先日の予算委員会で、安倍総理は、政府が新しい解釈をすれば、集団的自衛権を行使することができるという見解を述べました。集団的自衛権行使に憲法改定すら必要ないという見解です。
「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。」と答弁しました。選挙に勝てば首相が自由に解釈できるという意見です。この答弁は自民党の内部でも問題になっているそうです。同党の総務会でも批判が出たということです。
これまでの政府の決定はまさに正反対のものでした。2004年の閣議決定では次のように述べています。長い文章なので大事なところだけ色を変えておきます。
「憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる」
首相の発言は、歴代政権が、それなりに「論理的な追求の結果」として示してきた憲法解釈を、「今までの(解釈の)積み上げ」として否定し、首相が自由に憲法の解釈を変更できるというものです。 首相は、「選挙で審判」を受ければ、憲法解釈の変更が自由にできるかのようにのべていますが、時の政権が、選挙で多数を獲得すれば、憲法解釈の変更を自由勝手にできるとなったとすれば、憲法が憲法でなくなってしまいます。憲法は政府を縛るためにあるのですから、政府が自由に解釈を変えるのなら、憲法なんて必要ありません。
安倍首相は憲法を否定する暴走を始めたと言ってよいでしょう。このような暴走を許したらこの国はとんでもないことになります。私はこんな暴走に反対です。
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