ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

慶派仏教彫刻探訪 奈良編④

2013-12-26 08:32:42 | 仏教彫刻探訪

12月17日(火)、春日若宮おん祭で混雑するであろう奈良公園の周辺を避け
下調べなし、思い付き同然の状態で一人吉野へと向かった。
近鉄の終点駅である吉野駅で下車し、ロープウェイに乗って吉野山駅へ。
そこから歩いて金峯山寺(きんぷせんじ)へ行く途中にあるのが銅の鳥居(あかのとりい)である。

この鳥居は俗界と浄界を隔てる結界で、菩提心(悟りを求める強い心)を起こす所とされ
修行者達は、ここで俗界を離れて聖域へと修行に赴くのである。
銅の鳥居をくぐってほどなく、仁王門が見えてくる。

ちょうど大修理が行われているところで、阿形の金剛力士像だけが工事用ネットから垣間見られた。

仁王門から通称蔵王堂と呼ばれる本堂へ。
お目当ての蔵王権現は公開期間外とあって扉が閉じられていた。
下調べの悪さもあって、どこをどう歩けばよいのか皆目見当がつかなかったが
バスで奥千本と呼ばれるところまで行って、山を下りながら戻ることを思いついた。
吉野山駅で見たバスの時刻表から計算すると、そろそろそのバスに乗れそうな時間だった。
勝手神社前にあるバス停まで行くと、ほどなくバスがやってきたので乗り込んだ。
吉野駅で近鉄から降りたのは私と神戸から来たという男性の2人のみ。
その男性と一緒にロープウェイに乗ったものの、そこで別れてからは誰一人として会わず
門前の店も多くがお休みで、バスに乗ったのも私一人、寂しい限りだった。

終点の奥千本口バス停で下車し、参道を歩いて金峯神社へ。
木の鳥居は大峯山上へ参るための四つの門のうちの第二門・修行門である。
鳥居をくぐり石段を上がると拝殿で、そこから奥へは行けない。

金峯神社拝殿手前の道を下っていくと、義経隠れ塔と呼ばれているお堂がある。
義経主従が身を隠したと伝わる堂で、大峯奥駆(おおみねおくがけ)の修行場所でもある。
ここからさらに奥へ行くと、西行が過ごしたと言われる庵や、苔清水という湧水などがあるが
この時既に昼を過ぎていて、お腹の足しになるようなものは全く持っていなかったこともあり
奥へは行かずに山を下ることにしたが、山道ならいざ知らず、舗装路を下るというのは大変なものだ。

途中、高城山(たかぎやま)展望台に立ち寄ると、和歌山から来たという二人連れが景色を見ていた。
ロープウェイを降りてから、人と出会ったのはこれが初めてたっだ。
遠くに、金峯山寺本堂(蔵王堂)の大屋根が見える。

元来た道に戻り10分ほど下ると、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)がある。
豊臣秀頼が再建した社殿は、大変美しい。

水分神社の「みくまり」から「御子守(みこもり)」と訛って、子守神社としても厚く信仰されているようで
縁には子供の洋服やよだれかけ、乳型などが供えられていた。
途中、大峯山護持院五箇院の一つ桜本坊に立ち寄り、鎌倉期造の役行者像を見る。
特に長居をしたわけでもないのに、お昼を食べて金峯山寺に戻った時は14時半になっていた。
京都まで戻らなければならないので、吉野駅15時7分発の近鉄に乗りたいところだ。
少し境内をウロウロし、ロープウェイで近鉄の駅に向かう。
ロープウェイの駅員が、桜本坊の僧と同じことを言った。
「遠くから来てもらって、ありがとさんです。今度は春においでください。きれいでっせ。」
桜の時季ではないだけに、ひっそりとして寂しい吉野だったが
そのせいか、古より大海人皇子(後の天武天皇)、源義経、後醍醐天皇と
政治的に難を逃れた先が吉野の地だということに、妙に納得がいったのである。



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