道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

山手らーめん裏ページ開設

2011-02-09 00:36:11 | その他雑記
山手ラーメンの裏ページを作った。

 http://www.yamate-ramen.com/ura/

バイトのほとんどが理系なので、名前を「行列のできるラーメン屋 山手」にしようかと思ったのだが、自分自身ができないので止めた。「ベクトルのできるラーメン屋」や「漸化式のできるラーメン屋」では儲かりそうもない。
そもそも、ベクトルや漸化式すら、最早アヤシイ。最近は漢文ばかりで数字を見ていないので、「微分」「積分」には送り仮名や返り点を打ちたくなる。
「微分」:「微(かす)かに分かる」
「積分」:「分かった積(つ)もり」

専門家にHTMLを入力してもらった表ページとは異なり、裏ページは全て私のお手製なので、javascriptやgifアニメは一切使えない。文章の中身で勝負する、ローテクページ。
しかし、唯一自慢できるのは、「履歴書」。テーブルタグのみで、しっかり体裁を整えた。だいたいのブラウザでは崩れずに表示されるようだ。
これからの時代の履歴書は、もしかしたらHTML形式になるかもしれない、という予感すら覚える(……というのは冗談)。容量は軽いし、本人証明の写真を動画やアニメにすることだってできる。(アニメ版

社長に見せたら、「アンドゥー」にウケた様子で、「新しくバイトに入ったエンドウ君をモデルに、“エンドゥー”を作ろう」という話にも。
(※なお、これこれこれこの人の作品。)


ところで、「山手らーめん」でググると、表ページよりも裏ページが上位にヒットする(2011年2月8日現在)というのは、一体どういうことであろうか。検索エンジンのアルゴリズムは相変わらず理解しがたい。

山手らーめん公式ホームページ開設

2011-01-15 22:59:35 | その他雑記
 山手のホームページを公開した(山手らーめんホームページ)。実は一週間前から公開していたのだが、どこからもリンクを貼っていなかった。広報担当に依頼してツイートしてもらったのが、つい昨日。
 なお、「山手らーめんドッと混む」はコワイので「山手らーめんチョッと混む」にしたいという社長の要望はあったが、結局アドレスはhttp://www.yamate-ramen.com/にした。


 サーバー立ち上げとHTML構築は一人アンサンブル氏、画像処理は河津商店社長、文章作成と監修は私、というのが基本的な役割分担だったのだが、アンサンブル氏が画像処理をした件数も多いし、私が絵を描いた場合もある。以下はそれらの例。


・次のアニメは、作画が私の手に成るもので(手描き→スキャン→paintで編集)、それをアンサンブル氏に頼んでgifアニメ化してもらったものである(原画は100枚超。描いた私も大変だったが、アニメ化するのもかなりの手間だったはずである)。私はもっとゆっくりしたアニメにしてもらうつもりだったのだが、アンサンブル氏の信条により高速化された


・これも私が作画し、河津社長が色付け、アンサンブル氏がアニメ化処理したもの。他の二人はモデルとなった人物を知らず、私も曖昧な記憶だけで描いた、てきとーなキャラクターだが、不思議とウケは良い。実物を見たい方は、是非とも山手らーめん本郷店へ。
 クリックすると全体を表示

・これは河津社長が補正して整えてくれた写真を、私が配列、アンサンブル氏が編集・アニメ化。ラーメンがネオンサインの如く動くというのは私の考えであったが、それを素早く逆走させるというアンサンブル氏の創意が炸裂した作品
 

・作画は私、アニメ化はアンサンブル氏。例によって、動きが早い
 

ツイッター上で早速話題になっていたこのキャラクターは、私の作画ではなく、アンサンブル氏が彼の友人に発注したもの。画面一杯にこれがうごめき出した瞬間は、思わず噴き出してしまった。アンサンブル氏の創意には感心させられる。
 

データ倉庫作成

2011-01-06 23:51:09 | その他雑記

「知識庫」


図書館で一日にいったいどのくらいのコピーがなされ、どのくらいの資料を撮影しているのかは分からないが、その中には重複もかなり有ると思う。
各利用者がコピーを取る度にそれをストックし、それらを元に副本やデータベースを作って公開すれば、資源・労力の節約になるのではないだろうか。それに、閲覧・複写の度に原本を傷める、という問題も解消される。


そこで、まずは自分がデータ化した資料を公開してみる。

公開基準は以下の三点。
・著作権が切れていて、かつ戦後に商業出版されていないこと。
・何か研究の役に立つ文献であること。
・一部の研究機関にのみ所蔵されていてweb公開されていないなど、アクセスが悪いこと。

第一点目は、権利関係で面倒な事態にならないように。
第二点目・第三点目は、見やすい形に整えてアップするのにも手間がかかるので、アップするだけの価値があるものにしたいため。

今のところ、自分の手持ちの資料のみだが、人からデータの提供があれば、それをアップするのも考えている。

とにかく、文献資料というのは人類の共有財産であり、共有財産は万人に開放されるべきである。
そのためにも、インターネットというツールは、有効に活用しなければならない。


正月

2011-01-03 11:50:31 | 旬事
 中国・韓国・ヴェトナムといった、他の漢字圏(&旧漢字圏)の国では旧暦で正月を祝うのだが、日本だけがグレゴリオ暦である。旧暦では「孟春之月」を「正月」とするので、まさしく「迎春」であり、春の到来を祝う行事なのだが、グレゴリオ暦の「1月1日」には全くその意味が無い。尤も、旧暦の「1月1日」も、月の運行に基づいて設けられる日に過ぎず、太陽の運行に基づいて設けられる二十四節気の「立春」とは若干ずれているのだから、一概に旧暦正月のみを正しいとするわけにもいかない。

 五経の一つ『春秋』は紀元前8世紀から紀元前5世紀のことを記した歴史書であるが、その最初の記事は「元年春王正月」という、時間を指定する六文字のみで、その時に起こった事件は何も書かれていない。これについて『春秋公羊伝』では、以下のように注釈する。

 元年者何,君之始年也。春者何,歳之始也。王者孰謂,謂文王也。曷爲先言王而後言正月,王正月也。何言乎王正月,大一統也。 (「元年」とは何のことか、それは君主の最初の年のことである。「春」とは何のことか、一年の始まりである。「王」とは誰のことか、(周王朝の開祖)文王のことである。何故(経文では)先に「王」と言ってその後に「正月」と言っているのか、それは王の(設定する)正月だからである。何故「王の正月」と言うのか、それは一統を尊ぶからである。)

 ここで謂う「一統」とは、王者が人間のみならず鳥獣草木に至る全てのものを統べるという意味で解釈される。ここで「正月」を「“王の”正月」と言うのが「一統を大(たふと)ぶ」ことであると云うのは、つまり、一年の始まりである正月を正しく設定することにより、あらゆる生命サイクルの端緒を正すという発想が示されているのだ。そして、ここには、天地人を統べる王の正当性・正統性という思想が込められている。
 このために、中国の歴代帝王は暦に非常にこだわった。正しい暦を頒布することが、自らの王者としての任務であると同時に、王者たる証明であった。そして、王朝が変わる度に、甚だしい時は同一王朝内でも皇帝が代わる度に、改暦がなされた。改暦によって、自らが新しい帝王であることを天地人に知らしめようとしたのである。
 改暦のことを、「改正朔(正朔を改む)」と謂う。「正朔」とは、「正月朔日」即ち一月一日のことである。一月一日を正しく設定することこそ、一年という生命活動の一サイクルを正しく始めさせることであり、王者の証だったのだ。そして、「正朔」の二字は、「正統」(中華を支配する王朝の正統性)の同義語ともされた。
 「1月1日」には、このように壮大な意味があったのである。

 では、古代中国の暦法は、何を以って正確としたのか。
 まず、年単位で誤差を出さないこと。これはグレゴリオ暦と同じ発想である。それから、毎月の第一日(「朔日」)は必ず新月であること。これはイスラム暦と同じ発想、と言えるだろうか。この2つを両立させるように一年・一ヶ月の日数を決め、閏を設定した。これが大前提であり、太陽太陰暦と呼ばれる所以である。
 時代が下れば観測・計算は精密となり、他にも、閏月と二十四節気との関係、大の月が三連続しないこと、木星を始めとする諸惑星の周期、更には歳差、等々、様々な要素を組み込んで複雑に発展して行った。こうした試行錯誤・改良、時に政治的意図に基づく改変を経て、完成されて行ったのが、現在我々の謂う所の「旧暦」である。太陽周期のみを問題にしたグレゴリオ暦のように簡明ではなく、実用の点では劣るかもしれないが、精確さでは決して劣るものではない。

 とはいえ、冒頭で述べたように、旧暦の「1月1日」も、太陽の位置から考えれば必ずしも「春の始まり(=一年の始まり)」とは言えず、毎年の「1月1日」に太陽が必ず同じ位置となる新暦との優劣は決められない。結局は考え方の相違であり、伝統文化が違うということに過ぎない。故に、正月を新暦で祝うのは間違っている、と主張する意図は無い。古代中華の聖人・帝王の意図にはそぐわないが、「“2011年1月1日”を喜ぶ」というのは分かり易く、これは大変良いことだろう。
 ただ、私が見ていて「これは違う」と思うのは、単純に新暦で一ヶ月ずらした日に旧暦の行事を行うこと。所謂「月遅れ」。例えば、七夕は、日本では一般的には新暦7月7日、中国では旧暦7月7日に行われるが、仙台の七夕祭りは新暦8月7日。旧暦で計算し直して申請・宣伝・施設予約その他をするのが面倒な気持ちは分かるが、このようなことをされると、「旧暦は新暦の一ヶ月遅れ」という誤った安易な考え方が普及しかねない。
 上述の通り、旧暦の発想は新暦とは全く異なるものであり、新暦をちょうど一ヶ月ずらせば旧暦になる、というようなものではない。伝統行事だから伝統に従って旧暦7月7日に行うか、雨が降ろうが槍が降ろうが潔く新暦7月7日にセッティングするかして欲しいものだ。

メンデルスゾーン「オルガン・ソナタ第6番」

2010-11-13 22:46:51 | 音楽
今度の演奏会では、メンデルスゾーンのオルガン・ソナタ第6番を弾くことにした。
普段バッハのフーガばかり弾いている私にしては珍しいのだが、理由は至って簡単で、今回他の出演者の演奏する曲がバッハばかりだからだ(3年前の演奏会で、当時駒場に勤めていた守衛さんに「バッカ(Bach)ばっかり」と言われたのも、今となっては懐かしい。翌々年に、学部が警備業者を換えたため、あの守衛さんと顔を合わせることもなくなった)。
おかげで、慣れない和音と指遣いに苦しんでいるのだが、その上、諸事情があって、これから本番まで駒場のオルガンを触ることができず、専らピアノで練習する他無い。しかも、提出しなければならない論文の締切が迫っているのだから、それもできるかアヤシイ。今から本番を迎えるのがオソロシイ。


プロの演奏


この曲は、大きく分けて3部構成となっており、それぞれ、コラール変奏曲・フーガ・終曲(フィナーレ)である。
第一部は、コラール「Vater unser im Himmelreich(天にまします我らが父よ)」の主題に基づく変奏曲で、更にコラール呈示・第1~4変奏の5つの小部に分かれる。荘厳なコラール呈示、内声部が動き回る第1変奏、足鍵盤が3連符を刻む第2変奏、コラール主題が中低音で渋く単旋律をうならせる第3変奏、激しい分散和音の中で各声部が主題を引き継いでいく第4変奏、と、主題は全く変わらないのに様々な曲調を展開するのだから、実に面白い。
第二部のフーガは、コラール旋律の一部分を取り出し、それに少し加工を加えた旋律を主題とし、それが4声のフーガを織り成す。古典的な旋律・技法にロマン的な和声・展開とが自然に馴染みあい、晩年(というには余りに若過ぎるが)のメンデルスゾーンの円熟を感じさせられる。
第三部は、コラール主題とは関係ない旋律だが、静かな雰囲気を持つ優美な曲で、ソナタ全体を静かに締めくくる。メンデルスゾーンのセンスと性格の良さが伝わってくる作品である(私のように、演奏者のセンスと性格が悪い場合はどうなるのだろうか)。


ところで、「オルガン・ソナタ」と銘打っているが、この曲の構成は、全くソナタらしくない。
そこで、試みに『音楽辞典(楽語)』(堀内敬三・野村良雄等編、音楽之友社、1954年9月)を引いてみると、以下のような内容が示されている。
ソナタとは、17世紀初頭には単に器楽曲の一般名称だったのだが、時代を追うごとに意味を変えて行き、18世紀以降は、第一楽章にソナタ形式を置く多楽章の組曲で、舞踏の観念を排除したもの、というような意味となった。
では、「ソナタ形式」とは何ぞや、と言うと、「基本の形は、第一部(主題呈示部),第二部(主題展開部),第三部(主題再現部)からなる三部形式の発展したものと考えられる」が、これに導入部や終始部を加えて四部構成にしたり、第二部を省いて二部構成にしたりするという。
このメンデルスゾーンの「オルガン・ソナタ」は、どう引っ繰り返して眺めて見ても、そのようなソナタ形式は見られず、従ってソナタとは謂えない代物である。

それでは、何故そんなものを「ソナタ」と銘打ったのだろうか。
理由はよく分からない。少なくとも、無学な私は、定説と呼べる解釈を聞いたことがない。

邪推するに、
メンデルスゾーンのオルガン・ソナタは、当時懇意にしているイギリスの出版社からの委託で作曲されたものだったのだが、
その出版社から当初「オルガンソナタを出版したいのでお願いします」と頼まれていたために、全然ソナタでも何でもないものを作ってしまった後で、題名だけ「ソナタ」にして入稿したのかもしれない。
この推理、如何であろうか。

明日&昨日

2010-11-12 23:28:40 | 街中
今日の昼、山手ラーメン本郷店から電話がかかってきた。
どうやらスープは旨くいったようだ。
これで明日はグランドオープン!!


なお、このブログの存在が、シャチョーにバレたらしい。
まぁ、見られて困る内容は書いていないから良いだろう、と思う。

このブログも、付け始めて4年半を超える。
思い返せば、色々あった。色々な文章をかいたし、色々な恥もかいた。
そして、その間、顔見知りの人には誰にも伝えずにやって来た。
(もっとも、こっそりこれを見て笑っている知人はいたかもしれない。私も同じ趣味を持っている。)

それが、ついに知り合いに発見を告げられる運びとなったのである。
グーグル氏の検索ロボットが、私のブログを表に出すようになったのであるから、喜ばしいことと言えよう。

ただ、知人に見られていようと見られていまいと、私の書くことは変わらない。相変わらずグダグダだ。
グダグダブログ、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

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昨日、アヅマ大学教養学部の学生自治会で、ちょっとした事件があったらしい。
「学生自治会解散提案」が提出され、議決にかけられたという。

http://quni.biz/ping/zu/neta/kaisan.pdf

ここで問題点として挙げられている事柄は、おそらく全て本当のことだと思われる。私が自治会に所属していた時にも、全く同じ問題があった。
ただ、解決手段として「自治会解散」を提案するのは大変過激で、成功すればまさに「11.11クーデター」として駒場の歴史に残る大事件となっただろう。
自治会が解散されれば、クラス・サークルを始めとする様々な学生活動に多大な影響を及ぼし、駒場の勢力図が激変することが見こまれるからだ。

この学生自治会というのは、主に民青の活動家を構成員とし、従って思想的には共産党のシンパである。
自治会予算の一部を使って「平和活動」に没頭し、「大学十○年目」というプロの学生運動家も見かける。
革マル派や新興宗教サークルと激しく対立し、それらから駒場を防衛する機能も果たしている。

今回、学生自治会解散決議案が提出される予定、という話を聞いた時も、
最初は「革マル派か」と思った。
自治会(民青)も革マルも、ともに少子高齢化が激しく、実働戦力がほとんどないが、それは一方が若手を大量に獲得すれば、勢力バランスが崩れるということでもある。
あるいは、構成員が増えずとも、「ツイッター」なるものによって1,2年生を煽動すれば、議決を握る勢力ともなり得る。
事実、ツイッター上では、自治会解散決議に賛成するつぶやきが行き交ったという。

結果的には、71:8の大差で否決された。
準備期間と根回しが全く足りていなかったとともに、自治会が全学連や民青の応援を得て反撃したためという。
全学連や民青は学外の人間であるから、投票権は無いはずなのだが、そこは自治会が強引に押し切ったのかもしれない。少なくとも、応援演説の時間を大量に取ることはできただろう。

自治会というのは、昔からやり方が強引で、
かつて革マルの連中が夜の部に来ようとしていたのに対し、
「院生の方はダメです」と言って入口でシャットアウトしていたのを見たことがあるのだが、
そう言ってシャットアウトしている人が院生だった。
自分たちが正しいと思っているから、多少強引なことをしても良いと考えているのだろう

知人からの情報によると、
今回の騒動を起こしたのは駒場1年目の人たちで、先輩たちから焚き付けられ、そのまま悪ノリで決議案を提出したらしい。確かに、自治会解散後の事後処理案はいい加減で、何より根回しが全く足りていなかった。
何のことはない、ノンポリの悪ノリに過ぎなかったのである。

ノンポリの悪ノリであれば、昔からあった。
私の一個上の先輩は、左派の自治会に対して喧嘩をふっかけるべく、極右の信条を掲げて自治会委員長選挙に出馬したことがある。イケメンで話し方もうまい人だったが、惨敗。
そのイケメンの先輩を破って当選したのは、野暮ったい雰囲気で、いつも半ソデ短パン、年中ビニールサンダルで虫取り少年のような人だった。話し方も、お世辞にもうまいとは言えない。
個人としての資質はこれほどまでに違ったが、民青の壁は厚かったのである。何より、民青以外の一般学生の無関心、すなわち投票率の低さが最大の原因であった。

学生の政治意識の低さは、自治会の熱い政治運動が実を結ばない原因でありつつ、一方で民青政権が安泰であることには非常に有利に働いているのである。何とも皮肉なことである。

今回の騒動では、前日からツイッターを中心にして自治会廃止論が大きく盛り上がりを見せ、「これはいつもと違うのではないか」という印象を抱かせたのだが、何のことは無い、いつもと何も変わらなかった。
ツイッターでつぶやく人々は、不満をぶちまけ、もっともに思われる意見を「リツイート」することには熱心だったのだが、実際に体を動かして議場に赴くほどの行動力にはつながらなかったのである。

山手本郷店OPEN延期

2010-11-08 00:52:03 | 街中
山手ラーメン駒場店で、
大小様々な失敗をしながら5年ぶりのバイトをしていると、
4時半頃、シャチョーがやって来た。
曰く、「本郷店はスープを失敗したからオープンは延期した」とのこと。
うーん、これはでっかい失敗だ。

「トリガラを変えたのが良くなかった。昨日スープを飲んでみたら、全然味が出てなかった」
「えええ」
「何か雑味が全然無いの。だから、色々色々加えてみたら、今日は割と良い味には近づいていたんだけど、でも山手の味には足りないから、出せない」
「こだわりますねぇ」
「まぁ、食える味ではあったんだけど。やっぱり、自信を持てないのを出すのは、うしろめたいじゃん。うしろめたい気持ちで商売するのは嫌なんだよ」
「そうですねぇ。それに、駒場店の味に慣れ親しんだ東大生は、すぐに違いに気が付いてガッカリしちゃいますしね。最初に期待外れだと、もう来てくれない」(思い出補正で、むしろ昔よりも良い味じゃないと納得しない可能性すらある)
「あーあ、駒場と同じトリガラで再挑戦しようとすると、あと4日はかかるから、また仕切り直しだよ」

「準備期間に試作はしなかったんですか」
「大丈夫だと思ったんだよ。今までずっとやってきたから」
「この商売で15年間ですからねぇ。でも、トリガラを変えたんでしょう」
「ていうか、試作できなかったんだよ。新築で配線工事のトラブルとかがあって、結局電気が通ったのが11月2日」
「あー。それから4日かけてスープ作ったら、もうオープンですねぇ」
「そうなんだよ」

「お客さんは結構来たんですか」
「もう50人はいたよ。いや、50人はオーバーかもしれないけれど、30人は並んでた」
「どうしたんですか、それ。割引券でも配って謝ったんですか」
「いやいや、そんなことしないよ。タダ券を配ったよ」
「さすがシャチョー」


このような顛末で、オープンは少し先延ばしになりました。
以上のやり取りから分かるように、本格オープンに踏み切った際には、必ずや社長納得のスープでラーメンを提供できるはずです。
請う御期待。というよりも、まずは、請う御辛抱&御容赦。



ところで、帰宅後に「山手ラーメン 本郷 無料券」でググると、案の定出てきた。オークション。
http://auction.item.rakuten.co.jp/11223138/a/10000000

山手ラーメン本郷店OPEN

2010-11-03 01:00:19 | 街中
東大1,2年生なら誰もが知るあの名店山手ラーメン、
学生達と共に十数年、駒場の地にすっかり根を下ろしていた山手ラーメン、
その山手ラーメンが、ついにラーメン激戦区本郷に進学進出!

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将棋を指しに浜松町へ行った日に、後輩から「ヤマテが本郷に店を出すらしいですね」と言われたので、「そりゃデマだろ。社長は確かに以前ヤル気があった時期はそういう目論見も立てていたが、賃料が高くて断念していた。しかも、最近はヤル気もない」と答えた。
後輩は複数筋からその話を聞いたらしいが、しかし、最近は「ついつたー」なるものや、「カクサンキボウ」なるものが世に溢れているので、一人の発した嘘情報でも戸口を立てる間もなく広まるのだから、なかなか信用できない。

が、本当だった。

社長にメールすると、
「11月7日(日)に本郷店がオープンします。赤門より横断歩道を渡り地下鉄本郷三丁目に向かった右側50mです。お近くにお越しの際はどうぞお立ち寄り下さい。
 追伸・オープニングスタッフがいません。短期でけっこうなので手伝ってください。バイト急募です!」
という返事が来た。

そこで、応募してみたところ、すぐに電話がかかって来て、社長がちょうど開店準備で本郷にいるということなので、店舗に向かった。

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「シャチョー、オープニングスタッフがいないってどういうことですか」
「いやぁ、いろいろOBに声かけようかと思ってたところでメールが来たからちょうどよかったよ」
「ってか、オープンは今週じゃないですか」
「おう、まぁ、準備が揃わなかったら、延期しちゃおっかなー、なんて思ってたし。でも、キミが入ってくれるなら、新聞にチラシも折り込んで、グランドオープンだな」
「さすがにブランクありますから、大した戦力になりませんよ。ドンブリを落とすところから再スタートですね」
「まぁ、そうしてくれい」

「しかし、なかなか踏み切りましたね。この界隈はラーメン激戦区ですよ。新しいラーメン屋が次々とオープンして、次々と店をたたんでいきます。今残っているのは、どれも一癖ある店です」
「え、そうなの。でも、確かに、最近いろいろ食べてみたけれど、どの店もうまいね」
「しかも、味がよければ残る、というものでもないでしょう。ここいらのお店を眺めてみると、“家系”だとか“けいすけ”だとか、看板で客を集められそうなのばかりですよ」
「うちも“山手ラーメン本郷店 安庵”だよ」
「“安庵”って、“アンアン”ですか。店を仕切るアンドウさんにちなんでいるんでしょうけれど、若者向けの女性誌みたいな名前ですね」
「そうそう、いいだろ。でも、店に入ると、熊みたいなの(アンドウさんのこと)が麺を茹でてるんだけどね」

「で、どの曜日に入れそう?」
「火・木・金・土のうちの2個くらいですね」
「分かった。じゃあ、他のコとも調整してからまた連絡するよ。あと、早速だけど、11月7日は入れる?」
「オープン当日ですね。しかし、日曜日じゃないですか」
「あ、そっか。でも、誰も入れなくて困ってるんだよ」
「わかりました、仕方がないですね。オープン当日に店員がいないんじゃあ、格好がつきませんよ。それに、店舗のオープンに従業員として立ち会うなんて、滅多にない経験ですし」
「助かるよ。その日、本店の方もバイトがいなくて、ボクはそっちにいかなきゃいけないから」
「いやいやいやいや、社長がオープン当日にいなくてどうするんですか」
「やっぱ、まずいかなぁ」
「そりゃそうですよ。駒場の方には私が行きましょう」
「そだな、ありがとう、ヒラツカ君」
「ヒラサワです」

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というわけで、本郷に進学したからバイトを引退した山手ラーメン、その山手も本郷に進学してくるというので臨時バイトに応募したのだが、何故かオープン当日は駒場店の方に行くことになった。まぁ、近いから良いのだけど。

ともあれ、もうすぐ本郷店がオープンするので、つぶれないうちに皆様ぜひいらして下さい。

今の駒場店のバイト達が本郷に進学して来るまで、つまりこれから半年近くはOB軍団で店を回すことになるので、今年度中は私がコップを割っている姿などを見ることができるかもしれません。


祭典の季節

2010-10-31 10:52:05 | 旬事
 つい先日、笹駅(「塚」ではなく「」)で下車した時に、ショッピングモールを歩いていて驚いた。もう例の飾りつけが行われている。   

 あまりはっきりとは主張していないが、この消費欲を煽る「赤・白・緑」の組み合わせは、紛れも無く12月の例の祭祀を目指したものである。まだ二ヶ月も早い。しかし、それどころか、聞くところによると、9月中旬からこうした飾りつけを行っているところもあるらしい。日本人のフライング具合が伺える。
 そもそも、飾りつけを行う多くの者にとって、キリスト教はあまり関係ない。故に、待降節にも入っていないうちから飾りつけを始めるのである。しかし、宗教と全く関係しないわけではない。これらの行事は、我々日本人のほとんどが信仰する宗教に基づく祭祀なのである。この宗教を、「資本主義市場経済」と謂う。
 「資本主義市場経済」とは、大まかに言えば、個々人のほぼ自由な生産・販売と購入・消費によって経済がうまく回る、という信仰である。多くの国で、前世紀からこの宗教を国教に据え、いくつかの紆余曲折を経ながらも、何とか信仰を保って来た。近年では、建前としては別の宗教を国教としながらも、「社会主義市場経済」という「マリア観音」の如きカムフラージュを用いて、実質上は「資本主義市場経済」へ移行している国もある。

 しかし、キリスト教が「神の恩恵」を前提としているのと同様に、この信仰にも一つの前提がある。それは、「市場規模が拡大し続ける」ということである。
 この宗教では、既存産業の生産効率化と市場規模拡大とが均衡を保つ必要があり、特に者が後者を大きく上回った場合、強烈なデフレと膨大な数の失業者が生まれ、この宗教システムは崩壊の螺旋階段を一気に転がり落ちることになる。飽和した状態の市場に於いて、生産の効率化は従業員の削減につながり、従業員の削減はそのまま市場の縮小となり、市場が縮小すれば従業員を減らすことになる。
 これが生産技術・システムの進歩によって多くの産業で起これば、雇用者たちが資本を蓄積しながら資本主義が破壊されるという矛盾した結末に到るのだ。

 幾度かの危機はあったが、幸いにしてこの宗教が今まで残っているのには、いくつかの原因がある。
 まず、その早期には、市場を拡大する余地が多く残されていたこと。当時、西洋諸国にとっての所謂「未開の地」に市場を求めることによって、その確保のために熾烈な植民地獲得競争を引き起こしながらも、資本主義をうまく育てることができたのである。
 第二に、その中期には、従業員への賃金拡充と手厚い保障によって、購買力・購買意欲のある中間層を育てたこと。これは自動車産業を代表とし、フォード社がこれによって発展し、GM社がこれによって破産に到ったのは、今昔の時代差をよく示す事例である。
 第三に、その後期には、「社会主義」という異教との宗教戦争が続いたことである。互いの欠陥を指摘し合いながら、相手の全体主義に対抗するために自らも全体主義色を強め、それによって社会全体で自由と統制のバランスを確保しようとしたことが、資本主義市場経済教陣営にとってうまく機能した。また、宗教論争を通じて、自らの宗教を盲信するのではなく、ある程度の懐疑心を以って信仰を見直すことができたのも、プラスであったと考えられる。
 そして、全期間を通じて、快楽の開発が普段に行われ続けていることも大きい。新しい快楽を開発することは新しい需要を生み、そこに市場拡大が生まれる。最近の事例で言えば、インターネット産業がその代表格であろう。インターネットが無かった時代でも人間は特に問題なく生きていけたのだが、今ではこれが無いと非常に不便・不快を感じるようになっている。ここに大きな需要が生じ、雇用が生じ、市場規模を拡大したのである。

 これからどのようになっていくのかは分からない。ただ、日本国内について言えば、じわりじわりと市場縮小の闇が迫って来ているのは確かであろう。余程大きな創造・変革がない限り、ほとんどの産業分野に於いては限られたパイの中を食い合う時代に入って来ている。特に百貨店・スーパー・コンビニのようなマルチな小売店は、人口縮小や非正規雇用増加などによる中間層の購買力低下による影響をもろに受ける。
 この閉塞感の中で、何とかして「神頼み」ならぬ「市場拡大頼み」を行うのが、どの宗教にも共通する「祭祀の開催」である。かつて旱魃の度に雨乞いを行ったように、かつて疫病が大流行した時に教会に通いつめたように、資本主義市場経済教でも「神」にはすがらないが「市場拡大」にすがって、多くの祭祀を催す。
 以前から「クリスマス」「お歳暮」「正月」といった祭祀はあったが、近年ではそれらのキャンペーン規模を拡大すると共に、「ハロウィン」「節分」「バレンタイン」といった新たな祭祀を加え、「節分の日は恵方巻」と言った具合に何とか消費を煽ろうとする。
 年々クリスマスの飾りつけが早くなるのも、苦しい現状から何とか逃れるべく、資本主義市場経済教の祭祀を充実させ、それによって「市場拡大」の恩恵を得ようとする努力なのである。

 10月も末になり、オレンジと黒で飾り付ける祭祀をあちこちで見かける。11月は今のところ特に何も無いが(そのうち新嘗祭に絡めて何かキャンペーンが生まれるかもしれない)、資本主義市場経済教の年間行事中最大の祭典である例の祭祀のために、街中で電球や赤白の装飾を見ることになるだろう。
 苦しい時の祭祀頼みは昔も今も変わらない。昔の信仰心厚き人は寺院や教会で祈りを捧げたものだが、今の信仰心厚き人はデパートやレストランで商戦を盛り上げる。一見すると軽薄になったようだが、社会システムの根幹たる宗教を維持するという点では、本質的には変わらない。信ずる者に幸あれ。


縦書きページを作ってみました

2010-10-19 01:42:49 | その他雑記
お 他 横 フ I
持 の 書 ア E
ち ブ に イ で
の ラ な ヤ は
方 ウ っ フ ち
は ザ て ォ ゃ
動 で し ッ ん
作 は ま ク と
を ど い ス 縦
教 う ま と 書
え で す サ に
て し □ フ な
下 ょ □ ァ り
さ う □ リ ま
い か □ で す
ま ? □ は が



よろしくお願い致します

http://quni.biz/ping/den.html

な ソ ド な
か フ コ お
な ト モ
か バ の
興 ン 携
味 ク 帯
深 で 電
い は 話
現 縦 で
象 に は
に な 縦
思 る に
わ よ な
れ う ら
ま で ず
す す