私が、見よう見まねで作っているホームページ「連句の部屋」によると、
私が連句に加わったのは1995年。
その10年後浜田はるみさんが、良流娯さんの紹介で加わることになった。
連句は、前の句につけて、句を詠む。5・7・5の長句と7・7の短句を交互に詠んでいく。
けれど、発句だけは、それぞれの連衆が自由な発想で、その季節にふさわしい句を詠む。
俳句というのは、その発句が独立したものだという。
浜田さんが入ってから、集まった発句の中からいい句をそれぞれ選んで投稿し、発句を決めるのだけど、圧倒的に浜田さんの句が選ばれることが多くなった。
今回、句集「韻く(ひびく)」を頂いて納得。詩的であり、思いを込めた美しい日本語が散りばめられている。
たくさんの句が収められているが、この本一冊を作るためには、その数倍の俳句を詠んだことだろう。
連句というのは、どんな人も対等に詠む。でも、対等でいるには、こちらも努力しなくちゃならない。
と思わせられる句の詰まった本。
ほかの連衆も、きっと私同様、刺激を受けたことでしょう。
私が連句に加わったのは1995年。
その10年後浜田はるみさんが、良流娯さんの紹介で加わることになった。
連句は、前の句につけて、句を詠む。5・7・5の長句と7・7の短句を交互に詠んでいく。
けれど、発句だけは、それぞれの連衆が自由な発想で、その季節にふさわしい句を詠む。
俳句というのは、その発句が独立したものだという。
浜田さんが入ってから、集まった発句の中からいい句をそれぞれ選んで投稿し、発句を決めるのだけど、圧倒的に浜田さんの句が選ばれることが多くなった。
今回、句集「韻く(ひびく)」を頂いて納得。詩的であり、思いを込めた美しい日本語が散りばめられている。
たくさんの句が収められているが、この本一冊を作るためには、その数倍の俳句を詠んだことだろう。
連句というのは、どんな人も対等に詠む。でも、対等でいるには、こちらも努力しなくちゃならない。
と思わせられる句の詰まった本。
ほかの連衆も、きっと私同様、刺激を受けたことでしょう。