ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

大霧山 ~ダイダラボッチのブーッ~

2011-04-19 00:26:01 | 登山(奥多摩・奥武蔵・秩父)

【4月18日(月)】
橋場バス停→粥仁田峠→大霧山山頂→白石バス停



次の休日に山登りに行こうとダーリンを誘ったら、「僕は家が良いな」と
やんわり断られたので、出鼻を挫かれた13日(水)の雪辱を晴らすべく1人で出掛けることにした。
6時31分最寄り駅発の宇都宮線に乗り、大宮駅で埼京線に
川越駅で東武東上線に乗り換え、8時16分に小川町駅に着いた。
小川町駅から出ている8時24分発の白石車庫行きのバスに乗り、橋場バス停で下車。

準備体操をしてから、9時に歩き始めた。

舗装道路を歩くのはつらいが、今が満開の桜を愛でながら歩けばあっという間に山道に入る。

道幅も広く、トレイルランニングの練習にもよさそうですぞ、ダーリン

斜面には、スミレの群落が。
ここだけでなく、大霧山周辺の斜面には様々なスミレが咲いており
スミレが好きな方、スミレの種類がわかる方は楽しめそうだ。

粥仁田峠の地蔵尊。

地蔵尊に見送られながら、大霧山へと向かう。

マムシグサ。

コースタイムより早く、大霧山山頂に到着。
それにしても、雲が低く、霞んでしまって全く展望が利かない。

晴れて空気が澄んでいれば、秩父盆地を隔てて武甲山が聳え
北には両神山や西上州の山々などが見渡せるようだ。

この日はかろうじて、北に連なる皇鈴山・登谷山の山並みが見えるだけであった。
まだ10時30分、煎餅をかじって定峰峠を目指す。

途中、ダイダラボッチの伝説が書かれた案内板が。
これによれば、ダイダラボッチが腰をかけたのが定峰峠
被っていた笠を置いたのが笠山
粥を煮て昼食を摂った所が粥仁田峠
食べ終わって粥を煮た釜を伏せたのが釜伏山
二本の箸を立てた所が二本木峠
そして、荒川の水を含んで吹いたのが大霧山だそうである。
とすると、あの大霧山の雲の濃さは、ダイダラボッチが荒川の水を含んで
「ブーッ」と吹いたからなのか

「比企のおっぱい山」こと、笠山。
ダイダラボッチが笠を置いた山だ。
登山道は道幅も広く危険な箇所もなく、なだらかな下りのため歩きやすい。
グングン下って、車やバイクのエンジン音が聞こえてきたかと思ったら
あっという間に舗装道路の定峰峠へ飛び出た。

ここから、舗装道路を横切りながら山道を歩くのだが、そのゴミのひどいこと。
舗装道路から近い場所には、明らかに捨てるために持って来たと思われるような大量のゴミが散乱。
これは悲しい光景だ。

山道から舗装道路を歩くようになってカーブを2つ3つ曲がると、先ほどのゴミが嘘のように
遠くに花が咲き乱れる集落が見えてきた。

ここは、小川町行きのバスが出る始発地点の白石という集落で
斜面にはヤシオツツジが咲き乱れ、ウメもサクラもハナモモも同時に咲き競っている。
何もかもがいっせいに開花する、まるで東北地方の春のようだ。
バスの時間まで2時間もある。
バス停脇の東屋でカップヌードルを作って食べ、紅茶を入れて和三盆糖を摘みながら休んだが
それでもまだ70分ほど時間がある。
そこで、こんな素敵な集落を、ゆっくりと散策してみることにした。

白石峠方向に向かって歩く。

桜の木の下に、なにやら小屋が出来ていて、看板が掛かっている。

なになに?「花の中の写真展」とは、なんと粋な計らいだろうか。
入ってビックリ、見てビックリ、味のある写真が多い。
東秩父村の集落で行われる祭りの様子や、ごくありふれた日常を写した物も多いのだが
その時の住民の笑顔が、大人も子供も素晴らしいのだ。
ユーモアたっぷりの仕草や、ひょっとこのお面を着けたままの大人
草刈りの後におしゃべりを楽しみながら家路に就く様子など、楽しませてもらった。
東秩父写友会の皆さん、ありがとうございました。

白石キャンプ場に続く道。

ハナモモとレンギョウのトンネル。
こりゃ福島の花見山より自然で見応えがあるな、などと思ってバス停に戻ろうとしたら…。

エッだるま

あれここにもだるま
カラス除けか何かだろうか。
この時期に、こんなに花々が咲き競っているとは思わずに来た白石の集落であったが
思いもかけずにゆっくりと散策でき、充実したバス待ちの時間であった。
自動車でドライブに来る人達が多いため、車の往来も激しいのだが
ほとんどが白石車庫バス停の手前を曲がって定峰峠へと向かっていく。
自動車が集落の最も美しい場所に入ってこないことも良い。
ここ、白石集落は、埼玉の桃源郷と誇っても良いほどの美しさである。
近くで椎茸栽培をしている方に伺ったところ、集落の住民は花卉栽培農家というわけではなく
皆さん思い思いに、好きなように花を植えたり増やしたりしているそうだ。
この余韻を大切にしたかったため、岐路は街中を走る東武東上線の川越経由を避けて
寄居駅経由で秩父鉄道を利用して帰宅した。



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