2011年7月、バイア州の田舎の貧しい家から、5人の子供がすべて連れ去られるという出来事がありました。
サルバドールを州都に持つバイア州、内陸部はセルトンと呼ばれる、乾燥地帯が続きます。
この地方は、一年のうちにほんの何ヶ月かしか雨が降らず、農業をするにも牧畜をするにも、厳しい条件のところです。
このセルトン地方のある小さな村で母親が5人の子供と暮らしていました。
父親と母親はすでに別れていましたが、父親は5人の子供の養育費と母親の生活費をきちんと負担し、母親は5人の子供たちの世話に専念することができていました。
母親は末っ子の女の子を出産したばかりだったので、父親が毎日4人の息子達の学校の送り迎えをし、学校で父母会などがあるときには、二人で必ずそろって出かけていっていたということです。
父親はほかの人の畑の大変な仕事を請け負って、休み無く働き、子供たちと母親の生活費を稼いでいました。
そんなある日、この家族の生活が一変しました。
最初に連れ去られたのは、生後2ヶ月の末っ子の女の子。
二人の警官と裁判所の書記官が「裁判所の命令だ」と言って、赤ちゃんを連れて行きました。
母親は「すぐに子供は戻ってくる」ものと考えていたそうです。
その2週間後に今度は4人の男の子達が連れて行かれました。
このとき、7歳の長男は「お母さん、僕を隠してよ。行きたくないよ。」と逃げようとしましたが、警官に捕まって連れて行かれました。
村の中は騒然としましたが、警官が「妨害すると逮捕するぞ。」と人々を遠ざけたそうです。
父親はその後、街の「Censelho Tutelar(児童保護施設)」に行き、何とか子供たちの行方を突き止め、子供たちを取り戻そうとしましたが、逆に職員とトラブルになり、警察に捕まってしまいました。
父親の保釈金5000レアイス(約25万円)を払うために、家族は祖父母の家を売りました。
現在、祖父母は家を買った人の善意で、そのままそこで暮らしていられるそうですが…
このことがきっかけとなり、州の「児童少年保護局」が新たに調査を始め、今回の問題が世間に知られるようになったということです。
裁判所の説明よると、子供たちを連れ去った理由として、「この家族は貧乏で、小さな子供たちにろくに食べ物も与えていない。学校にも通わせずに、毎日働かせている。」という密告があり、そのために子供たちを「救い出した」とか。
この「密告」は事実とまったく異なり、近所の人たちも、子供たちが通っていた学校の先生達も、父親は本当に良く働き、決して子供や母親を飢えさせるようなことはしなかった、母親は、5人の子供たちの服を洗濯したり、子供たちの食事を作ったりして、よく世話をしており、子供達はいつもこざっぱりとした格好で、元気いっぱいな素直な子供たちだったと言っているということです。
この「事件」を番組として取り上げたテレビ局の調査によると、この「養子事件」には一人の女性がかかわっているということが明らかになってきました。
この女性が目をつけた家庭の子供たちについて、女性とつながっていると思われる裁判官が「養子縁組のための命令書」を作成、その「命令書」をもって警官と裁判所の書記官が子供たちを取り上げに行くという筋書きです。
テレビ局は5人の子供たちの行方を捜しましたが、5人の子供たちを「養子」にしたという家族とは、すべて接触ができませんでした。
ブラジルでは、「子供の売買」が大きな社会問題として存在します。
「児童少年保護局」と裁判所は、この事件を「不正養子縁組事件」とし、密告をした女性と「命令書」を出した裁判官を「捜査中」だということです。
5人の子供たちが、せめて養父母のもとで幸せに暮らしていれば良いのですが…
また、この事件が明らかになって以来、この地方で同じ「密告女性」と見られる女性に言葉巧みに誘われ子供を養子に出してしまった人、また女性の誘いを断ると今回のように「裁判所命令」により子供を「連れ去られて」しまった人が何人もいることがわかりました。
今後、この子供たちが親元に帰れるのかどうか、とても気になります。
サルバドールを州都に持つバイア州、内陸部はセルトンと呼ばれる、乾燥地帯が続きます。
この地方は、一年のうちにほんの何ヶ月かしか雨が降らず、農業をするにも牧畜をするにも、厳しい条件のところです。
このセルトン地方のある小さな村で母親が5人の子供と暮らしていました。
父親と母親はすでに別れていましたが、父親は5人の子供の養育費と母親の生活費をきちんと負担し、母親は5人の子供たちの世話に専念することができていました。
母親は末っ子の女の子を出産したばかりだったので、父親が毎日4人の息子達の学校の送り迎えをし、学校で父母会などがあるときには、二人で必ずそろって出かけていっていたということです。
父親はほかの人の畑の大変な仕事を請け負って、休み無く働き、子供たちと母親の生活費を稼いでいました。
そんなある日、この家族の生活が一変しました。
最初に連れ去られたのは、生後2ヶ月の末っ子の女の子。
二人の警官と裁判所の書記官が「裁判所の命令だ」と言って、赤ちゃんを連れて行きました。
母親は「すぐに子供は戻ってくる」ものと考えていたそうです。
その2週間後に今度は4人の男の子達が連れて行かれました。
このとき、7歳の長男は「お母さん、僕を隠してよ。行きたくないよ。」と逃げようとしましたが、警官に捕まって連れて行かれました。
村の中は騒然としましたが、警官が「妨害すると逮捕するぞ。」と人々を遠ざけたそうです。
父親はその後、街の「Censelho Tutelar(児童保護施設)」に行き、何とか子供たちの行方を突き止め、子供たちを取り戻そうとしましたが、逆に職員とトラブルになり、警察に捕まってしまいました。
父親の保釈金5000レアイス(約25万円)を払うために、家族は祖父母の家を売りました。
現在、祖父母は家を買った人の善意で、そのままそこで暮らしていられるそうですが…
このことがきっかけとなり、州の「児童少年保護局」が新たに調査を始め、今回の問題が世間に知られるようになったということです。
裁判所の説明よると、子供たちを連れ去った理由として、「この家族は貧乏で、小さな子供たちにろくに食べ物も与えていない。学校にも通わせずに、毎日働かせている。」という密告があり、そのために子供たちを「救い出した」とか。
この「密告」は事実とまったく異なり、近所の人たちも、子供たちが通っていた学校の先生達も、父親は本当に良く働き、決して子供や母親を飢えさせるようなことはしなかった、母親は、5人の子供たちの服を洗濯したり、子供たちの食事を作ったりして、よく世話をしており、子供達はいつもこざっぱりとした格好で、元気いっぱいな素直な子供たちだったと言っているということです。
この「事件」を番組として取り上げたテレビ局の調査によると、この「養子事件」には一人の女性がかかわっているということが明らかになってきました。
この女性が目をつけた家庭の子供たちについて、女性とつながっていると思われる裁判官が「養子縁組のための命令書」を作成、その「命令書」をもって警官と裁判所の書記官が子供たちを取り上げに行くという筋書きです。
テレビ局は5人の子供たちの行方を捜しましたが、5人の子供たちを「養子」にしたという家族とは、すべて接触ができませんでした。
ブラジルでは、「子供の売買」が大きな社会問題として存在します。
「児童少年保護局」と裁判所は、この事件を「不正養子縁組事件」とし、密告をした女性と「命令書」を出した裁判官を「捜査中」だということです。
5人の子供たちが、せめて養父母のもとで幸せに暮らしていれば良いのですが…
また、この事件が明らかになって以来、この地方で同じ「密告女性」と見られる女性に言葉巧みに誘われ子供を養子に出してしまった人、また女性の誘いを断ると今回のように「裁判所命令」により子供を「連れ去られて」しまった人が何人もいることがわかりました。
今後、この子供たちが親元に帰れるのかどうか、とても気になります。
日本でも連日、尼崎事件の報道やってるよ
日本でも連日、尼崎事件の報道やってるよ
日本でも連日、尼崎事件の報道やってるよ
でも、不思議ですよね、施設に行けば万という子供達が養子縁組を求めているのに、売買されるって・・・。
それとも、奴隷として異国に売られる。と言う事なんでしょうか?
幼子の人身売買。
先日、新聞にブラジル人女性の売買事件も報道されていました。
やはり、就労の場が少ないからですか?
どうして、あんなに殺したの?
で、何で殺したの?
世の中、わけの輪からに人が多い…
もしくは、どこかの「人身売買グループ」か。
この「連れ去られた子供たち」がきちんと養子縁組した家庭にいるのかどうかは、現在調査中です。
もしも、いなければ、「人身売買」の可能性が出てきます。
そうしたルートで連れ去られた子供達は、外国人へ養子として「売られる」か、最悪の場合(昔はよくありました。現在ではどうなのかわかりません。あくまで不確かな予想ですが)、臓器提供者となる可能性もあります。
ブラジルは養父母となる基準が厳しく、養子縁組を望んでいても、裁判所の基準を満たさないために、養子を受けられない家庭がたくさんあるので、裁判官が職権を使って個人的にそういう家庭に子供を斡旋するというケースがあるのだと思われます。
ブラジルって、そんなリストに載ってるの?
それは以外!
ブラジルは、確かに貧しい人もたくさんいる国です。
内陸に行くと旱魃もあります。
仕事の場も限られています。
もしも、ブラジルがハンガーマップに乗る要素があるとしたら…
人々の生活の向上よりも、生活の質の向上のほうが早まってしまったってことかな?
昔は、ある程度の年齢になったら死んでしまったけれど、今は医療の進歩によって寿命が延びた、昔は何人も子供を生んでも、何人かしか育たなかった、でも、現在はみんな元気に育つ、そのため、養わなくてはならない子供の数が増えた…
昔は、道も通わないような奥地の村での生活は自給自足で十分だった、でも、現在は街の情報が流れ込んできて、人々はそれでは満足できなくなったとかね。
「就労の場」というのも、そういう現象と切り離すことはできないのではないでしょうか。
今までは、自分の畑で、自分の家庭で満足だった生活の場が、購買意欲が出てきて、現金をどうしても手に入れたくなったとかね。
現在のブラジルは、まさに「過渡期」なのだと思います。
この「過渡期」がいつまで続くのかわからないけれど、現在のブラジル、特にリオやサンパウロなどの大都市での生活は、かなり欧米の都市の生活と近い、いや、同じぐらいになってきていることは確かです。
ファベーらでの生活も含めてです。