道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

過ちては……

2006-05-05 22:32:47 | 音楽
よくよく考えてみれば、バロック音楽の中にも、主観的視点による作品がある。
すなわち、バッハの、チェロやヴァイオリンなどの無伴奏ものである。
ロマン派のソナタのような、視点が前進し、広がるという感覚はないが、
自己の視点を定め、それを深め、もしくは高めるという感覚がある。

言い切ったそばから自ら例外を発見してしまったが、
まぁ、何事にも例外は付きものである。

独断と偏見による音楽論

2006-05-05 00:17:37 | 音楽
私がもっとも好きなのは、クラシック音楽の中でも、バロックである。
そして、特にバッハが最も好きである。

とは言っても、ロマン派の音楽も聴くことはある。
今もブラームスを聴いている。

ブラームス、スメタナ、シベリウスといったロマン派について思うのは、
聴いていると何となく、自然の情景を思い浮かべることがある。
ある時は荒野、ある時は大河、またある時は凍てついた氷の世界。

バロック音楽を聴いている限り、こういうことはない。
聴きながら情景をイメージすることがあれば、
それは王宮であったり、教会であったり、街中であったり、
とにかく人が大勢いるところである。

思うに、
バロック音楽においては、音楽の周りに多くの人と様々な視点が存在し、
そしてそれらが均質化、圧縮されて、音楽の中に収束している。
作曲家によって、視点の多様性が少なかったり、圧縮の度合いが小さかったりするが、
基本的にこのような性質を持っているような感じがする。

それに対して、
ロマン派音楽においては、視点は一人に定められていて、
視点が動くことはあっても、それはその一人の動きに連動したものである。
そして、固定された一人の中で音楽が展開、分散、発展、深化して行く。


思想史的な方面での知識でこれをこじつけるならば、
バロックは神ありきの時代であり、万人は神の下で平等であり、
人々は自然な共同意識の中で生活をしていた。
そして、知識や感性によって思考が異なっていても、
それぞれがそれぞれの及ぶところで教義を理解し、
それで良しとしていた。

しかし、ロマン派の時代では、個々人が自らの立場を定め、
自らの考えを深め、自らの力によって努力し、収穫を勝ち取り、
それによって、自らを発展向上させていく傾向が強まった。
すなわち、「個」の意識が強まったのである。

バロックの均質で多角的な視点と、ロマン派の変化し前進する主観的な視点、
バロックの収束し凝縮する音楽と、ロマン派の展開し深化する音楽、
これは時代の思想的違いを反映していると考えられないだろうか。


もちろん、最初から最後まで、私の勝手なイメージに基づく判断であり、
証拠を示したわけではないし、突き詰めれば不可知論となるものである。

ゆえに、今はただ、私はこう思う、としかいえない。
しかし、これは、少なくとも私の中では、実感である。