ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

當麻寺再訪 ~中里恒子『誰袖草』(たがそでそう)の舞台へ~

2018-10-31 23:58:43 | 仏教彫刻探訪

10月5日(金)

午前中は、手向山八幡宮の転害会の神事に参列し
東大寺勧進所八幡殿のご開扉で、僧形八幡神に参拝した後は
いつもながら奈良を訪れると必ず行く場所である戒壇堂に向かった。

おそらく、東大寺のなかで、拝観料を取って公開されている場所としては
最も人が少なく、静かな場所。

お父さん、また来たよ…、なんちゃって
父に生き写しのような広目天に会うことは、奈良を訪れる目的の一つ。
ひっそりと静かな戒壇堂だからこそ、ゆっくり会えて、良いよね。


東大寺を後にし、近鉄奈良駅から当麻寺駅に向かう。
近鉄線を大和西大寺駅・橿原神宮前駅・尺土駅で乗り換え、当麻寺駅に到着。
実は最近仕事で、中里恒子の『誰袖草』(たがそでそう)を読む機会があった。
不明を恥じることを承知で言えば、仕事で中里恒子という作家を知るまで
その存在も作品も、何一つ知らなかった。
仕事でたまたま出合った作品とはいえ、『誰袖草』に強い感銘を受け
舞台の一つでもある當麻寺を再訪したい気持ちが日増しに募った。


『誰袖草』の主人公・せきは、行儀見習いをしていた横浜で生薬(漢方薬)問屋に見初められ
後継ぎ息子と結婚したものの子供ができず、夫の浮気相手が身籠ってしまう。
一時は、その子を自分の子にしようとまで決意するが
湯治に出掛けた先で関東大震災に遭い、帰宅すると家も家族も被災して消滅していた。
婚家の生薬問屋で身につけた知識を頼りに、奈良県宇陀の生薬園に身を寄せながら
薬草を採り、人々に漢方の民間療法を施し
物心ともに持てる物を一つずつ手放していくせき。
せきが身を寄せた奈良県宇陀の地にある當麻寺は
継母に苛め抜かれ命まで狙われるようになっても善行を積み
仏門に入って人々を助けたと伝えられる中将姫所縁の地である。
せきも、次々と降りかかる不遇に遭いながらも、人々を助けて生きるのだった。
そして、せきは當麻寺に参籠して金剛山に登り、谷あいの苔の中に飛び立ち
帰らぬ人となる。
まるで我が身さえも大地に喜捨するかのように…。


『誰袖草』を評して、佐伯彰一は
「日本的な『歌枕』手法で、女の孤独という主題をうたい上げ、中将姫の伝説と見合うファンタジー調さえも呼び込んで見せた」
と書いたが、長谷川啓の
「せきの世捨て人のような、いわば解脱のごとき世俗的欲望を超えた絶対的孤独に、執筆当時の作者の辿り着いた境地を重ねた秀作である」
という書評に、私は大いに共感する。




當麻寺は、当麻寺駅から徒歩約10分。
仁王門から境内に入る。
この仁王門は、伽藍配置からするとかつての東大門だったと推測できる。

向かって右が、ちょっと松平健に似ている阿形の金剛力士。

向かって左が稀勢の里に似た吽形の金剛力士。

鐘楼に下がるのは、白鳳時代に鋳造された日本最古の梵鐘。

鐘楼から本堂に向かう途中左手に、中之坊がある。
中之坊の名前のとおり、奈良時代には中院だった寺院であり
1979年まで薬草丸・陀羅尼介を製造していた所で、現在は販売所になっている。

中之坊には香藕園(こうぐうえん)という庭園があり、庭園の一角には中将姫に関する場所がある。
中将姫剃髪堂は、中将姫が髪を落として仏門に入られた場所とされ
本尊の導き観音の右手からは五色の紐が伸びており
この五色の紐を手にして参拝すると、観音様と結縁することができるとされている。

中将姫が剃髪した髪を埋めたとされる、髪塚。

窪んだ部分が中将姫の足跡と伝えられている中将姫誓いの石。
庭園をぐるりと周り、中之坊で中里恒子について尋ねる。
受付の女性は知らなかったそうだが、後でご住職に聞いてくださったところ
戦後になって中里恒子が中之坊を訪れた記録があるとのことだった。

蓮の茎の糸で曼荼羅を織った中将姫は、今は蓮の花の上に佇んで祈りを捧げている。

本堂(曼荼羅堂)には、中将姫が蓮の茎の糸を用い、一晩で織ったといわれる當麻曼荼羅は
源頼朝が寄進した須弥壇上にある巨大な厨子の中に収められている。
頼朝が寄進した須弥壇の装飾金具には、模様のほかに文字も刻まれており
じっくりと見ていくと、大変面白いことに、鍋・釜・竈といった
「仏教にいったい何の関係があるの?」と不思議に思うような文字も刻まれている。
そして、手前の左角付近の装飾金具に「天正十二年」という文字を発見した時は
小躍りしたい気分だった。
天正12年とは1584年で、歴史上の出来事といえば小牧・長久手の戦いがあった年である。
その年に、須弥壇の一部が修理されたのではないか、と考えた私は
本堂受付の方に、過去の修理について尋ねてみた。
受付の方は、詳細な年代や箇所は知らないとしながらも
「調査研究で須弥壇の一部が修理されていることが、ある部分を見るとわかる」
という話を聞いたことがあるというのだ。
驚いた
「天正十二年」の文字は、過去にその周囲を修理した証だったのである。

講堂と金堂の内部は暗く、かつ静謐で、ゆっくり仏様と対面することができる。
當麻寺の諸仏のなかでも、金堂の四天王像は独特の表情で、西洋的な雰囲気を纏っている。

金堂前の石灯籠は、日本最古の石灯籠だそうだ。

二基の三重塔のうち、西塔は修理中。

當麻寺に中里恒子の足跡を確認し
『誰袖草』に描かれた、物心ともに我が身から手放していく主人公・せきの生き方を反芻しながら
文学作品の舞台として登場する地を再訪でき、初めて訪れた時とは全く異なる感慨を覚えた。
その感慨とともに、やや日が傾きかけた二上山を振り返りつつ、當麻寺を後にしたのだった。



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