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TOKYOオリンピック物語~ヘベッカ・アンドラ―ジ~

2021年07月30日 | 人間

ブラジルの人気マンガ「モニカ」の作者マウリッシオ・ソウザさんが こんなキャラクターを描いていたよ。

体操競技で銀メダルを取ったヘベッカ・アンドラ―ジさんです。

実はこの後、マウリッシオ これを黒人の女の子の姿に描き替えました。

なんか 私はそちらのほうはあまり好きになれない絵なの...

きれいだったね、彼女の演技。

安定感があるっていうか、体の軸がしっかりしている感じ。

動きもキレがあって、すごく力強かった。

 

ヘベッカはサンパウロのガリューリョス市のファベーラで生まれました。

母は家政婦として働いていました。

市立体育館で働き始めた叔母が「体操教室 生徒募集」の知らせを見、ヘベッカを連れて行ったのは4歳の時のこと。

体操教室に入るための基礎テストを受けている姿を見て、先生たちは「ダイアナ・サントス(世界選手権などで活躍していた体操選手)の再来だ!」とささやきあったそうです。

こうした市などが開催する「体操教室」は、主としてフェベーラの子供向けのもので、ほとんどお金がかからないものです。

このようなプロジェクトは様々な街で行われています。

お金がかからないとは言っても、ヘベッカの家には彼女の他にも7人の兄弟がいました。

それを家政婦として働く母が一人で支えています。

本当に苦しかった時期にはわずかな「教室代」も払えずに、通うのをあきらめた時期もありました。

バス代が払えなかったとき、7歳だった彼女は2時間の道のりを歩いて通いました。

そんな時いつも一緒についてきてくれていたのは当時15歳になる長兄でした。

そのうちに長兄はリサイクル品の自転車を手に入れ、彼女をのせて送り迎えしたそうです。

練習は午前中だったため二人は朝ごはんも取らずに家を出ます。

長兄は彼女の練習が終わるのをずっと待っています。

ヘベッカはプロジェクトでお昼御飯が提供されますが、外で彼女を待つ長兄はお昼ご飯を買うお金もありません。

練習が終わると長兄はヘベッカを学校に送り届け、その後自分の学校に行きます。

長兄は一日一食だけで我慢をしたそうです。

そんな二人の姿に周囲の人たちは様々な援助の手を差し伸べました。

手の空いた先生が何人か交代で送り迎えをしてくれたこともありました。

いつも通るバスの運転手は、彼らの姿を見かけると代金を取らずに乗せてくれたそうです。

経済的に苦しい時に彼女の「教室代」を立て替え、「練習を続けなさい。」と励ましてくれた人もあったそうです。

 

2010年、9歳の時に彼女は体操のコーチに連れられてクリチバに移ります。

その後2012年リオデジャネイロに移り、フラメンゴ・スポーツクラブに体操選手として登録され、現在も同クラブの選手として活躍しています。

22歳という年齢は 体操選手としては遅咲きかもしれません。

フラメンゴ・スポーツクラブに入ってからも、様々な困難がありました。

主なものがひざの故障。

2回のつらい手術とリハビリを乗り越えてきました。

 

経済的につらいことの多かった幼少期、身体的故障で苦しんだ時期。

どんな時期でも彼女は家族や周囲の人たちに支えられてきました。

どんな時でも人が手を差し伸べてくれるのは、結局彼女の人柄なんだろうなと思います。

ペケママ 会ったことも話したこともないですけどね。

 

彼女のとった銀メダル、彼女のものであるとともに 支えてきた周囲の人たちみんなのものなんでしょうね。

いや、周囲の人たちにとっては 金メダル以上のものなんですね。

おめでとうございます!

 

 

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