日々雑記

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靖国神社に行ってきました

2013-05-05 10:50:51 | 日記

連休前に、話題の靖国神社に行ってきました。
私は昭和30年前後、学生時代に靖国神社の近くに住んでいたのでよく知っているつもりの場所です。

正面の大鳥居から靖国神社に入りました。参道を進むと心なしか以前と比べて立派になっています。大鳥居は立派ですし、本殿も、拝殿も堂々としています。何十年もたっているので変化があったのか、なかったのか半信半疑でした。後で調べてみると、大鳥居は昭和49年に再建されていました。前よりうんと高くなっているとのことでした。本殿も平成元年に大修築されたとある。このような大工事ができたのは、まだスポンサーがあるのかと思いました。もちろん靖国神社に祭られた方々の所縁の方の純粋な追悼の基金もあるのでしょう。しかし其れだけなのだろうか。靖国神社を利用しようとする人たちがスポンサーになっているのではないか。―――と心配になりました。

靖国神社のなかにある戦争博物館として名高い「遊就館」に入りました。ここも平成14年に改築、新館を新築したということです。

入るとまず目立つのは、実物を復元した「ゼロ戦」、戦闘機です。その隣は泰緬鉄道で使われたD56型蒸気機関車があります。それに大砲です。泰緬鉄道は太平洋戦争中にタイとミャンマーの間に日本軍が作った鉄道ですが、大量の捕虜を酷使したことから英語圏では「死の鉄道」と呼ばれてるそうです。遊就館の順路をたどっていくと最後の方に武器・兵器の展示室があります。ここには大砲やゼロ戦と並んで、人間を載せて敵の軍艦に体当たりする「特攻機」や、「人間魚雷」も並んでいます。特攻の生々しい様子が想像されて恐ろしい空間でした。しかし、戦争を知らない人たちにはかっこいいとみせる工夫もされていました。

館内では映写室があり、そのひとつが「私たちは忘れない」という映画でした。約1時間かかり、こういう施設での映画としてはかなり長い映画です。内容は、明治以来の日本の戦争を辿るものでしたが、日本がやってきた戦争をすべて肯定するものでした。私にとっては70年前に小学校で習った時の雰囲気で、まさにタイムマシンに乗って70年さかのぼった感じでした。

映画と展示室の解説、遊就館図説に従がって、日本の行った戦争に対する遊就館の考えをたどってみましょう

日清戦争については「朝鮮国が清国に従属していたのでその独立を促した。」とナレーションが流れました。しかしその後、「日韓合併」で日本が完全に支配してしまいました。外国に対する従属がかえってひどくなったことにはなにも触れませんでした。
日清戦争は、朝鮮をめぐって日本と清国が勢力争いをした戦争だったのです。どんなきれいな言葉で飾っても、日本が朝鮮を植民地にしたという現実は否定できません

日露戦争についても、欧米植民地主義に対するアジアの抵抗のように描き出しています。しかし現実はどうだったのでしょうか。日本とロシアが戦ったのはどちらの領土でもない中国の領土・満洲(中国東北部)でした。そうしてこの満洲の支配権をめぐって日本とロシアが勢力争いの戦争をしたのです。中国にとってはどちらが勝っても侵略されただけでした。

満洲事変(昭和6年)、日中戦争(昭和12年)については、「わが国は日露の戦勝で満洲に権益を有していたが、中国のナショナリズムは現行条約にかかわらず外国権益の回収をもとめ、在留邦人の生命財産を脅かした。」と日本を被害者に仕立てています。しかし、よく考えてみますと、日本とロシアが戦争をして、満洲に関する権益を得たとしても、中国が自分の領土で日本に権益を与えたわけではないのです。取り返したくなるのは当然のことなのです。それに応じないで戦争をしかけるなど許されないことでした。
遊就館の言い方だと日本軍が中国の領土に攻め込み、占領した、明白な侵略行為にを正当化することになってしまします。

太平洋戦争については、この戦争が日本の中国侵略、アジア全域に対する侵略に大きな原因があったにかかわらず「自存自衛の戦い」と、ここでもまた被害者の自衛戦争として描いています。

遊就館の考え方は、明治以来の日本の戦争を、事実と正反対に描くものです。朝鮮、中国、アジアに対する戦争をすべて正義の戦争として描き出しています。
このような考え方からは太平洋戦争に対する反省が生まれてくるはずもありません。反省する必要がなくなってしまうのです。 


戦争犠牲者に対する考え方

日中戦争と太平洋戦争で戦死者数は概数230万人と言われていますが、この戦死者に対する謝罪もねぎらいもありません。ただあるのは「玉砕=全滅」「散華=戦死」などの死を美化する言葉だけです。国のため、天皇のため「玉と砕け」「華と散った」ということです。美しい言葉です。まるで戦死者たちが「国のため」「天皇のため」に喜んで死んだとでも言いたいような展示でした。

戦死者のうち靖国神社に祭られているのは246万余だと言われています。その中には敵の軍艦や飛行機に体当たりする、いわゆる特攻作戦で亡くなった人々の遺書もたくさんいます。その人々の遺書も多数展示されています。遺書の中から、当時強制されて書いた「国のため」、「天皇のため」という言葉を除くと、戦死者たちの本当の声が聞こえてくるように思えました。国に残した妻子、父母に対する気持ち、そうして早くこの世を去る残念な気持ちが聞こえてくるようでした。


A級戦犯=「昭和殉難者」

靖国神社にはいわゆるA級戦犯、戦争を企画し指導した人たちも祀られています。東条英機陸軍大将・首相などです。靖国神社では彼らを「昭和殉難者」という名で呼んでいます。しかしこの人たちは決して「殉難者」ではありません。戦争を企画推進し、アジアの人々を苦しめ、多くの日本人を戦死させ、あるいは戦災その他の苦しみに合わせた張本人たちです。このような人々を神と崇める思想を許すことはできません。中国や朝鮮の人が許さないのは当然でしょう。


境内には戦死者の家族や縁者らしき人たちの姿が見えました。また境内の木に付けられた部隊名などの木札を見ながら同行者に説明している人の姿も見ら得ました。この方々は本当に犠牲者を悼んでいるのだと思いました。この方々の追悼の気持ち、あるいは戦時中のご苦労にこたえるためにも、国の指導者が戦争に対する無反省な態度を改め、平和な日本を作り上げることが必要だと思いました。

また日本の侵略に苦しんだ中国や朝鮮の人々、アジアの多くの人々に対してキチンとした反省の気持ちを示し、その気持ちを行動に示すことが必要だと感じました。 




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