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PONY テープ 

2009-07-19 14:00:08 | 特集 石田達郎 石田のお父さん !
テープの時代  天井邦夫    



ポニーキャニオンが設立間もなく、貿易センタービルに本社が置かれ、日の出の勢いだった頃のことです。石田さんに声をかけられました。
「君は、京橋堂の息子と同級生だそうだな。一度紹介してくれないか。」

私がニッポン放送に入社したのは昭和36年ですから、5年位経っていたと思います。私よりも年長の方はご記憶だと思いますが、当時ニッポン放送レコード室のライブラリーは京橋堂から一括購入していました。その京橋堂のおやじさんがなんと「全国レコード販売店連合会(全レ連)」の会長を務めていたのです。
石田さんの狙いがどこにあったのかはわかりません。しかし、ポニーのテープを販売するためにレコード店と親しくなりたいという気持ちは、当然理解できます。
早速連絡をとり、銀座並木通り、三笠会館地下のレストランで、石田さんと若造2人のミーティングが実現しました。




「レコード盤の時代は終わり、これからはミュージックテープの時代になる。
君もテープの事業を始めたらどうか。」

石田さんの熱のこもった話に、京橋堂の息子、我が大学の同級生、荻原君は夢中になりました。そして京橋堂の地下に仮事務所を作り、日本テープという販売会社をスタートさせたのです。
石田さんの言葉通り、事業は順調でした。カーオーディオの普及、ウオークマンの発売も手伝って、日本テープは発展を続けました。そしてついに9階建ての自社ビルを建築するまでに成長しました。あのバブルが崩壊するまでは。



先頃、荻原君は全ての仕事を辞めて引退しました。同窓会で会ったときに彼の人生についていろいろ聞きました。荻原君は、今でも石田さんに対する感謝の気持ちを持ち続けていました。彼が悩んだとき、挫折したときに、いつも石田さんの笑顔を思い浮かべて勇気を奮い起こしたそうです。
石田さんが亡くなられてから19年の間に、カセットテープもビデオテープもメディアとしての寿命を終えました。いつの間にかiPodやブルーレイの時代に入っています。でも石田さんこそがあのテープの時代を象徴する存在だったと思えてなりません。

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