ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

ほっとけ様

2011-04-18 22:14:05 | 日常

ぴすけが育った家は、先進的というのか、自由というのか
まあ、そこそこ社会規範を守りつつ、伝統にこだわらず、他人と比べない家だった。
そもそもの素地は、明治41年生まれのぴすけの祖母が
明治女の芯の強さを持ちながら、大正デモクラシーの洗礼を受けた柔軟で自由な考えを持つ
あっさりさっぱり、根に持たない江戸っ子だったところから来ているものと思われる。
私の知っている祖母は、「デブばあちゃん」と私以外の孫達から呼ばれ
祖母の弟が蔭で「若秩父」などと呼んでいたほどであったが、なんと生まれは白金。
今で言うと、生粋のシロガネーゼということになるのだろうが
祖母の実家が金持ちでないことは確かだし、お嬢様でもなかった。
関東大震災を生き抜き、二・二六事件に遭遇し、東京大空襲の火の中を逃げた祖母は
そうした修羅場を潜り抜けてきたことから得た実感だったのだろう
「生きている人がいちばん大事。死んだ人のことは『ほっとけ様』だよ
とよく言っていた。
とは言え、その「ほっとけ様」は放置することを言うのではなく
生きている人が大変な時(病気だとか、災害だとか、戦争だとか、貧乏だとか)
優先順位は生きている人が生き抜いていくことが最優先で
先祖の供養は落ち着いたらいくらでも出来るし、先祖の意志を受け継ぎ
思いを繋いでいくことこそ供養で、ただそこで手を合わせるだけでも十分だと考えていたのだと思う。


そんな「ほっとけ様」精神は祖母の息子である父も受け継ぎ、とうとう母も私も受け継いだ。
今年は2月に父の一周忌を迎えたのだが、親戚に高齢者が多く体調面でも心配だったため
「ほっとけ様」精神を発揮して、寒中を避けて4月の初めに一周忌を行うことにした。
ところが、東日本大震災のため計画停電が行われたり、交通機関の運行状況が不安定だったりしたため
またまた「ほっとけ様」精神を発揮して、親戚などを集めて行う一周忌は中止にし
落ち着いたら家族だけで菩提寺に行って法要を営むことに変更。
そこで、計画停電も見送りが続き、気候も良くなった17日(日)に家族で菩提寺へと出掛けたのだった。



法要の帰りに、桜田通りから見た東京タワー。
車中から携帯電話のカメラで撮影したため、よくわからないかもしれないが
東京タワーの先端に御注目あれ

曲がっている。
東日本大震災で、曲がったそうだ。
関東大震災で半壊した浅草十二階のことを話してくれた、祖母を思う。
生きている人が自分の命を全うできるような世の中に、なってほしいものだ。 



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