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記憶を受け継ぎ再生 歌舞伎座2013~∞

2010-04-28 14:58:37 | エンターティメント情報
記憶を受け継ぎ再生 歌舞伎座2013~∞


2013年春。歌舞伎座(東京・銀座)は再開場する。設計者の建築家、隈(くま)研吾さんが心掛けたのは「継承」だ。
 「歌舞伎座は単なる劇場ではなく、都市に開かれた祝祭空間です。箱形の建物ばかりが並ぶ都市の中で、タイムスリップしたような気分を誘う瓦ぶきの大屋根。そのシンボル性は継承しなければいけない。白い壁も含めて、現在の建物の雰囲気を、できる限り残すようにします」と話す。
 松竹は劇場と合わせて、29階建てのビルを建てる。歌舞伎座の風貌(ふうぼう)が変わってしまうのではないかと心配する声もあがっている。そうならないように、隈さんはビルを後方に下げ、劇場を独立した建物のように見せるデザインにした。「正面から見た感じは、いまと変わらないと思います」と言う。
 隈さんはこの建て替えで、新しい時代の建築のありかたを示したいとも考えている。
 「20世紀は、建物を壊して新築するか、保存するかのどちらかだった。でも21世紀は、建物の時間や記憶の蓄積を継承しながら新しく造りかえるということが、一つの目標になると思います」。歌舞伎座では、建物を解体しながら使える部材を選び、できるだけ多く再利用するという。
 文化資源学が専門の東京大教授、木下直之さんは、この考え方を「古い建物を引き継ぎつつ、乗り越えてゆく発想が新しい」と評価する。
 「重要なのは、外観だけでなく、そこにあった人間の営みをどれだけ残せるか。特に歌舞伎座は、多くの人の記憶が交わる場であり、親子代々、芸を受け継ぐ俳優の生き方と建物が結びついている存在でもある。変化を続ける銀座の街の中で、新しい歌舞伎座が、界隈(かいわい)のにぎわいも含めた場を再創造できるとおもしろいですね」
 28日が千秋楽の「御名残(おなごり)四月大歌舞伎」では、父・子・孫、3代の共演もある。歌舞伎は「人が身体で伝えてきた世界でも珍しい演劇」(河竹登志夫・早大名誉教授)だ。
 多くの先人と長い時間が培った表現を、現代の俳優たちが受け継ぎ、乗り越えながら、再創造してゆくのが伝統芸能だ。その器である歌舞伎座もまた、積み重ねた記憶を継承しながら、未来へ向かってゆく。
■魅力の発信 劇場外にも
 新しい歌舞伎座にはエレベーターやエスカレーターが設けられ、客席なども改良される。舞台や約2千の客席など規模は現在とほぼ同じ、安価な「幕見席」も残すという。
 「歌舞伎」の発信にも力を入れる。地下鉄東銀座駅と直結した場所に、江戸文化を紹介する地下広場を造るほか、劇場には資料の展示施設などを併設。若者や国内外の観光客に、気軽に歌舞伎の魅力に触れてもらう。劇場の外側にも売店などを並べ、街とのつながりを強める計画もある。
 松竹の演劇本部長、安孫子正専務は「海外では、古典劇は国などの支援で成り立つのが普通。でも、歌舞伎座の公演は、お客様の入場料ですべてを賄っています。興行と古典の伝承を両立させるのが私たちの使命。新しい歌舞伎座では様々なやり方で、次の世代の観客を育むことにも力を入れたい」と話す。
 休場中の3年間は、東京では新橋演舞場を中心に、明治座などでも歌舞伎を上演。大阪、京都、名古屋などでの公演も増やす予定だ。


2. 米海兵隊の新兵訓練がドキュメンタリーに 渋谷で上映中

 米国海兵隊の新兵訓練をとらえたドキュメンタリー映画「ONE SHOT ONE KILL 兵士になるということ」が、東京・渋谷のアップリンクで上映されている。以後、名古屋、大阪、札幌などで上映する。
 監督は、土本典昭監督の下で助監督を務めた後、沖縄・辺野古の米軍基地移設反対運動などを追い続けてきた藤本幸久。「日本の同盟国とされている米国の軍隊のことをもっと知らなければいけない」。
 海兵隊入隊の動機を語る若者たちのインタビューから、新兵が厳しい訓練を受けてマリーン(海兵隊員)として卒業する姿までを収める。藤本監督は「どうすれば普通の若者が人を殺せるようになるのかを探った」と話した。


3. サンローラン回顧ファッションショー

パリ市立プティ・パレ美術館で、2008年に亡くなったデザイナー、イヴ・サンローランの回顧展が開催されている。
 この展覧会では、通常、美術館で展示されることの少ないファッション作品を美しく見せるために工夫が凝らされている。サンローランの作品が展示されている最初の大きな展示室は、通路の両端にキャットウオークのような通路が設けられ、その上から服を着たマネキンが観覧者を見つめている。あたかもファッションショーのような趣向だ。最後の展示室は色鮮やかなイブニングドレスばかりを集めた豪華なスペクタクルで、まるで「マイ・フェア・レディ」の映画セットのようだ。
 サンローランは主に富裕層向けにデザインしていたが、一般の人たちのファッションにも目を向け続け、女性のワードローブに新しい風を送り込んだ。
 1950年代後半にディオールの主任デザイナーに任命されるとすぐに、エレガントなコレクションを完成させた。
 71年の春夏コレクションは物議を醸した。カムフラージュとグリーンフォックスのオンパレードで、コラムニストは売春婦向けの服だとこぞって非難。商業的には大失敗だったが、その後これがサンローランの特徴となった。
 同じ年、男性向け香水のポスターで自らヌードとなった。ジャンルー・シーフが撮影したこの広告はパリジャンにショックを与えたが、サンローランは評判を呼べばどんなものでも良い宣伝だと考えていた。
照明を落とした展示室では、サンローランがテレビのインタビューに応えるビデオが流されている。最も尊敬するのはシャネル。お気に入りのアーティストはピカソ。あこがれはビートニクと彼は話している。
 女優のカトリーヌ・ドヌーヴはサンローランのミューズ(女神)だった。ドヌーヴはサンローランのデザインした衣装で映画「昼顔」(1967年)に出演。その時の写真とともにドレスとパンプスを収めたラックが展示されている。
 もちろんこれらは本物のファッションショーに勝るものではないが、サンローランが亡くなった今、この展覧会は彼を知る最善の機会といえるだろう。サンローランの人となりが強烈な印象を残し、彼の重要性を知ることになる。
 「イヴ・サン・ローラン」展はパリ市立プティ・パレ美術館で8月29日まで開催。詳しくはサイトまで。www.yslretrospective.com(ブルームバーグ Farah Nayeri)