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昨日、実家に馬鹿子叔父が鬼ユリ叔母と共に、娘と孫を同伴してやって来た
私のいとこに当たる馬鹿子叔父の娘は、今年の2月に出産し、赤ちゃんは来月初旬に満5か月を迎える。
ちょうど寝返りをうてるようになって、寝かせると、コロリと寝返りをうって胸を反らせているが
そこからさらに寝返りをうって仰向けになることは出来ず、しばらくうつ伏せになっていると
仰向けにしてほしいのか、抱っこをせがんでいるのかわからないが、可愛い声で何かを訴えかけてくる
実家にいた間、赤ちゃんは終始御機嫌で、その可愛らしい声と微笑はそこにいる皆を笑顔にさせた
ふと考えてみると、赤ちゃんを抱いたのはいつ以来だろう?
私は一人っ子だが、小学生の時は父や母の妹が赤ちゃん(つまり、私のいとこ)を連れて遊びに来たり
私より年長のいとこが赤ちゃん(つまり、私のはとこ)を産んで、実家に帰っているところへ遊びに行ったりもした。
私の年齢や、私が一人っ子であることをを考えれば、不思議ではないのかもしれないが
30数年前と比べて、近年は赤ちゃんに触れる機会がめっきり少なくなったと痛感する。
電車の中や観光地で、赤ちゃん連れの家族を見掛けることは以前より多くなったが
身近な関係性のなかで赤ちゃんがいたのは、娘の友達の家に2歳年下の弟さんが生まれた時で
もうかれこれ17年ほど前のことになる
赤ちゃんを抱いたのも、当ブログに度々コメントを下さるぽぴさんが
末のお嬢さんを連れて遊びに来た時であるから、8、9年前のことになる
金子勝著の『2050年のわたしから』は、2005年6月に講談社から発行された未来シミュレーション本だ。
ただ、政府の経済再生諮問会議が2030年の日本社会をシミュレーションした
『21世紀ビジョン』のようなバラ色の未来は、ここで描かれてはいない。
金子勝によれば、「今の平均的傾向をそのまま延長したら、と単純な計算をしてみた」結果がこの本だという。
1985年生まれで、2050年6月25日に65歳を迎える鈴木高志という人物を語り手にして
彼のパートナー(事実婚)であり、高志とおなじ1985年生まれの岡野まゆみと
高志とまゆみの一人娘である2017年生まれの岡野ひろみが家族として登場し
彼らをとりまく2050年の日本が描かれていく。
2050年には、正社員がいなくなり、老後がなくなり、町や村がなくなっている。
政治家は世襲議員ばかり、労働組合もなくなり、選挙制度も崩壊。
山林の手入れをする人がいなくなり、山は荒れ放題。
地球温暖化の影響と相まって、森は枯れ、木の実が出来なくなったため、クマがエサを求めて平地を闊歩。
10人に1人しか子供を産まなくなり、赤ちゃんの泣き声を耳にしたお年寄りが感涙にむせぶ
これって、2050年まで待たずとも、早晩こうなるのでは?
ムムム…
2050年に私はなんと83歳
現在の平均的な女性の余命から考えても、十分に存命している可能性はある
その時、この本が描き出すような世の中にならぬよう
一人一人が自ら考え、一人一人が自ら行動するしかない。
そうならないようにするためのヒントも、第3章と第4章で綴られている。
それにしても、本の帯に難癖をつけるのが好きな()私としては、やはりここでも言わずにはいられない。
講談社よ、「知らないとヤバイ、日本の未来!」とした帯は、この本を貶めていると覚れ
「ヤバイ」とはなんたる言葉遣い、言葉を扱う出版社として、講談社の品性が知れる
私は小学校2年生の時、同級生の男の子から仕入れたこの言葉を何の気なしに家で遣い
母に
「こういう言葉は『カタギ』の人が遣うものではありませんっ」
と、こっぴどく叱られたうえに、口をつねり上げられたことを、今でも覚えている
今や、何かを食べておいしいと感じた時にも「ヤバい」とか「ヤバくね
」
何か楽しいことがあっても「ヤバい」、「ヤバくね
」、ちょっとしたことで「ヤバい
」や「ヤバくね
」を遣う
貧困な表現と右へ倣えの同調圧力の席捲は目に余る
「ヤバイ」を遣わない娘に、なぜ遣わないのかを尋ねてみた。
「私はね、素敵な人になりたいの私にとっての素敵な人は、そういう言葉遣いをしない人なんだ
」
いいぞ、娘
この本の第3章でも綴られていたが、未来を夢見て、理想を導き星として、くじけるな
2050年、その時娘はなんと58歳。
きっと、素敵な人に、なっているよ
政治家(屋)よりも期待はできると思うのだが。どこまで
私の母は、「お義母さんが亡くなった歳(68歳)まで生きていれば良いわ
これぞまさに、天のみぞ知る領域です
『2050年の私から』の未来シミュレーションは、第4章によると、「1990年代から今まで(2005年でしょうか)のトレンドの平均をとって、その傾向単純に未来に向かって延長した」もののようです。
ですから、東日本大震災も福島第一原子力発電所の事故も起きていない時のものです。
そう考えると、現時点でから未来を考えるに、この本が予測した未来より良くなるとは、私にはとても思えませんね
金子勝は、子供達の未来のために大人が「考える言葉」を取り戻すことが大切だと説いています。
子供達のイジメ問題は、大人の社会に根っこがあった、それなのに大人達は見てみぬふりをし、イジメや不登校を自分達の問題として考えず、ほかの誰かや学校のせいにした、としています。
素敵な大人がいないというのは、悲しいですよ
お金お金お金、安いもの、利益、と求め続け、世界中がその路線に乗っかって競争して、その挙句なのでしょうか。
爺さんのところは、これまた奇跡的に、かわいい孫殿が今年になり2人おいでになりました。合計3名の孫持ちです。ありがたい限りです。
それはさておき、最近キュウリ苗を種から育てていますが、なる実がなんかキュウリじゃあないんですね。ゴーヤを細くしたような変なの。
みなさんこれは何なのでしょう。ゴーヤとのハイブリット、温暖化、それとも放射線、種の製品不良?悩んでいます。
やばい、なんて使うな、まったく同感。
ヤクザ語は気質が使うな!!
その通りです。売れればいいのか、目立てばいいのか、うければいいのか。もっとも出版も大衆迎合そのものですが。迎合されてる俺らが馬鹿なのか。どっかのマニフェストとか言って耳障り良くって、アレレ何これなんて、よくある話でありますが。
私の師匠は、言葉は心なんです。と言いました。優しい心になるには、優しいことばという形から入るんだとも言いました。
ことばはいのち、言葉は大切にしたいです。大切にしていると大切になってくるんです。
そんな両親でも、一時期、選挙に行っても何も変わらないことや、1票を投じるに値する立候補者がいないことを理由に、投票に行かなくなったことがあります。
これがいけない。
意思を表明するために、白票を投じるということが出来るはずです。
そんな姿を見ながら育った私は、選挙には必ず行っています(でも、がっかりすることばかりです)。
それにしても、政治家の品性のなさには情けなくなりますね。
>芝刈り爺さん
ほほう…。
3人の孫持ちですか。
30年ほど前には、そんなこと、私は想像だにしませんでしたが
となると、2050年に成仏しているかどうかなんて、わかりませんよ
キュウリに関しては詳しくないのでなんとも…。
品種ではないのですか?
出来るはずの物と、違うのが育っているのですか?
ここ10年くらい(もっと前から?バブル期以降か?)、言葉遣いが急激に汚くなっていますね。
私は家で、大宅壮一ではないですが、「一億総(に限りなく近い)ヤクザ、チンピラ化」とよく言っています。
本当に、市民の言葉がひどい有様になっているのを感じます(ダーリンにも気をつけるよう
テレビを観てはブツブツ文句を言っていましたが、最近はテレビを消すようになりました。
ますます浮世離れが加速か
実は私、金土とお山登り、みちのく朝日連峰、残念ながら悪天。でもお花はきれいでした。そんなわけで、お疲れかも。昨日は珍しく東京で働いて帰りの電車は止まって苦戦するし。遮断機下りてカンカンいってる踏切に入るな、と言いたい。全然関係なくてすみません。明日は労働です。週3日のパートです。ゴーヤキュウリは諦めキュウリ苗を買います。
どちらからどちらへ?
いいな~
残雪はどの程度でしたか?
ちょっとお疲れですか…。
明日から3日間、若さのパワーを吸い取ってきたらどうですか。
それとも、かえって疲れちゃうかな
歩行時間はかなりのものですよね。
皆さん、すごいな~
一昨日、吾妻連峰の一切経山から、大朝日岳が見えましたよ