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~ 未だに達成されない5000億産業 ~ 中村 朗

2009-08-21 14:39:34 | 特集 石田達郎 石田のお父さん !
特 集 「石田のお父さんを偲ぶ」

石田さんの思い出

~ 未だに達成されない5000億産業 ~


            中村 朗

1970年(昭和45)3月11日、朝日講堂(現有楽町マリオンの場所に
あった)を満員札止めにした石田さんの″ビデオソフト5000億円産業″
演説が、わが国のビデオ産業の口火を切り、各社(200社?)の参入ラッ
シュを招いた(実は、10年も続く悪戦苦闘の幕開けであった)ことは、
今や伝説と化しているが、これはそれに先立つミュージック・テープで成功
した、石田さん一流の「先手必勝」の典型であった。




 演説当時、VTRは2分の1インチ・オープンリールの「統一Ⅰ型」(モノ
クロ)が発売されたばかりで、カラーのオープンリールはソニー、松下など
数社が規格まちまちで発売寸前。待望のカセット型は4分の3インチの再生
オンリーが、ソニーから来年末に発売と発表されていた。
VTRの所帯普及率は、零といってよかった。
 こうした中で7月1日、ポニー・ビデオ第1回17作品が発売された(纏っ
たビデオソフトの市販は、国内はもとより世界でも初めてだったと思う)。
ゴルフから古典落語、料理教室から虫プロのアニメまで、バラエティーは豊富
だった(年末には90作品を越えた)が、その価格は30分3万円。大卒男子の
初任給が4万円弱の時代である。更に「歌劇カルメン」(3本組18万円)、
「太陽がいっぱい」(10万円)などもあった。




その年末までに100本売れた作品があったか ? 無かったか ? ゴルフや
アダルトものが業務マーケットで多少動いた程度で、大半はハードメーカーの
デモ用の需要に依存した。
 ハード機種の規格の不統一が足を引っ張った。ソフト市場の規模はハードの
普及率如何によることは明らかであった。
 75年にソニーがベータマックスを、77年に松下がVHSを発売して、2分の1インチ・カセットの時代が始まり、ソフトメーカーが順次値下げに踏み切り、81・2年ごろようやく多少市場らしくなる。

ところで、石田さんの「5000億円」は、その後40年を経て、今日まで一度も達成されたことがない。04年に3000億円を僅かに越えたのをピークに、昨08年のソフト売上げは、2860億8800万円である。(日本映像ソフト協会)

 しかし、いずれにしろ、今日ポニーキャニオンが
ビデオソフトのトップ企業をつづけているのは石田さんのお蔭である。

 私はニッポン放送在籍中は、石田さんとほとんど接触はなかったが、ビデオの始まりから石田さんに呼ばれて20年余り、いろいろな場面で石田さんの
人間性に接した。思い出は尽きないが、石田さんが晩年、ビデオ産業の進展を見とどけた後、次なる関心事として、
① 東京国際映画祭の拡充 
② ハイビジョンの普及
③ 札幌国際映画学校の設立に、情熱を注がれておられたことを知り、

90年7月の急逝を、心から残念に思った。

石田さんの先見性と実行力が、日本の映像文化の発展に生かされなかった
ことは、わが国の損失であったと思っている。

「アメリカン・フィルム・マーケットアソシエーションの役員会で、ビデオ産業構想をプレゼンの石田さん」(渡辺省吾さん提供)
以 上

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