は忘れないエピソードがあるのです 
息子が大学時代の友達が燕山荘でアルバイトをしてその仲間と結婚して今は八ヶ岳で、パンやさんを・・
そして、ご両親は,岳人の編集長を退職し鎌倉から
八ヶ岳に(娘さんのそばに)移住しました。
燕も七倉も歩けないわね
足 腰鍛えないと

上高地では 気がゆるんでタクシーで帰れば電車に間に合ったのに バスを待ち・・松本で電車はなく
お風呂に入り 居酒屋に 2泊3日朝が帰りでした。
山にいきた~~~い
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うたどんさんへ (紅蓮)
2011-09-09 09:04:34
すてきな話しですね~。八ヶ岳のどのあたりでパン屋さんを開いているのかしら?
くすの木で登った頃は、その方はアルバイトをしていなかったのかな。山小屋で夏バイトするのは、朝も早いし、山好きな人にしかつとまらない仕事ですね。
燕山荘は、いつか(っていっても、行けるとしてもこの1-2年か?)行ってみたいです。3大急登だけど、登るのはなんとかなったとしても、下りが問題ですね。
七倉はもう無理。
上高地からタクシーは、けっこう高いので、人数少なかったら、迷うところですね。
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厳しいね (さと)
2011-09-10 18:12:58
山の景色を見ていると素晴らしいなぁと思うけど実際に登るとなると厳しいよね。
はしごですね、びっくり!
ましてお仕事の方々の厳しさは並大抵のご苦労じゃないと思います。
良流娯さんもそんなことがあったのですね。
くれぐれも気をつけて登ってくださいね。

紅蓮さん行けるときに行かなくっちゃね(笑)
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さとさんへ (紅蓮)
2011-09-10 21:32:36
ほんとうに厳しいコースでしたね。
私たちが下っている時に、登ってくる人達がいたのだけど、「もう下山でいいですね」っていわれました。
好きで登りにきているのに、あまりに大変だったからよね。だから「上の景色はすばらしいですよ」と、励ましてしまいました。
はしごも、延々と続いて、少しも気は抜けないし、今思い出してもきつかったです。
そして、3年前のコースでも、今はもう無理と思うのだから、今行けるギリギリのところを、やはり登りたいですね。
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