ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『闘病MEMO』補遺 2月15日(月)

2010-05-28 23:44:43 | 特発性間質性肺炎
2月15日
「ありがとう。もういいよ。」



13日(土)に父に気胸が発症し、14日(日)は母と共に16時30分に父の元を出て
父がお気に入りだったブランドのパジャマを色違いで2着買い求め、実家に戻った。
明日にでも父が袖を通せるように洗濯をし、その日は夕飯を食べずに19時前に実家を出た。
たまたま仕事帰りのダーリンと大宮駅で落ち合うことができて、昨日・今日の大きな変化で
かなり消耗していた私を気遣い、外食で済ませてしまおうと言ってくれて、食事をして帰宅した。
どう考えても父が快方に向かうことは望み薄だったが、あれこれ考えてもどうにもならず
私達家族ができることといえば、なるべく多くの時間父の傍で父の望むようにするだけである。
私とダーリンは帰宅後お茶を飲み、そろそろ休もうと歯磨きをしていたところに電話が鳴った。
11時15分だった。
思わずダーリンと顔を見合わせ、受話器を取った。
「大王(父の呼称)さんのお嬢様ですか?大王さんの容態が急変したので
 これから病院に来ていただきたいのです。
 お母様の御自宅にもお電話したのですが、お出にならなかったのです。
 どうかくれぐれもお気を付けてお越し下さい。」
やはり父の入院している総合病院からだった。
すぐに母に電話をし、私達も病院に向かうのでタクシーを呼んで先に行くように伝えた。
母によれば、何度か電話があっものの、腰に痛みを抱える母が
やっとの思いで寝床から起き上がり受話器の前に行くと、電話が切れてしまったのだという。


11時50分、HCUに駆けつけると既に母が来ていて、Y医師が出迎えてくれた。
「大王さんは夕食後、右肺に気胸を発症しました。」
その一言で、13日(土)に危惧した左肺が機能していないことによる右肺への負担で
両側性の気胸という形で起こってしまったのだと、呆然とした。
父の元に通されると、父は酸素マスクを着け、上半身がまるで風船のように膨れ上がっていた。
顔も腫れ上がり、胸に穿刺されていたものの、上半身は呼吸困難のため大きく波打っている。
「お父さん、ぴすけだよ。今来たよ。お母さんもいるよ。」と父の右側で声を掛けて手を握ると
父が手を力強くギュッと握り返してきた。
母は父の左手を握った。
「ありがとう、ありがとう。」父は苦しい息のなか、私達に向かってそう言った。
「お父さん、ありがとうを言うのは私の方だよ。一緒にいさせてくれて、感謝しているよ。
 ダーリンも来ているよ。お母さんのことは私たちがついているから心配しないでね。
 私もダーリンがいてくれるから、一人じゃないよ。」
そう言うと、父は
「良かった。良かった。ダーリン、ビーフジャーキー、おいしかった。」と言った。
父はたくさん話したかったようだが、呼吸ができないなかで話をさせることはつらかった。
父に話させないようにするため、私は馬鹿の一つ覚えのように
「ありがとう」と「心配しないで」を繰り返した。
父の顔は腫れ上がって目が開かないようにも見えたが、私の顔を見ることはできたのだろうか。
父の右目から、涙が流れた。



父の血中酸素濃度は70と低下していたが、血圧は安定していたためY医師から申し出があった。
このままの状態でいても生存するという意味ではまだ時間があるだろうが
CTを撮って気胸の部位が特定できれば、可能な処置があるかもしれないとのことだった。
ただ、移動させるリスクがあるとのこと。
悩んだが、入院してからステロイドパルス療法を決断し父を回復させ
昨日の左肺の気胸の時にも処置をして、父の一命を取り留めてくれたY医師にお願いすることにした。
母に話して同意をもらい、父にも次のように話した。
「Y先生が、CTを撮って処置してくれるって。Y先生に任せたよ。お父さんも安心して。」
すると父は繰り返し私に向かって言った。
「ありがとう。もういい、もういいよ。」


「もういいよ。」そう言われて、私はどうして良いのかわからなかった。
優しい、父らしい、この言葉は、私達を気遣って発しているのではないかとも思えた。
このままの状態で放置(と言っていいのかわからないが)するしかないのか
父の言葉を無視してCT撮影に送り出す方が良いのか、悩みに悩んだ。
それでもCT撮影に送り出したのは、CTに一縷の望みを抱いたというよりは
なす術もないまま苦しむ父を見守り続けることが、私としては大変つらかったからで
そういう場面に自分が堪えられなかったからなのではないかとも、今は考えている。
CT撮影に向かう父を見送ると、しばらくして看護師がやってきて
「CT室まで行ったのですが、大王さんの呼吸が止まってしまい、今戻ってきます。」
と告げた。
戻ってきた父に呼吸はなく、穿刺した部分からシューシューと空気が出ている音だけが聞こえた。
時間の経過と共に、モニターの脈拍の波は弱まり、平坦になった。
「大王さんは私に、『ありがとう、もういいよ。』とおっしゃいました。
 本当に残念です。うまく行くと思ったんですがね…。申し訳ない…。」
Y医師はそう告げた。







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