ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

『花戦さ』 ~持ち味が生かされない配役と演出~

2017-07-27 13:42:10 | 映画

6月4日(日)、私の好きな人・野村萬斎主演の映画『花戦さ』を観に行った。
第一の目的は野村萬斎を観ることなので、観た時点で目的は果たしているのだが
なんとも、こう、消化不良なのである


一つは、野村萬斎を起用したからには、彼の持ち味を思う存分引き出してほしいというのが
ファンというか、彼の芸を楽しみにしている者にとっての希望であって
「この役、べつに野村萬斎でなくても、良かったんじゃないの~?」
と感じてしまうような演出は、少々もったいない気がするのだ。
もちろん、野村萬斎の持ち味にはない、別の野村萬斎の顔を見られるのがうれしい
というファンもいらっしゃるだろうし、彼の役の幅を広げるためには
持ち味にこだわらない方が良いのかもしれない。
これはあくまで好みの問題で、私にとって野村萬斎の持ち味は
「滑稽さと鋭さの共存」なので、そこを大いに生かしてほしいのだが
この作品では「滑稽さ」が強調されるあまり「鋭さ」が不足しているので
少々残念だ、と感じたのである。
そして、滑稽さが強調されるあまり、野村萬斎の芸が顔に集中しすぎている
私は、野村萬斎の顔芸を観たいわけではない。


もう一つは、この作品の配役はミスキャストではないか?
とくに、豊臣秀吉(市川猿之助)と石田三成(吉田栄作)。
『のぼうの城』で、上地雄輔が石田三成を演じると知った時
「これは完全にミスキャストだぞ
と思っていたが、実際に観てみたらその演技はなかなかで、脱帽したことがある。
つまり、作品にふさわしい演技力があれば、ミスキャストだと思われる配役でも
作品中で観客を納得させることができるわけで、観終わっても
「やっぱりミスキャストだよな~
などと観客に思わせてしまうのは
役者に演技力もないし、ふさわしい演出でもなかった、ということだ。
2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』でも、市川猿之助(当時、亀次郎)だけ浮いていて
私はあの演技でせっかくのドラマがぶち壊しだと感じていたのだった。
もちろん、市川猿之助や吉田栄作が輝く役や演技があることは認めているわけで
彼らの役者としての技量を否定しているのではない。


この映画で言いたかった
「どの花も、それぞれに美しい」「どの猿も、それぞれの良さがある」
ことには同意するが、それぞれの美しさや良さが生かされていたか
引き立っていたかを考える時、この映画のもったいなさを感じてしまうのは
私だけだろうか。



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