なぁーんて、おおげさな題名をつけましたが、秋の一日、横浜市磯子区岡村にある、縄文時代から古墳時代にかけて、古代の人々が5400年にもわたって暮らした跡、「三殿台遺跡(さんとのだいいせき)」へ、男性所長さんを除く、女性職員全員6名で、一日散策へ行ってきたのですよ
三殿台遺跡とは・・・ クリックどうぞ!
京浜急行線の、弘明寺駅から、散策はスタート
‘ 弘明寺の坂 ’ を、一同 元気いっぱいに下っていく。
弘明寺の正面からでなく、坂の途中の横門から入ってしまう。だって、珍しいものを、みなさん次々に見つけちゃったから。
「先っぽが白い、これ松ぅ~」と、6人とも目を見張る
なんとかいう、超早咲きの、小桜らしいです
寺の境内に到着すると、七五三お祝いの親子たちがたくさん来ていらっしゃいました。お清めの水場には、フクロウとゾウさんの石像からお水が・・・こんなお寺、初めて
本堂前には、お線香がたいてある、大きなお寺によくある、煙を体の悪いところに当てると良くなる、っていう場所で、唇に煙を何回も当てて、「口は災いの元・・・なーむー」とか言ったら、私以外のみなさん、ドッと爆笑
主人からも、「おまえ、そんなにしゃべりっぱなしで疲れないか 聞いてるオレは疲れるよー」と言われるお良しでありマス
本堂前から階段を正門の方へ降りる途中に、「身代わり地蔵」様が鎮座。お良しは、昔、母と来た時、お身体をスリスリしてお参りしたっけ・・・。
階段の下には、六地蔵様。
正面 山門の中から、弘明寺商店街を望む。本当は、こちらから入るのが順路デシタ
振り返ると、本堂から降りてきた石段。結構 急
なかなか盛況な、弘明寺商店街。でも、母と来た、十数年前の方が、どこも同じですが、多種多様なお店があって、魅力的で楽しかった気がします。美味しいさつま揚げ屋さんがなくなっていました。なんか、同じようなお店がたくさんありましたね。我らは、数メートル歩くとすぐ現れる、1000円パンツ(ズボン)に、すぐに引っかかって、この散策を計画して案内してくれている方(お良しは勝手に、S観光株式会社 社長と、名づけさせていただき、ご本人から、「じゃあ、お良し、あなたはパシリね!」と、直属の唯一一人きりの部下に任命されてしまいました)が、「なかなか目的地に行きつかなーい」と、嘆く始末。この時、まだ我ら一行は、この後待ち受ける試練の旅 を知る由もありませんでした・・・。OH NO!!
弘明寺商店街の中には、もう営業していない、古ーいお店の建物が数多く残っています。
商店街を抜け、大きな通りを渡り、警察署の前を過ぎ、まもなく左折。こんな大きな欅の木が、歩道に残してある、総合高校前の道を行きます。
『三殿台遺跡』までの道案内がわかりやすく充分表示されておらず、地元の人に道を尋ねつつ行きます。途中、こんな古いお家を見つけて、一同 感嘆 いい雰囲気。お良しのご幼少の頃は、横須賀市西浦賀にも、このような家がありましたよ。
いやぁー、遺跡までの道は、こんな階段だらけでした
階段の途中で、何回も、おうちの外にたまたまいらっしゃる住人の方に道を尋ねる。「まだまだタイヘンですよー。」遺跡への道は本当にわかりにくいから、年がら年中道を聞かれ、「夏は、みなさんこの階段の途中で、ばてて座り込んじゃうから、麦茶をお出しするんですよー。」なぁーんてお宅もあったりして、ここらの方は、道を聞かれるのに慣れていらっしゃるみたい。・・・でも、その先でまーた尋ねなくてはならないほど、遠くて、難しい道順なんデス
お良しは、分かれ道が現れると、一番年下なので、‘ 社長任命のパシリ ’としての任務を遂行すべく、他のみなさんをその場で待機させて、先へ行って、正しい道かどうか確認しに行く! 何回もやりました。社長が、チョコレート入りミント味飴をみんなに3個ずつくださって、それが、即元気チャージ してくれて、お良し、生き返りました
一階段上がって、はぁー 疲れたー。
この眺め だいぶ上がってきたぁ・・・。三殿台遺跡は、標高50mぐらいの高台にあります。
電柱の上の方に、こんな感じで書いてあっても、見逃します!これより高い所に書いてあるところもありました。
みんな、ぐったりして下を向いて歩いているので、上の方に目を向けません。
遺跡への最後の階段。階段の途中にいた年配の女性が、遠くの道にいる私たちに向かって、大声で「三殿台遺跡ですかぁー?」と、叫んで、こっちだ こっちだ と、教えてくださる。
ああー、着いた着いた ヒィー もう一度行け!と言われても、来れないほど複雑怪奇な道のりでした 社長が、私の耳元で、密かに 「ねぇ、良ちゃん、みんな、エライトコ連れてこられたと、怒っているかなぁ・・・」などと、気弱なことを聞いてきた 「そんなこと絶対ないですよ」と、励ます。
その社長が、「ねぇ、世界じゃさぁ、紀元前何世紀も前に、ローマ帝国なんかが、すごーい素晴らしい文化遺産を残している時代に、紀元後だというのに日本はこれよ!」と。
実際に中へ入れます。
内部は、地面が苔かなにかでうっすら緑色で、かび臭い。でも、この木組み、植物のつるで縛って組んでいて、地震や台風でも大丈夫そうです 天井には、明り取りにもなっている、煙り出しの穴が二つ設けてあります。
太い大黒柱。
はり も、太ーい!見事な組みっぷり
この屋根の形は、昭和の初めぐらいまで、茅葺(あるいは藁葺き)屋根のお家と同じで使われ続けたんですものねぇ・・・。すごいなぁ、古代人
遺跡めぐりから、管理棟へ帰ってくると、「みなさん、観終わっちゃいましたか?ご案内しようと、気になっていたのですが、やたら熱心な小学生につかまってしまっていまして・・・」と、資料館長のような方。いろいろと、展示資料を説明してくださって、とても勉強になりました。古代の人たちが、たいへん工夫をして、文明を進化させてくださった延長線上に、現在の私たちがあると、実感しました。
それと、館長さんもおっしゃっていましたが、S社長も、「こんなに立派な、そして時代的にも各地の有名な遺跡に引けを取らないのに来場者が少ないのは、駅から遠いからでしょうねぇ。」。そのとおり、国指定の遺跡なのに、認知度が低いのは、行きにくさですって。三内丸山遺跡・吉野ヶ里・登呂などと、肩を並べてもおかしくないところらしいです。でも、もっと、復元した建物や、出土物の展示場の拡大、休憩所(ちょっとはあります)、何か食べ物を備えた所を充実させた方が良さそう・・・が、お良しの感想。見に来ないのはもったいないと思いました。お話を詳しく伺って、苦労して来た甲斐があった、と思いましたよ。
遺跡を後にして、遺跡内で草刈りをしていた職員さんのおススメの、とんかつ専門店へ、使い切ったエネルギーチャージに向かう。またまた階段を、今度は初めて降りると、音楽ユニット『ゆず』の出身校である、横浜市立岡村小学校前を通過。
社長が、「岡村天神」へ行こう!というので、とんかつ屋は、幸いなことにその近くでした。
お良しは、方向感覚が、子供のころからめっぽう良い方ですが、この日ばかりは、いったい どこをどう歩っているのだか、さっぱりパリパリわからない、脳みそ混乱状態でした
長くなりますので、岡村天神への参拝は、後編へ続きまーす 失礼