ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

慶派仏教彫刻探訪 奈良編③

2013-12-25 08:32:57 | 仏教彫刻探訪

12月16日(月)、この日は東大寺俊乗堂が年2回の特別開扉日に当たっており
そもそも今回のいちばんのお目当ては、そこにおわす重源上人坐像と対面することだった。
「ぴーもよく続くねー。」
半ばあきれた様子のM夫妻に見送られ、この日も一人、奈良へと向かった。

9時50分、東大寺南大門に着く。
日本史が苦手だった人でも、運慶・快慶造の金剛力士像はかろうじて覚えているのではないだろうか。
南大門から、何はともあれこの日のお目当て俊乗堂にまっしぐら。

俊乗堂では、大学生と思える一団が列を作っていたが、待つことなく入堂できた。

中学生の時に重源の写真を見て以来、この目で見てみたいと思っていた坐像は
堂内に入って対面すると、幾分お年を召したように見えた。
というのも変な表現なのだが、86歳で没した重源の、没後間もないうちの像だと言われており
写真だとそれなりに見えるのに、実際の重源像は齢100にも届くか、といった感じなのだ。
木造だから経年変化するのは当たり前としても、こんな年寄りだったかな、という感じだ。
係の方が解説中にこんなことを言っておられた。
「この像からは、重源さんの気迫まで伝わってきますな。
  だからかわかりませんが、お手に持った数珠の位置が、毎日変わりますねん。」
アハハである。
堂内には、快慶造の阿弥陀如来立像と、愛染明王坐像も安置されていたが
どんなだったか覚えていないほど、重源像に釘づけ。
まるで布の法衣を着ているかと思えるような彫りは、見事としか言いようがない。
首を前に突き出し、への字に結んだ口からは
南都再建を果たした重源の意思の強さがじんじんと伝わってくるようだ。
こうして東大寺や興福寺で慶派の仏教彫刻に触れられるのも
「東大寺大勧進職」として南都再建を果たし、慶派仏師を見出して庇護した重源がいればこそ。
私にとっては、重源さまさまである。


俊乗堂では待つことなく堂内に入れたが、次に行った開山堂では、既に長蛇の列ができていた。
どのくらい待つのか不安だったが、せっかく来たのだからと、拝観券を求めて列に並んだ。
そこからなんと50分待ちで、やっと開山堂の堂内に入ることができた。
開山堂は、東大寺の初代別当良弁を祀った堂で、国宝。
これまた国宝の良弁僧正坐像が安置されている。
50分待ちの甲斐があったかないかは、人それぞれということで…。
甲斐があったと言えば、法華堂の修理が終了し、拝観が再開されていることだ。
本尊の不空羂索観音立像をはじめとする諸仏とゆっくり対面し
さらに嬉しいことに、12月16日は不空羂索観音の背後に祀られている執金剛神立像とも対面できる。
ただ、執金剛神の前で立ち止まらないように警備員に促されても
像の前で微動だにしない人が多く、渋滞ができておしくらまんじゅう状態。
抜け出したくても抜け出せないような状態になっていて、少々うんざり。
気を取り直して、もう一つのお目当てである戒壇堂に向かう。
戒壇堂は、東大寺の中心部から離れているせいか、人が少なく静かだ。

「お父さん、また来たよ。」
なんちゃって。
父を亡くした年にここに来た時は、この像の足元で不覚にも涙をこぼしてしまったが
今は、顔を見て思わず噴き出してしまうほど、父を亡くした痛手(?)からは回復したということか。
戒壇堂から興福寺に向かう途中で昼食を済ませ、興福寺国宝館へと向かう。
こちらは天平期と慶派の仏像のオンパレード。
リニューアル後の国宝館に入るのは初めてだったが、展示も構成も良いので、お奨めだ。
驚いたのはトイレの洗面台。
手洗い用に適温のお湯が出るとは、高級ホテル並みのサービスだ。


このまま京都に帰るのはもったいないので、近鉄で大和西大寺駅で下車し、秋篠寺へ。
大した距離ではないから歩いたのだが、これまた狭い道なのに交通量が多く
しかも、車両相互通行なのに、すれ違えないような道ばかりで、警備員が出ているくらいだ。
歩くのには少々危険な道中なので、大和西大寺駅からはバスを使うことをお奨めする。

秋篠寺の境内に入ると、奈良の寺にしては珍しく、伽藍の跡地は苔の庭になっている。

国宝の金堂内には、本尊の薬師如来坐像をはじめ、数々の仏像が安置されている。
こちらの十二神将は、薬師如来の左右に、階段状にしつらえられた台座の上に
2列3段、6躯ずつが配置されていて、大きさもまるで小ぶりの人形のようだ。
秋篠寺までの歩きは自動車の多さで懲りたので、帰りはバスに乗車。
大和西大寺駅からすぐの、駅名にもなっている西大寺に行ってみることにする。



西大寺では、拝観受付をすると、上のような拝観券を渡される。
拝観券は正方形で、角の部分にミシン目が入っており
それぞれ拝観する際には、三角部分を切り離す仕組みになっている。
この日は、聚宝館の入館はできなかったため、予め三角部分は切り離されていた。
西大寺の良かったところは、どの堂に入っても、係の方が
「もっと仏さんに近づいてええですよ。近くから、拝んで、ようお顔を御覧ください。」
と、言ってくれて、かなり近くで仏像を見ることができたことだ。
やはり、御堂にあって、これまで人々の尊崇を集めてきたそのままの形で仏像と対面できることは
宝物館のような場所でガラス越しに見るのとは、迫力が違う。
四王堂で本尊の十一面観音菩薩立像を足元から見上げた時
長谷寺の十一面観音菩薩立像を見上げた時と同じ感慨を受けた。
本堂の釈迦如来立像は、拝観券の写真の像だが
清凉寺式釈迦といわれ、京都・清凉寺(せいりょうじ)の釈迦如来立像の模刻である。
また、文殊菩薩騎獅像及四侍者像や興正菩薩叡尊坐像も素晴らしい。
拝観券の裏には叡尊の『興正菩薩御教戒聴聞集』からの一説が引かれていた。

 学問スルハ心ヲナヲサム爲(ため)ナリ 
 当世ノ人ハ物ヲヨク読付(よみつけ)ムトノミシテ  
 心ヲナヲサムト思ヘルハナシ
 心ヲナヲサム学問シテ 何ノ詮(せん)カアル
 (学問をするのは 心を整えようとするためである
  今の人は 書き物ををよく読もうとするだけであって
  心を整えようとしていると思えること(人)はない
  心を整えようとする学問をして いったいどんな価値があるというのだ〔いや、そこに価値があるのだ〕)

西大寺では、叡尊の教えを脈々と受け継いでいるからこそ
生きた信仰を大切にし、「仏さん」を間近で拝めるようになっているのかもしれない。

仏像・尊像写真は所蔵寺院のパンフレットから転載しました。
『興正菩薩御教戒聴聞集』の現代語訳は、ぴすけがテキトーにしましたのであしからず。                        



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2 コメント

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奈良いいですね (芝刈り爺さん)
2013-12-25 17:55:02
3月堂、不空羂索観音、修理すんだんですね。ところで以前と比べ仏様は、何体か移動したのでしょうかね。
3月堂は大好きで、にぎやかな時でもあそこに入ると、なんかしーんとした感じがして好きですね。重源さんもいいですね。私もいい年を重ねたいものです。
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全部で10躰です (ぴすけ)
2013-12-25 19:25:09
東大寺のホームページによると、以前は16躰あったようですが、そのうちの6体は東大寺ミュージアムに移したようです。
たしかに、以前はごちゃごちゃとしていたような記憶がありますが、いまはけっこうすっきりしていて、ますます静謐な感じを醸していますよ。
とはいえ、執金剛神像を見るために、堂内ごった返しでしたが…。
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