平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演

2010-07-09 | スピリチュアル

Dalai_lama1 Dalai_lama2

先月 6月26日に パシフィコ横浜 展示ホールで開催された 1989年にノーベル平和賞を受賞された チベット仏教の最高指導者である ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演会に行き 以前からずっとお会いしてみたかったダライ・ラマ様を拝むことができ大感激。

開場8:00
法話10:00~12:00 縁起賛と発菩提心
The Virtue And Practice of Connectedness and Generating a Kind Heart

講演14:00~16:00 『幸せの本質』~共生と共存の未来へ向けて~
The Essence of Happiness and a Healthy Co-Existence

13:00~14:00 ステージにて日本・韓国・モンゴル・台湾・チベットなどの僧侶による声明・お祈りなど

 お弁当持ちで(駅で崎陽軒のシウマイ弁当を買っちゃった♪) 朝から夕方までのイベントでしたが 時間の長さも感じることなく 通訳を通じてダライ・ラマ法王のお話に耳を傾けました。

開場が8時というほどだけあって 10時の開演ぎりぎりに行ったら 大行列で荷物チェックもあり なかなか入れず やっと席にたどりついた時には10時20分ほどになってしまい法話の途中からになってしまいました^^;

Dalai_lama8 Dalai_lama3 Dalai_lama4

法話の中で(もちろん通訳ですが )仏教用語の「空」「縁起」「涅槃」「解脱」「菩提」「智慧」「無明」などなどの意味をきちんと理解していないために単語だけが頭をかすめていきました。  たびたびでてくる チベット教や仏教を学ぶ上で重要である  「」(くう)とか「縁起」という言葉も これをきちんと理解できれば悟りが開けるとのことのようで 、

「すべてのものは何かに依存して存在しているという「縁起」と すべてのものに実体はない「」は 実は異なるものではなく「縁起」しているが故に「」である」???

縁起を見ることで 無明(無知)を滅することができる」???とか「因果の法則」などなど・・・(意味がわからなくてごめんなさい。。。)

ダライ・ラマ法王は お釈迦様の教えとして できるだけわかりやすく説明をしてくださっているようでしたが やはり理解することは難しかったです。今こうして私が書いている内容さえあやふやです。。。 「菩提心」という言葉も今回初めて知りました。

Dalai_lama 五蘊皆空(ごうんかいくう)についてもすべてが「」ということではなく実体がないだけで本質は存在するとおっしゃっておられましたし、
戯論を寂滅(けろんじゃくめつ)することができれば 解脱し悟りを開くことができるというようなこともおっしゃっておられました。

「 宗教(神とか仏)心を持っていても 無神論者であっても 一人一人が良き同じ人間であり 人として愛や思いやりを高め 慈悲の心を持つことが必要」

「信仰する宗教が違ってもそれぞれの教えに尊敬の気持ちをもつことが大切である。しかし異なる部分もあるので 共通する部分だけを学べばいいと考えている。」

という言葉に 何故かマザーテレサの言葉が重なりました。

やはり「愛」や「忘己利他」の精神が大切であるのは 無宗教の私からしても どんな宗教でも思想に相違はあっても 根っこの部分は同じなのではと思うのです。(やっぱり「愛」だなぁ~♪) また 

「仏教は学ぶことが重要で 例えば般若心経も唱えるだけではなくきちんと意味を学ばなければいけない」 

と繰り返しおっしゃっておられましたが 宗教という前に まず哲学し、学ぶ姿勢そのものが人間性を磨くことにつながり ただ祈るだけという信仰心だけではなく きちんと勉強しなければ悟りなど開けないのだなと思いました。

正直言ってほとんど 意味はわからなくても ダライラマ様を拝めただけでもとても嬉しい気分になりました♪

お昼には 各国の僧侶たちの声明やお祈りなどのステージもあり 法王様もずっとステージにいらしてお聴きになられ 出演なさった僧侶の方々も法王様に会えて感激なさっているようでした。

Dalai_lama6 Dalai_lama5 Dalai_lama7

今日 チベット教が 亡命政府でありながらも 世界中の人々から注目&崇拝されるのは 宗教であること以上に 法王様の深い智慧と心の琴腺に触れる慈愛や型にはまらない広い知識と話術、そしてユーモアにあふれるお人柄も大きな魅力になっているからではと 講演後の質疑応答での 法王様の回答を聴いて改めて思いました。

私の頭の中では 「色即是空」「空即是色」のほかに「五蘊皆空」「戯論寂滅」という言葉がしばらくぐるぐると回っています。。。(笑)


サプライズゲストで 渡辺貞夫さんが法王様の前でサックスを演奏してくださり びっくりでした♪

また 昔 初めて ラサのポタラ宮をテレビを見たとき ん?あたし ここに行ったことある・・・と思い(あるわけがないのだけど) それ以来 自分の祖先はチベット人なのかもしれないと 勝手に思い込んでいるので 今回 初めてダライ・ラマ法王様を生で拝見して 母方の祖父(お寺の住職だった)にそっくり!!!・・・というか瓜二つ(笑)!!! でびっくり!!!やっぱり ポタラ宮はデジャヴだったのかも。。。!?と またまた 思い込みが始まってしまったのでした。。。

いつか チベットのラサを訪れたいという夢は持ってはいますが  昨年12月に 上野の森美術館で開催された「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展を鑑賞して 今のチベットは中国政府の支配下にあり 借り物(盗品)文化の偽りの「観光チベット」になってしまったのだということを改めて感じ 訪れる意味がないようにさえ思ってしまいます。

インドで亡命政権を樹立している ダライ・ラマが再びチベットに戻ることができ チベットに平和が訪れてくれればいいなと 祈らずにはいられません。   合掌     

  

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美輪明宏さん 音楽会 ~愛~L’amour

2010-02-26 | スピリチュアル

Miwa 先週の木曜日。次女と一緒に 美輪明宏さんの音楽会 <~愛~L’amour> にでかけました。

次女も私もオーラの泉のファンでしたので 一度は行ってみたいな~と思っていたところ たまたまチケットを割引で買えたので♪ しかも一階席の9列目でオペラグラスがなくても大丈夫♪ 

娘いわく。。。(小さな声で)

三輪さんも そろそろお歳だから。生三輪さんを今のうちに拝んでおかないと。。。声もふるえているし。。。

でもまだまだとてもパワフルですし 生きている時から菩薩様のようですけど(笑)。

また とても70歳を過ぎた方の声量ではありませんし 音楽会というより 三輪ワールドどっぷりの舞台とかお芝居といったカンジで お客様も50代以上のご婦人方が多く こちらも三輪ワールドどっぷりなカンジでした(笑)。

娘いわく。。。(小さな声で)

三輪さんが・・・というより この会場のおばさまたちの雰囲気が 三輪さま宗教みたいなオーラが会場全体に漂っていて ちょ~コワイ・・・  

確かに。。。(笑) しかも幕があがると 三輪さんの美しい優雅な姿とともに 舞台の演出で お香の香りが 花いっぱいのステージから会場へと漂い・・・ 

うぁ・・ お葬式みたい (生前葬?的な。。。)

でも多分 うっとりなさる方がほとんどかと思われ。。。わぁ~きれい~なんていう声があちらこちらから。。。

っていうか おばさまたち うるさかったんだけど・・・(音楽会終了後の娘のつぶやき)

歌と歌の間に長~いMCがあり 歌の解説やオーラの泉っぽいトーク、トーク、トーク! 6時半開演で終わったのが9時45分!びっくり。。。

ヨイトマケの唄も生で聴けて 感激でした。

それから 愛の賛歌は フランス語の原詩で歌い 歌の前に原詩の日本語訳の朗読があり おなじみの日本語の歌詞とはまったく違うことを知りました。

シャンソン歌手でいらっしゃるだけに やはりシャンソンは素晴らしかったです。

日本語の歌は歌というより 演出家というか 表現者の舞台のようで 特にヨイトマケの唄祖国と女達(従軍慰安婦の唄)などのように 三輪さんご自身が作った歌は 歌詞そのものに戦中戦後などの時代背景が重なり 三輪さんの様々な経験から生まれたメッセージ性が高い作品なので 説得力もありますし 歌い方のすごさや パフォーマンスにも引き込まれてしまうのでした。

男性でもあり 女性でもあり それをきっちり切り替えて表現なさる才能の素晴らしさもまた 三輪さんの魅力であると思います。(男性より男性的な力強さと迫力、女性より女性的な魅力があり 中性的というのとも違うのです)

オネエマンでも ゲイでも オカマでもないのよね。。宝塚の男役の反対みたいな感じ? 

最初に 「今晩は 江原啓之でございます」なんて ご挨拶なさっていましたが(笑) うちのパパが仕事帰りにホールの入口で9時頃から私たちが終わるのを待っていたら 江原さん(多分・・・)がジーンズ姿で入っていったよ。と後から聞いて  生江原さんも拝ませていただきたかったな~と思いました(笑) 今度は江原さんのスピリチュアル講演会に行ってみたいです。  

にしても 江原さん いらっしゃるのが遅過ぎなんじゃ。。。

さて。。。

  また明日からも頑張りましょう (三輪さんからのお言葉)

\
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カオスとコスモス (ガリレオの夕べに思う。。。)

2009-11-05 | スピリチュアル

Moon 混沌・・・って何だろう

般若心経も読めるし
主の祈りもささげられるけど
どちらの意味もよくわからない

ののさまも かみさまも
私にとっては違いはなくて
その存在こそ
宇宙そのもの 
あるいは
宇宙エネルギーなのかもしれない。・。・。

藍より青くもなりたくないし
朱に交わりすぎて蒼くならない程度に
ワガママに生きていたい

混沌こそ 
自然の姿そのものにも思えるから・・・

人間 が カオス で
神や仏と呼ばれるものが コスモス
っていう考えはどうかしら。

けれど 実は
混沌にも秩序(不規則という規則?)があり
秩序があると思ったものが 
実は混沌だったり・・・

      ○▲□×●。・。・。???

う~~ん ランダム♪  
         
           ・・・えっ?(笑)

(写真は 10月27日の木星がランデブ~の天体ショー。月齢 9.27 ジュピターとガリレオ衛星の夕べ♪ )

 * 2009年11月の天文現象 AstroArts *


カオス理論。
バタフライ効果。

きっと
すべての始まりは偶然。

そのちょっとした偶然や 
初期値の違いが大きな差を生む・・。

腐ったものを食べるか
美味しく発酵したものを食べるか

Shakespeare1 はたまた
To be, or not to be, that is the question。。。
(生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ。)

う~~ん ブルータス、お前もか・・・。

            ・・・えっ?(笑)

       ○▲□×●。・。・。?

    だって エントロピぃ~(でたらめ)(笑)~♪

こんなはずじゃなかった・・・
なんていう人生だって 
結果的には良かったりすることもあるし。

思い通りにならないから 人生って楽しいのかも♪

*******************

Corpusclock1 ← スティーブン・ホーキング 博士が発表した(製作者はジョン・C・テイラー博士) 針のない時計、コーパス・クロック(Corpus Clock)。上部には時間を食べる怪物「Chronophage」(「時間を食べる者」の意)が 世界最大のグラスホッパー・エスケイプメント(脱進機)(18世紀にジョン・ハリソンによって発明された)として時計を動かしている?時間を食べている? この夏 娘がケンブリッジ大学に短期留学をした時の写真。ケンブリッジ大学コーパスクリスティ校のテイラー図書館の外にあるそう。(といっても 普通に街中にあるようです) 宇宙に想いをはせながら「時」の意義を考えたくなりますね。。。

Shakespeare 娘がUK(イギリス)観光で気に入った場所は ウィリアム・シェイクスピア の故郷、ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)。 シェイクスピア グッズをたくさん買ってきました。 写真は シェイクスピアの生家

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忘己利他(もうこりた)~比叡山 延暦寺~

2009-01-29 | スピリチュアル

Enryakuji5jpg悪事を己に向かへ 好事は他に与へ 己を忘れて他を利するは 慈悲の極みなり。

(悪事向己、好事与他、忘己利他、慈悲之極)

伝教大師・最澄  「山家学生式(さんげがくしょうしき)」 一隅を照らすこれすなわち国宝なり。 より)

Enryakuji2 Enryakuji3jpg

Enryakuji1_2 昨秋 11月末、かねてより 一度は訪れてみたかった天台宗総本山 比叡山 延暦寺を訪れることができ 不滅の法灯が輝く根本中堂でお参りをし、鐘楼をついて1200年もの歴史に思いをはせながら いにしえの響きに耳を澄ませ 瞳を閉じ こころの眼を開いて手を合わせました。

二年ほど前 横浜みなとみらい ランドマークタワーとドックヤードガーデンで開催された「横浜あかりアーツコラボレーション2006 悠久の聲(こえ)~高野山・比叡山の声明~」というイベントで聞いた 二大霊山の声明 に深く感動し 思わず天台声明のCDを買い求め聞き入ってしまったのでした。また、昨夏 熊野古道を歩いて 473段の石段を登り 那智大社と隣接する天台宗 那智山青岸渡寺を訪れた時声明 が流れる本堂でお参りを終え、ふと境内を見ると 滋賀ナンバーで金色の菊の紋をつけた一台の黒塗りの車がとまり 高名そうな僧侶が・・・。その時 もしかしたら延暦寺の僧侶でいらっしゃるのかしら・・と声明の響きとともにずっと気になって そうだ!イツカ 比叡山に行こう!と思っていたのです。。。(笑) 時間の関係で 根本中堂がある東塔しか行けませんでしたので いつかまた訪れることができたら西塔横川元三大師堂(おみくじ発祥の地)もお参りしたいです。

Enryakuji4jpg Enryakuji7jpg Enryakuji6jpg  

天 それは宇宙であり空

 それは地球であり星

空と星の間に私たちは生かされている

私は無宗教ですが 神や仏と呼ばれているのものは 宇宙エネルギーではと勝手に思い込んでいます。また神や仏など宗教といわれるものに必ず「」が表現されるのは もしかしたら 宇宙というより 私たち地球の生命にとって その光はかけがえのない太陽の「光」のエネルギーだとも思えるのです。この世に生を受けたときから光の中で生きている。生かされている。

けれど 死ぬときも 暗いトンネルをくぐってまばゆいばかりの「光」の世界へ導かれるのはなぜだろう・・・。出生の瞬間の記憶?がよみがえるのかな・・・?それとも 肉体を失っても魂とよばれる生命のエネルギーは 不滅の法灯のようにこの世界の「光」の中に居続けることができるのかな・・・?あるいは 肉体がないのだからより自由に周囲のエネルギーの中で一緒に漂ったりできるのかな・・・?

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶・・・

自分を燃やしながら輝く太陽のように、あるいは 光るろうそくのように 自分を燃焼させて努力をすれば光が生まれ その光(エネルギー)は少しずつ大きくなり、自らを輝かせるだけでなく ほんの少しでもその光の輝きを誰かにあたえられることができるのかもしれない・・。そしてその「光」(エネルギー)は輪廻のように受け継がれていく・・・。

  色即是空、空即是色・・・ 

とりとめもなくそんなことを考えながら 太陽の光の恵みの中で 一隅(いちぐう)・・・、今 自分のいる場所や立場を照らして 日々に感謝して生きていきたいと思う。(反省ばかりで、忘己利他(もうこりた)どころか もう懲りた!の毎日ですが(笑)。。。)

*Life is a journey towards the guiding light.....

Duo 延暦寺を訪れた二日後の 11月29日に 大~好きな辻仁成さんの 新しいバンド ZAMZA N'BANSHEEザムザンバンシー)の初ライブが 渋谷の duo MUSIC EXCHANGE であったのですが 辻さんが 延暦寺 根本中堂の黒檀の念珠をなさっていらしてびっくり。また 雑誌 STORY(ストーリー)2月号の特集や辻さんのHPの愛情路線で 私が訪れた少し前の11月半ば頃 意外にも!生まれて初めて(これも同じ~(笑)) 辻さんが文壇上の母と慕う瀬戸内寂聴さんのゆかりの地である延暦寺を訪れたことも後から知り 

Omamori1根本中堂で開眼。そして元三大師堂で大師の魂と会いました。来年はその力をお借りすることになるでしょう。 元旦の三日に手を合わせます。」(愛情路線」より)

とおっしゃっていらして、この偶然に一人で(笑)感動。しかも 私も 根本中堂で黒檀の御守りを買っていたのでした。。。(私の鬼門(北東)はどこになるのかしら。。。?(笑))

またザムザのライブで 辻さんの魅力にうっとりした後、辻ファンの方々とも久しぶりにお会いしたり お話をしたり楽しい時間を過ごせ 同じもの 同じ人に惹かれる人同志というのは感性のつながりもあるのだなあ・・と勝手に思い込んで嬉しくなってしまうのでした(笑)。

この秋は 延暦寺 佐野厄除け大師 湖東三山(西明寺 金剛輪寺)などで 延暦寺の中興の祖としても知られ、厄除け大師として全国の信仰を集めている 辻さんがその魂と出逢ったとされる天台座主でもある元三大師(良源)様をお参りする機会が偶然にもいくつも重なり 私も思わず 良源さまのご命日であるお正月三日に手を合わせたのでした。。。 (この話題ばっかり(笑)~♪)

二月のザムザのライブと、この春 公開予定の アントニオ猪木さん主演 辻仁成監督映画 「ACACIA」も楽しみ。。。♪

アカシアの花が咲き出すころ
あなたを思い出す
アカシアの花を掌に乗せ
Akasia0_2 巡りゆく時を思う

日々は過ぎ去り 過去は遠のき

恋はうつろい 夢が色褪せても
アカシアの花が生きることの
ささやかさ伝えている
荒れ地に根を張りつつましく咲く
花びらに笑みがこぼれる・・・

        (辻仁成 / アカシア より)

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母の一周忌に薔薇風呂を・・・

2009-01-12 | スピリチュアル

Rose0 昨年の秋にさかのぼって 日記を書くとすると やはり 昨秋母の一周忌を迎えたことが一番のできごとです。

一昨年の10月に急逝した母の一周忌と父の七回忌の法要を無事に終えた9月末の夜のこと、翌日から沖縄 八重山諸島めぐりへの 遅い夏休みの旅行の予定で 慌ただしく支度をしていたのですが 台風15号の影響で石垣島空港が閉鎖されてしまいツアーの中止のお知らせの電話が届きました。

仕方がないので 翌朝 熱海&箱根に2泊旅行へ。こちらも台風の影響でお天気も悪かったので ホテル(ホテルニューアカオ ロイヤルウイング)内のハーブ&ローズガーデンの散策と 夜は海の幸のごちそうと温泉で のんびりとした遅い静かな夏休みを過ごしました。

Akao1 Akao2 Akao3

Sengokubara_1 一昨年 母が亡くなる前日も 箱根の温泉を訪れて 仙石原の美しいススキ野原を見ながら 近いうちにもう一度母を連れてきて 二人で温泉につかろうと思ったのに 帰宅した翌日 自宅のお風呂で倒れてしまった母の姿を思い出しながら・・・。

ホテルの露天風呂ではたくさんの真紅の薔薇の花を浮かべた「バラの露天風呂」を独り占め。(外国人団体の宿泊客が多く、温泉に誰もいない) 午後3時の薔薇を入れたばかりの時も 午後9時ごろ入った時も一人だけだったのですが 数時間も熱いお湯につかったままの薔薇の花はもうしおれてきているかな・・・と思いながら露天風呂に行くと・・・真紅の薔薇がまるでビロードでつくられた花のように さっきより花弁をしっかりとさせて浮かんでいてびっくりしました。温泉効果なのか・・熱いお湯の温度のせいなのか・・・不思議。。。(しおれたレタスなど お湯につけるとパリッとするのと同じ理屈なのかな・・・?) 

このとき たくさんの薔薇の花と香りに包まれて あまりに素敵な気分になったので 最期まで元気なままお風呂で亡くなった母のために そうだ!母の命日にはバラ風呂にしようと思ったのです。

そして 10月の命日。 次女と二人でお風呂に入り、バラやユリの花を浮かべ、母の供養をしました・・・。

Rose1 Rose2

一周忌というひとつの節目を迎え ようやく少しずつ 少しずつ母との様々なことが 悲しみから楽しい思い出にかわっていき こんな供養のカタチでも 私たち家族の心に確かな変化がうまれるのでした。

けれど・・・変わらないのは 思いだす母の姿は いつまでも咲く花のように 元気いっぱいの姿のままであること。

そして それがわたしのおかあさん。

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おくりびと おくられびと

2009-01-11 | スピリチュアル

昨秋 観た映画 滝田洋二郎監督 本木雅弘さん主演の映画「おくりびと」が 「第82回キネマ旬報ベスト・テン」や「第30回ヨコハマ映画祭」の第1位に決まりました。

職を失ったチェロ奏者が納棺師の仕事につき 戸惑いや 家族や周囲の偏見に迷いながらも納棺師として 人間として成長していくストーリーなのですが 昨秋 母の一周忌を迎えた私にとっては観ずにはいられない映画でもありました。久石譲 さんの叙情的な音楽も素晴らしかったです。

 久石 譲 - 「おくりびと」オリジナルサウンドトラック  久石 譲 「おくりびと」オリジナルサウンドトラック

本来ならタブーとされているテーマでもあると思いますが、やはり身近な家族の「死」を経験した人であるならば 人間の最期をこれほど丁寧におくりだしてくださる方がいることに 深い感謝を感じるのです。

なので 私もあえて「家族の死」について ここに記しておこうと思います。

37jpg 私にとっての 最初の家族の「死」は 高校生の時に自宅で亡くなった祖母で、人間の死の瞬間というものを生まれて初めて目の当たりにしました。生前祖母が 人は死ぬと土色になるのよ・・。という言葉の通り・・・ 往診してくださった医師から臨終を告げられる直前・・・それまで昏睡状態ながらもアゴで大きく呼吸をしていた祖母の息がだんだんと小さくなり 消えていくように静かになった瞬間・・サーっとまるで血の気がひくように 顔色が黄土色になったので(貧血の人が蒼白になるような感じで色が違う)・・・まるで 祖母が「土色」とはこういうことなのだと、人が「死ぬ」ということを教えてくれたようで 医師に告げられる前に臨終の瞬間わかるのでした・・。

核家族化や医療・福祉の発達(入院・入所など)でこうした人の死を身近に見ることのない子供や大人が増え 「命」の大切さや「死」とはどういうものかを実感する場面がないことが 自殺者や死んでも生き返ると信じている子供が驚くほど多いことにもつながるのではと思うのです。

祖母の臨終後はお医者様がその場で処置をしてくださり、 その後 葬儀屋さんが見えて形ばかりの「末期の水」をとり、清拭後 淡々と納棺、そして白装束を着ているように掛けて 副葬品を添え  頭の天冠(三角巾)に これじゃあ・・・ほんとのおばけみたい・・と ぎょっとしたものでした・・。葬儀も今のように斎場ではなく自宅で行い大変でしたが、葬儀の流れは今とそれほど変わりはありませんでした。 

数年前  チャン・イーモウ 監督、チャン・ツィイー 主演の「初恋のきた道 」という映画を観て深く感動したのですが、このとき 「昔は人が亡くなるとお墓まで「お弔い」の葬列をしてみんなで 「おみおくり」(野辺送り)をしたのよ」 という 子どもの頃「むかしばななし」のように祖母から聞いていた話を思い出し お葬式は死を悼み 死者をていねいに弔い、おくりだすこと。それは亡き人のためばかりではなく、残されたもののためでもあり 「セレモニー」ではないのだと思わずにいられませんでした・・。

6年前の父の死では 病院で亡くなったので 臨終後は家族が立ち入ることなく・・すべて病院がしてくださり 看護師さんが生前のお気に入りの洋服を着せてくださって この時 今は洋服を着るようになったのか・・・とはじめて思ったのでした。自宅に安置後 家族に見守られながら葬儀屋さんと一緒に家族で納棺。白装束や副葬品や生前の愛用品などを添えました。(着せるのではなく)

36 母は自宅で倒れたので  救急車で運ばれてた後、病院から 警察の検死・・・。そして、翌日 そのままの姿で自宅に戻ってきました・・・。(解剖はまぬがれてほっとしましたが 後になって 「Ai Autopsy imaging オートプシー・イメージング)」の知識があればよかったと悔やんでいます・・・) 

葬儀社の方に

湯灌(かん)はどうなさいますか?」

35 と聞かれ 恥ずかしながら初めて「湯かん」という言葉を聞き 説明していただきお願いしました・・。

その日の午後 まだお若い うちの娘位の年頃のかわいらしい女性と 20代後半位の青年の二人が湯灌車でみえ「湯灌の儀式」を行ってくださったのは衝撃的でした。ポータブルのポンプ?を庭に引き込み、ベッド(浴槽)に寝かせ 家族や親族の逆さ水末期の水の儀式の後、大きなタオルをかけ 決して身体を人に見せることなく シャンプー ボディーシャンプー 顔そり マッサージ 爪切り、髪の毛のセット お化粧 などなど 丁寧に静かに そして尊厳に洗い清めてくださり まるでエステティックサロンのようで 母の顔までが気持ちよさそうな表情に見えてくるのでした・・。

そして 生前愛用していた 洋服や物を・・用意してくださいということで 母が大好きだったコーラスの発表会のドレス着せていただき 靴を置いて 納棺後 楽譜、アクセサリー(金属のものは火葬前に取り出して骨壺へ・・)や副葬品などなどを添え  まるでお姫様のようになり ああ・・・お願いしてよかったな・・と まだお若い 礼儀正しい湯灌師のお二人に心から感謝すると同時に 信念や誇りを持ってこのお仕事に携わっていらっしゃるのだろうと尊敬してしまうのでした。また いわゆる偏見に対して後ろめたさを持つことなく そうであってほしいと願わずにいられませんでした。

映画「おくりびと」が評価されたことで 納棺師や湯かん師などの仕事も評価されると良いなと思います。 また 亡くなった人の死因の特定がしっかりできるよう「Ai」(CTやMRIによる 死亡時画像病理診断)の普及も この映画ようにメディアを通じて 広く一般に知らて活用されるようになってほしいです。

49 ただ・・身内の葬儀をして思うことは やはり費用がかかりすぎること。日頃 タブーといわれる話題だけに相場を知らないことや 突然のことで考える余裕もなく 業者さんのいいなりになってしまいがちなので お葬式やお墓のこと 戒名やお布施などのことについても日頃から勉強しておかなければと思いました。故人のため・・・ということはどのようなことか、残されたものにとって大事なことはなにか・・を おくられるがわも おくるがわも どちらも必ずいつかは自分のこととしてしっかりと考えておきたいですね・・。私が母のためにこだわったものは ずっといつまでもお墓で眠る骨壺を九谷焼のピンクの花模様のものを選んだことです・・。色柄ものがあるのも母の時に初めて知り ご年配の方はピンクなんて・・・と思うかしら・・と思ったのですが きっと母は喜んでくれると思いました。またお位牌も 母の好きなワインレッドを選び お仏壇で父の黒塗りのお位牌と仲良く並んで 父もにっこりしていそうです・・。(選ぶ時、父のお位牌もお店にもっていき、大きさを父よりも母を少し小さめにしました) 

38 こんなことが書けるようになったのも 月日の流れなのですが そんなふうに思えるようになったことは 悲しみから両親への感謝の気持ちへと変わってきて いつまでも泣いていないで 残された者が 笑顔で元気でいることがまた両親への供養になると信じて いつも「ありがとう」と心で手をあわせて 生きていきたいと思います。     

*人は誰でもいつか、おくりびと、おくられびと──

   あなたは大切な人を、どう“おくり” ますか?

     そしてどう”おくられたい”ですか?・・・*

 最後になりましたが 映画「おくりびと」で 本木雅弘さん演じる納棺師の父親役で出演なさり 息子に「おくられる」という役だった 俳優の峰岸徹さんがこの映画の封切り後 ご逝去されびっくりしました・・・・。ご冥福をお祈りいたします。

また 第81回米国アカデミー賞の「最優秀外国語映画賞」部門に最終ノミネートされたそうで おめでとうございます!

~追記~ 2009年2月23日

第81回米アカデミー賞で 滝田洋二郎監督「おくりびと」が 最優秀外国語映画賞に選ばれました!56年度に外国語映画賞が設けられて以来、日本作品の受賞は初めてだそうです。おめでとうございます! 

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今日は祖母の命日

2008-09-05 | スピリチュアル

今日は大好きだった祖母(父方)の命日です。



共働き家庭に育ち 1歳半から保育園で育った私のものごころついた頃からの記憶は 保育園でのことばかりと 家では3歳から同居した祖母と過ごした時間でした。明治生まれの祖母は 人にも自分にも厳しく 母ともいわゆる「嫁姑」の仲で あの時代にはまだとても珍しい「ダブルキッチン」でした。



母方の祖母は とにかくいつも笑っているような優しい人だったので うちの祖母と母とが合わないのも 子供ながらにもわかりましたが 祖母がいてくれたおかげで姉も私もカギっ子にならず 躾も祖母から受け 今となっても祖母が教えてくれたことは私にとっても大切な宝物で私は祖母が大好きでした。



いつも姿勢正しく 私たち姉妹にも「武士の子孫なのだから もっときちんとしなさい」と礼儀にはとても厳しかったのです。 お転婆で野性児?(笑)のような私は 「武士ぃ???時代劇じゃないんだからぁ~」と反発すると「そんな横着を言うものではありません」と静かに叱られました。



明治 大正 昭和と激動の時代を生き抜き、3人の子供のうちの2人を早くに亡くし、(父の兄は19歳で結核 父の妹は42歳で肺がんのために) 祖母の夫である祖父も 私が産まれるずっ~と前に亡くなり、毎日のようにお仏壇にお経をあげ 花を供えていた祖母の悲しみの背中を見て私は育ちました。



晩年 認知症になってしまってからは いつも幼い頃の記憶の中で遊び、最愛の息子である父のことさえも認識できなったかったのに、亡くした子供たちのことは忘れておらず、それほど悲しみの記憶は 本人さえも意識していなくても消えることがなかったのです。
そしていつも 幼い時に遊んだ楽しい記憶の世界で遊ぶのです。それはそれは優しい微笑みを浮かべて・・。だから 私はおばあちゃんの仲良しだった幼なじみのお友達の名前を知ってるの。 「かめ」さんが二人と 「つる」さんと「たみ」ちゃんです♪ ちなみに祖母の名前は「みつ」ちゃんです♪



*******************



それから おばあちゃんが 大好きだった食べものは 私も大好き。



ハッカ糖ザラメのハッカ飴茶飴。(落雁と並べてお仏壇にお供えしてあるので おばあちゃんと一緒にお仏壇にお参りするともらえます。v(=∩_∩=) ←ミント系が大好きな私の原点。)



三ツ矢サイダー。(必ず 小さな冷蔵庫に数本入っているのだけど、少しずつ飲むので たまにコップにちょっぴり入れてもらって飲ませてもらうと 炭酸が抜けていてまずいの・・・(笑)←炭酸飲料が大好きな私の原点。)



うなぎ。(岐阜出身の祖母の大好物。でも高価なので 年に数回ほど 出前で「うな重」をお願いする。 1つだけでは出前をしてくれないので 土曜日のお昼など私が一人のときに2つとって食べさせてくれたのです。 v(=∩_∩=) ← 今でもうなぎは大好物。ただし国産に限ります。。。)



クリームシチュー。 (牛乳をそのまま飲めないのだけどシチューは大好き(←これも私も同じ^^;)。 栄養をとるために度々作っていたので おばあちゃんの早い夕食時にシチューの香りがしてくると お椀を持っていって 自分の分だけおすそわけしてもらい こちらの遅い夕食の前に食べちゃう。 v(=∩_∩=))



のりのつくだ煮 (朝ごはんのおとも。かどやさん♪のが美味しいといって なくなると必ず おつかいに行かせられる。 江戸むらさきでもいいのにね。。。(笑) ←私はのりの佃煮より梅干し派ですが。。。(笑))



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 ねぇ?おばぁちゃん?
 このいい匂いは なぁに・・・?



 キンモクセイだよ
 秋だねぇ・・・。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



Kinmokkusei1  ねえ?おばあちゃん 
 台風の季節が過ぎると
 もうすぐおばあちゃんの
 大好きな 大好きな香りの
 
金木犀の季節になりますね



 家で亡くなったおばあちゃんの最期を
 家族の中でただ一人私が看取った日
 高校2年の夏の終りの悲しい別れの日を
 母親の最期を看取ることのできなかった父の涙を 
 私は忘れない・・・



 そして その父も今はもういない・・・



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



花や香りは、いつも私の記憶の中の
      懐かしい祖母の面影を蘇らせてくれるのです* 合掌





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信濃の国と母

2008-09-05 | スピリチュアル

Senkou_2 信州出身のママ友達が 帰省を兼ねた旅行のお土産で 今年新盆だった母のために善光寺お線香を買ってきてくれました。 同じように父が亡くなった年の夏も買ってきてくれて 旅行の時まで友達の親のことまで思ってくださる友人の優しさにに感謝です。

都会(東京)生まれ 都会(横浜)育ちの私は 人様に対してそういう心遣いまでなかなか気が回らないので、地方の方の温かさを感じ 学ぶものが多くあります。子供の頃、父の故郷の郡上八幡に遊びに行った時も 最初の挨拶もそこそこに まず仏様やご先祖様の遺影にお参りをしてから その後あらためてそこのおうちの方々にご挨拶をし 必ずお墓参りもするという習慣にとまどったことも思い出されます。

 昭和5年生まれの母は生まれも育ちも信州で実家はお寺でした。地元の女学校に進みましたが 戦時中は学徒勤労動員で工場で軍服を縫うという経験を経て 長野師範(現 信大 教育学部)に進学しました。 卒業後、 娘時代は下宿をしながら 信州の伊那谷の小さな分校で小学校の教師をしていたそうで、子供の頃、山の分校での子供たちとの楽しい思い出をよく聞かされたものです。(その後 上京し 結婚してからも20数年間ずっと教師を続けておりました。)

そんな母の思い出の味は 蜂の子」のごはん と イナゴ」の佃煮で、 私が子供の頃も 時々買ってきては食べさせてくれましたが(本当は 私はどちらも苦手なのだけど) 中学の時 お弁当に「イナゴ」を入れられた時には 「(゜ロ゜)ギョエ!!!もしかして・・虫食べてるの??」と周囲の友だちに驚かれてしまったので さすがに懲りました。。。^^;   

Sinanonokuni2 お線香をくださったママ友だちも信州出身で お父様も信大卒というご縁で彼女が遊びに来ると母も話に加わって懐かしそうに二人で故郷の話をしていました。 特に信州の県歌である「信濃の国」の話になると 嬉しそうに母は歌いだして止まらなくなるので 私はそれがおかしくて 友人に 

いつもこんな母につきあわせて悪いわね~」 というと 

信州は信濃の国の歌を飾っているおうちも多くて うちの親とか祖父母も同じだったわ~」 

と母につきあってくれるのでした。 

Sinanonokuni1 信濃の歌は 作詞者である「浅井洌」先生が 長野師範学校の教師であった明治時代につくったそうで その後 北村季晴先生により作曲され 長野県の多くの小中学校で歌われ 県歌として長野県民に愛されているそうです。  

母の亡き後は この母の愛した歌の額を 仏間に飾りました・・・。

 来月は 母の一周忌を迎えるので 今月末に父の七回忌と一緒に法要をします。昨日も遺品を整理しながら もう大丈夫・・・ と思っていたのに いただいた 善光寺のお線香をたてて 信濃の国の歌を眺めると 母の歌声が聞こえてくるようで また 「親孝行できなくてごめんね・・おかあさん・・・」と 独り言とともに涙があふれてくるのでした。

戦時中はお芋ばかり食べさせられてたわ・・なんていいながら 秋になるとさつま芋をふかしては美味しそうに食べていたり 冬になると「干し芋」をみかんと一緒にこたつの上のお菓子鉢にのせお茶を飲みながら やはり美味しそうに食べていたことも思い出されます。

今年もまた おかあさんの好きなお芋の季節になります。お彼岸にはふかし芋とうもろこしをお供えしましょう。それとも 蜂の子ご飯イナゴの佃煮にしましょうか?(笑)

     信濃の国  作詞:浅井洌  Haruhiko Kuroiwa & Hiroko Matsuo - 信濃の国 THE BEST DANCE TRACKS - EP - 信濃の国(ハッピーパワー・ユーロダンス・バージョン)

  1  信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
     聳ゆる山はいや高く  流るる川はいや遠し
     松本伊那佐久善光寺  四つの平は肥沃の地
     海こそなけれ物さわに よろづ足らわぬ事ぞなき

   2 四方に聳ゆる山々は 御岳乗鞍駒ヶ岳
     浅間は殊に活火山  いづれも国の鎮めなり
     流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
     南に木曽川天竜川  これまた国の固めなり

   3 木曽の谷には真木茂り  諏訪の湖には魚多し
     民の稼ぎも豊にて    五穀の実らぬ里やある
     しかのみならず桑とりて 蚕飼ひの業の打ちひらけ
     細きよすがも軽からぬ  国の命を繋ぐなり

   4 尋ねまほしき園原や 旅の宿りの寝覚の床
     木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋
     来る人多き筑摩の湯 月の名に立つ姨捨山
     著き名所と風雅士が 詩歌に詠みてぞ伝へたる

   5 旭将軍義仲も    仁科五郎信盛も
     春台太宰先生も   象山佐久間先生も
     皆此国の人にして  文武の誉類なく
     山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず

   6 吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山
     穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道
     道一筋に学びなば  昔の人にや劣るべき
     古来山河の秀でたる 国は偉人のある習ひ

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西の魔女が死んだ ~魔女の修行~

2008-08-31 | スピリチュアル

Nisinomajyo 西の魔女が死んだ」 (梨木香歩 著)。

* おばあちゃん、大好き 

 アイ・ノウ  

映画で話題になっていたのと次女の薦めもあって読んでみました。 映画西の魔女が死んだ 特別版 【初回限定生産2枚組】は観ていませんが 「魔女」という言葉と 本の帯の写真や 映画の宣伝で見た優しそうな白人のおばあさん(イギリス人)の写真を見て 今年の6月に92歳で亡くなってしまった;; 大~好きな「ターシャ・テューダー」(1915-2008 アメリカの絵本作家、ガーデナー、人形作家)のイメージやターシャの庭のイメージを勝手に抱きながら・・・。

 Tashatudor2  Tashatudor1

梨木さんの作品も初めて読みましたが、児童文学作家でありながら絵本作家でもあるそうで さらりとした飾らない文章なのだけど 経験がなければ描けないであろう「生活の知恵」があちらこちらにちりばめられていることがこの本の魅力になっています。

鶏を育て毎朝の食卓に卵をとってくることや ハーブや木の実を育てて収穫し お茶やジャムを作ったり エプロンを作る場面などなど、そしてそれが 日本の「おばあちゃんの知恵」というよりまさしく西洋の「おばあちゃんの知恵」らしいところが 作者がかつてイギリスに留学していたということからも頷けるのです。だから私は「西の魔女」であるおばあちゃんの姿に *喜びは創りだすもの*というターシャ・テューダの姿を重ねてしまったのかもしれません。

また 著者がカヤックの愛好者でおられるということからも 自然の中での豊な経験から自然を愛する人であろうことが伺え、 人間の生活が自然の中に溶け込み そこに「生命」が息づき 自然のリズムに調和することが人間の本来の自然の姿なのであることを気づかせてくれるのです。

スローライフ食育自給自足の大切さがクローズアップされる昨今 あたりまえのことがあたりまえでなくなり 大切なものを失いかけている私たちに  食生活をはじめ、日常生活の些細なことを見直すことの大切さを教えてくれます。そしてそれは 「規則正しい生活をする」とか「自分で考え自分で決める」という 簡単なことのようで一朝一夕でできることではないけれど、心構えひとつで誰にでもできることだと理解できるのです。 またそれが無理にではなく、生活のリズムとして継続し 自然に心や体が覚えていくのだということも 理屈ではなく おばあちゃんの普段の生活の姿勢や 優しさ、厳しさから学び、そんな「魔女の修行」を 孫娘の「まい」と一緒にやってみよう!!!という気持ちにさせてくれます。

学校へ行きたくない、あるいは行くことができない子供たちに、 ニートといわれる若者たちに、 それから夜更かしで生活がついついルーズになってしまっている大人や子供たち 手抜きの家事で楽をすることばかり考えてる私のような(笑)専業主婦にも 早起きして何かをするとか もっと日常生活を規則正しくしてみようかな。。。とか 何かひとつ些細なことでも 目標を決めて実践してみよう!と思わせてくれる一冊です☆

先に読んだ まよいもん」(松井雪子 著とスピリチュアル的なことをとりあげていることと、「まい」の母親が「今どきのちょっとクールな母親」(こういう表現は批判されそうなのだけど・・・)というところが 両方の作品に少し通じるものがあるのですが これもどちらの作者の世代としては もはや普通のことなのかも知れないと思いました。でもどちらも父親が優しいという設定も やはり”今どきの親”の象徴なのかもしれません。(笑) こんなことを思う私は作者と同世代でありながらも いつの間にか だんだんと「おばあちゃんの心理」(←姥心ともいう(笑))になってきたのかも知れませんね。。。とてもとても「西の魔女」やターシャのような素敵なおばあさんにはなれそうもないけれど。。。

でもタイトルの通りの、 「西の魔女(おばあちゃん)の死」は 昨年 母を亡くしたばかりの私にとって 最後の数ページに涙がとまらないのでした・・。

 オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ 

この映画と 同じく映画化された「ぐるりのこと」の本と映画も見てみたいです。また本屋大賞3位に入賞した「家守綺譚も読んでみたくなりました。それから なんだかターシャにもあいたくなっってしまったから ターシャのDVDをもう一度観ようかな。。。

  

  • 西の魔女が死んだ  日本児童文学者協会新人賞 新美南吉児童文学賞 小学館文学賞
  • 裏庭    児童文学ファンタジー大賞
  • 家守綺譚 本屋大賞3位入賞。
  • 沼地のある森を抜けて  第5回(2005年度)センス・オブ・ジェンダー賞大賞 第16回(2006年度)紫式部文学賞
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    まよいもん

    2008-08-31 | スピリチュアル

    Mayoimon まよいもん (松井雪子 著)。 

    著者の名前は2003年から3年連続で芥川賞の候補となり、昨年の候補作品の「アウラアウラ」(文学界 2007年 03月号 [雑誌])も話題になってから知ったが  作品を読むのは今回が初めて。作者初の長編でもあるそうだが デビューは漫画家としてであることも初めて知る。

    まよいもん」というタイトルに誘われ 霊能者のママと スピリチュアルに翻弄されるその娘との話であるという紹介文に興味を持って読んでみた。何故なら スピリチュアルに興味があるのと 私にも、そして物語のように娘にも、もしかしたらシックスセンスがあるから<<ほんと?笑>>。

    まよいもん」とは「迷い者」。あの世とこの世をさまよう霊魂のことで その「まよいもん」を見ることができる母親である霊能者「しのぶさま」と暮らす 中学2年生の娘マナが主人公としてマナの視点で語られる。

    「しのぶさま」の表向きの顔は 生保レディ。離婚して母子家庭でありながら 女の細腕でけなげに働いて娘を育てている」 というイメージ作りのためという設定に、最初から なーんだインチキ霊能者のお話なの?と少々がっかりさせられる。 しかし インチキというのでもなく 「しのぶさま」の霊能者としての能力が日々薄れていく母親の不安や執着心、別れた夫への複雑な思いなどの葛藤を 一番理解しながらもある意味客観的に母親を分析し、悩む娘、マナが成長していく姿を描いている。 そしてマナにも霊能者的才能があり 

    <<ああ、本当にそういうのは遺伝するよね・・・。>>

    なーんて私と娘に置き換えて思ったり。。。けれど 「まよいもん」は実は「」ではなくて 生きている人間の「心の迷い」のあらわれなのかもしれないとも思う一冊でもある。

    <<だとすると私のシックスセンスはどんな心の迷いから感じるのだろう。。。?!>>

    物語は 私の住む横浜が舞台で マリンタワーや山下公園 中華街 氷川丸などの背景にも親近感。  近いからいつでも行けるなんて思っているうちに閉鎖してしまったマリンタワーのバードピアがしばしばでてきて 小鳥が大~好きな私は、そうそう、ここに行きたかったのよね。。。とイツカ行った オーストラリア・ゴールドコーストのカラビン・サンクチュアリ(Currumbin Wildlife Sanctuaryや シンガポールのジュロン・バードパーク(Jurong BirdPark)まで思い出す。 

    <<そういえば以前、何かのドラマにもマリンタワーのバードピアが出ていて、その時も今度行こう!と思ったのだけど。。。>>

     同じくして営業を停止していた氷川丸は日本郵船に譲渡され今年から日本郵船氷川丸として公開されたというニュースを聞いたままだけど 船の中はどうなったのだろう・・・。ビアガーデンもなくなっちゃったのかなぁ?

    <<あ・・・話を本に戻すと・・・(笑)>>、

    ぬくもりに満ちたとか

    ゴーストたちが飛びかういとしい愛の別世界とか

    少女の青春グラフィティ

    などという宣伝文句や書評には ちょっと同調できず 霊能者であることよりも わがままな母親像が淡々と描かれ そんな母親を一生懸命守りながら父親を失ってしまった娘に同情してしまうだけで 文章そのものや表現にあたたかさや ぬくもりや感動は何も感じられなかった。 作者は年齢的には登場人物の母親の歳位なのだけど 物語と同じく まるっきり娘の立場の思考で物事を考えている感じで精神的な幼さを感じる。 芥川賞候補作家だけあって 文章や表現力はそれなりだとは思うが 長編でありながらも こころに響くものがまったく感じられなかったのは私だけなのだろうか・・。 

    昨今の母娘関係が「友達親子」であることは  同じように私と娘の関係からも言えるのだけど・・・母親(あるいは 親)としての子供への愛情が薄い感じがする作品が最近多くなったと感じ 読み終えたあとも不快感さえ抱いてしまう・・・。 

    身近なところでは 「千と千尋の神隠し」の母親があまりにクールで不快な印象を持ったのは 宮崎駿監督が今時の若い母親像を皮肉って、か、むしろ現実的に描いたのかと思ってしまったほどである・・・・。また、そういう母親に育てられた子供の未来を暗示しているようにもとらえられる。でも それは私のひねくれた解釈なのかなぁ・・・。

    そんな私も 「無償の愛」をひたすら子供に与えられるような 「古き良き時代の日本のお母さん♪」ではなくて 我がままな「今時の母親」であることは充分に認めているのだけど。。。

    <<だから 実は 自分の中の「悪い母親」の部分 あるいは「母親である前に女」である部分を表現されたみたいで それを認めたくないからこんなふうに反論してしまうのかもしれない・・。>>

    つまり この本を読んで 霊能者やシックスセンスがどうとかなんていうのは どうでもよくて「まよいもん」は 実は「己自身」のことと認識しなければと思ったのと同時に 作者のいわんとしていることがいまひとつわからない作品で期待はずれでもあった。(ごめんなさい^^;)

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    母の新盆 盂蘭盆会(うらぼんえ)

    2008-07-20 | スピリチュアル

    Urabone1 昨年秋に亡くなった母の新盆でしたので 6月末に七回忌を迎えた父の供養をかねて 早めに お提灯を出して ほおずき、 胡瓜の馬茄子の牛などを飾って 7月13日は迎え火を・・16日に送り火を焚きました。

    法要は 秋に母の一回忌と父の七回忌を一緒にするので この夏の新盆は身内だけの気持ちだけの供養でしたが 主人の両親や来客があったり 岐阜の父の従兄から岐阜提灯やおそうめんが送られてきたり 亡くなってもこうして母を思い出してくださる方々がいらっしゃることがありがたくて 送られてきた新しい提灯を組み立てながら 去年の今頃はとても元気だった母の姿を思い出し、「おかあさん・・・。ありがたいことね・・・。」と涙がこぼれるのでした・・・。

    岐阜提灯も祖母の時にいただいたもの 父の時にいただいたもの そして今年・・と身内の精霊の数だけ増えていき 毎年飾ってご先祖様の供養をすることの大切さを娘たちにも伝えていきたいと思います。(でもね。。。娘にこれじゃお化け屋敷みたい。。とかいわれちゃったり。。。たしかに・・^^;)

    でも都会の方は 仏間にいくつも飾ってある提灯を見て こういう習慣があるのね・・・と驚く方もいらっしゃるのです。

    地方によっては盂蘭盆会は8月に行われることも多いようなので 涼しげにくるくると回転する提灯は もうしばらく飾っておくことにし、毎夕 明かりを灯して こころしずかに両親の面影を追う盛夏。涙そうそう・・・。

    Urabone2 Urabone3

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    卯月に思う ~ピンピンコロリ(PPK)~

    2008-04-24 | スピリチュアル

    Hanamizuki2 母が亡くなって半年。ときどき発作のように 母の姿を 声を 言葉を思い出し、涙がこぼれる。

    四月は母の誕生月。去年のバースデーに みんなでファミレスでパーティーをした後、満開の夜桜を一緒に見に行ったことを思い出す。桜より おしゃべりに夢中だったよね。おかあさん(笑)。その時 プレゼントした スワロフスキーのネックレスをとっても気にいってくれてお礼のお手紙まで書いてくれたっけ。母の趣味がコーラスなので 舞台でクリスタルがきらきら光るといいなあと思って選んだのに、今は私の首もとで きらきら光っています・・。

    お母さんが死んでから 遅い秋がきて、寒い冬が過ぎ、今年は早くが咲きました。

    満開の桜の木の下で 桜の季節の思い出がよみがえるとき、小学校の入学式は パパとおばあちゃんがきてくれたこと、小学校の卒業式はひとりぼっちだったことも思い出す。授業参観も運動会も学芸会もほとんどきてくれたこともなかった。母は小学校の教師をしていたから、行事が重なってしまい来られないのはあたりまえだった。

    ものごころついた時の記憶をたどると、保育園の赤ちゃん部屋のことからはじまる。保育園では朝は一番 帰りは一番最後のお迎え。規定の時間が過ぎてもお迎えに来ないので先生が帰り支度を始めるのが悲しかった。
    熱が出ても 体の具合が悪くても これくらい大丈夫といわれて 学校へ行った。学校で高熱になってしまい 保健室の先生に早退しなさいといわれると 祖母がタクシーで迎えに来てくれて病院にも連れていってくれた。熱が出て ひとりぼっちで寝込んだときの話相手は 枕元に並べたぬいぐるみやリカちゃん人形たちだった。いつもお友達のお母さんをみてうらやましいと思った。土曜日のお昼は姉と二人でインスタントラーメンか菓子パン。ときどき お友達のおうちでお昼をご馳走になるのがとても楽しみだった。手作りのおやつもいつも夢。友達には お菓子缶いっぱいにお菓子が買ってあるほうが羨ましいと言われたけど(笑)

    今は 働いているお母さんがあたりまえの時代だし、育児休暇をはじめ 子どもの行事などで休暇もとれる時代にもなった。母の務めていた時代は 女性が働くことは大変な時代で、子どものために 早く帰るとか休むなんてできなかった。でも 仕事は母の生き甲斐でもあったし母は家事や育児より仕事が好きだった。
    だから 私は 小さなころから平凡な主婦にあこがれたの。けれど 母にとっては 家事や子育て以外なにもできない のんきな娘にしか見えなくて、いつも あなたの歳に私は・・・と叱られた。当然のように 母と私にこころのすれ違いが生まれた。(態度には出してないつもりだったけど 母もなんとなく気づき それが何故なのかわからないようだった。)

    けれど 母に文句をいったり反発をするというのではなく、母のいうことをきき、母の好きなようにさせることが私のせいいっぱいの親孝行のつもりだった。そして いよいよ年老いたら そのときからは いろいろしてあげて大事にしようと思っていた。だから 父を亡くしても 
    「パパがいないのは寂しいけれど 私はとても幸せ!!人生もうひと花咲かせるわ!」
    と 人生を謳歌している母を 元気で子孝行な母親だと思うようにしていた。親と言っても それぞれの生き方や考え方があるのだから、親は親。子は子。と、わりきる考え方は 親に何かを求めるとか依存してはいけない。という子供のころからの自分自身への言い聞かせでもあったような気もする・・。 

    でも母は娘がかまってくれなくてさびしいといつも周囲の人にこぼしていたみたい。誕生日 母の日 お正月 ひな祭り クリスマス 敬老の日 お彼岸 お月見・・・と行事などのときはいつも一緒にお祝いしたのに、行事だけすればいいってものじゃないと言っていた。と聞いて涙しかでてこなかったけれど・・。

    でも・・突然 元気なままお風呂でたおれて死んでしまった。脳出血だった。毎日お仏壇で手をあわせてごめんね・・おかあさん。とあやまりながら、親孝行って親のためにするのではなく自分のためにすることだったのか・・・と気づいた。

    父が 家族みんなに看取られて 病気で病院亡くなったときは もちろん悲しみはあったけれど、後悔も罪悪感もなく、お疲れ様・・・いままでありがとうね・・パパ。という感謝の気持ちで見送れたのは 精一杯の介護ができたから。病気で痛みや苦しみの中で亡くなる姿は本当にかわいそうだった。けれど母のように 生涯現役!という死に方は、悲しみというよりも あまりに衝撃的で、後悔と罪悪感だけが残される。母ももっとやりたいことがたくさんあったはずだし、死にいたるまでのプロセスって本人にも周囲にも大切なのではないかなと思う。

    半月ほど前、新聞を読んでいたら 「やすらぎの長寿考―老いも病もこわくない (RIBUN BOOKS)」(吉永馨 著というの本の紹介で、今年80歳になられる医師の作者が 母校(東北大学医学部)の同窓会仲間とのメーリングリストのやりとりのなかで
    ピンピンコロリPPKは本人が死後の準備ができず、家族も途方にくれてしまい、あまりいいとはいえない。今夜にもあの世に行きたいという人だけが言ってもよい言葉です。
    というようなことが書かれていたのにも頷けた。

    でも どんなにいいわけをしたところで、母へのごめんなさいの気持ちは 生涯私の中で もっと早く気づいてあげれば助かったかもしれない、私が殺してしまった・・・という罪悪感として残るでしょう。けれど 母にとっていつまでも娘のままであった私の「娘時代」に終止符がうたれた今、いつまでも罪悪感をひきずるより、これから家族みんなが笑顔でいることが父や母への親孝行になると信じて生きていこうとおもう。だけど 結局わたしはわたしのままでなにもかわりはないのだけど・・・。
    そしてまた明日、お仏壇の前できっということばは「ごめんね・・おかあさん。」

    Hanamizuki1 Hamamizuki3

    Niji_2 数日前、庭に紅白のハナミズキを植えました。その前日 植木屋さんで花水木を選んでいたら、雨あがりの雲間からが出て・・・そう・・・虹が・・・まるで私の心の中に を射すように・・・。

    ☆ Life is a journey towards the guiding light・・・ 

    ***********

    Hanamizuki2いハナミズキは 亡き父のために

    薄紅色のハナミズキは 亡き母のために

    この想いが百年続きますように・・・☆

    ***********

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    母の死

    2008-03-07 | スピリチュアル

    昨年の10月。
    元気だった母が突然亡くなりました。ちょうどその一か月前 敬老の日にお祝いをしたばかりでした。



    その日も いつものように夕方遅い時間に外出から帰り 、夜お風呂で倒れ救急車を呼び病院に運ばれましたが間に合いませんでした・・。



    母の机の上には、11月の発表会を楽しみにしていたコーラスのたくさんの楽譜とプログラムや招待券。ピアノの上には 老人会でみなで歌うための伴奏の楽譜。みなさんに配るための何十枚もコピーされた歌詞。



    読みかけの本 メガネ・・。
    能楽のプログラム。 
    クラス会のお知らせ。
    数年前から書き続けている書きかけの自叙伝の数冊のノート。
    旅行のチケットやパンフレット。
    旅や同窓会などの記念写真やスナップ写真。



    窓辺には書道教授の木製看板。



    父を亡くして五年。



    昨年の今頃は 孫たち3人を連れてイタリアやバチカンへの旅行を楽しみ、父の命日にでさえ お友達と旅行に行ってしまうほど元気でした。



    「パパがいないのは うんとさびしいけど 人生は楽しくて私はとっても幸せ。コーラスも生きがいだし 書道もまた始めて 人生もうひと花咲かせるわ!」



    なんていいながらいつも元気に飛び回っていた母。



    そんな元気な母には何も親孝行できなかったので 心の中で「ごめんなさい」の繰り返しです。



    でもこの「ごめんなさい」の気持ちがようやくこのごろ「ありがとう」にかわってきました。



    生涯現役でいたいという 母らしい死に方ではあったのかもしれないけれど、まだまだ やりたいことがいっぱいあったよね・・・おかあさん・・。



    こうして春がきて
    季節はまためぐり 
    草木が芽吹き
    花がほころぶ。



    静かな時の流れの中で、お仏壇で手をあわせながら命の不思議を考える。



    けれど やっぱり 私はなにもかわらなくて・・・かえられなくて・・・つぶやくことばは やっぱり



        ごめんね・・おかあさん。


    2008 窓辺では 父と母の笑顔の写真が 悲しみの記憶を楽しい思い出に変えてくれるようです。。。二人が元気だったころは 冬の間中、毎年のように 春が来るまでハワイで過ごしていたので、今頃は千の風になって二人で世界を飛び回っていることでしょう。



    写真をみつめていると 歌が大好きだった母の歌声と、なぜかエルガーの「愛の挨拶」の曲が聞こえてくるの・・・。


    だけど もうだいじょうぶ
    元気になったよ
    だから 文句をひとつだけいわせてね。



    もぉ~~~~
    どうして 親孝行させてくれるまで長生きしてくれなかったの~~~~
    罪悪感からたちなおれないんだから・・・







    ☆そんなわけでしばらくネットから離れておりましたが また復活いたします。☆



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    ロザリオの月

    2007-10-14 | スピリチュアル

    Rosary 10月はロザリオの月、そして10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日でした。(本当はキリスト教のことはよくわからないのですが。。。) 無宗教ではあるけれど 函館のトラピスチヌ修道院で買った小さな壁飾りとロザリオは私のお気に入り。娘たちも信者ではありませんが 高校までずっとカトリックの学校で過ごしたので ロザリオやおメダイをお守りのようにいくつか持っているようです。不謹慎かもしれないですが 信者ではないと かわいらしいアクセサリーのような感覚なのです。。。



    「ロザリオ」とは「薔薇の花冠」という意味だそうで、ビーズの一粒一粒を薔薇の花とみなして 花冠を聖母マリア様に捧げるお祈りです。おメダイと十字架がついて 59個の珠を順番に操りながら祈るそうです。



    けれどお祈りを知らないので・・思わず口ずさむのは ビートルズの「Let It Be」・・・♪

    Mary 美しい調べに目が覚めると・・・
    マリア様が私の前に現われて
    「あるがままに」と。。。   
    Paul McCartney - Back In the World - Let It Be



    When I find myself in times of trouble
    Mother Mary comes to me
    Speaking words of wisdom
    let it be♪



          ***



    And when the night is cloudy
    There is still a light that shines on me
    Shine until tomorrow let it be
    I wake up to the sound of music
    Mother Mary comes to me
    Speaking words of wisdom
    let it be♪



    Hakodate  it be   let it be
    Let it be   let it be
    Whisper words of wisdom
    let it be♪



    あるがままに・・・



    なすがままに・・・



    **********



       THE BEATLES 1



       LOVE (DVDオーディオ付)



    **********



    そして もうひとつ口ずさんでしまうのは 「マリアさまのこころ」♪



    マリアさまのこころ それは青空Photo
    わたしたちを包むひろい青空~♪

    マリアさまのこころ それは山百合
    わたしたちも欲しい白い山百合~♪



    **************



    ルルドで聖母マリア様が現われたのを見てお告げを受け、修道女として一生をささげることになったベルナデッタのお話も不思議 ♪


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    落葉樹 ~無数の枝わかれ~

    2006-12-22 | スピリチュアル

    落葉した広葉樹を見あげる。
    太い幹から 無数の枝が空に向かって 
    だんだんと細くなって、枝分かれしている姿は
    まるで海の底で息づく サンゴのよう。

    人間や生物の神経網や血管のようにも見える。
    生きるもののカタチが どこか共通している不思議。

    それは地球だけなのかな?
    宇宙の生物もそうなのかな?


    川は 下流にいくほど太くなるから まるで反対。

    宇宙には この神経網のようなカタチをしたものがあるのかな?

    もし 宇宙が神様の体の中だとしたら
    私たちの地球は その体を作る細胞のひとつに例えられるかしら?

    もしそうだったら・・
    ニューロンのシナプスのように

    ひとつひとつの星が 他の星に 何かを伝達していけるかな?

    でも 宇宙の中で この神経網のようなカタチをしたものを
    私は 知らない。


    冬が終わり 春が来て
    この無数の枝に 新しい緑が生まれるように
    どこかのだれかの 破壊されてしまった神経も新しく再生されたらいいのにな。


    歩けなかった人が 歩けるように。
    見えない人が 見えるように。
    聞こえない人が 聞こえるように。
    こころが壊れてしまった人に笑顔が戻るように。

    そして


    この地球のあふれるほどの美しさも 宇宙の星々に伝達されたらステキだな。

                         ~By  Yukari~

    *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

    枯れ葉舞う冬の街角を犬と散歩していると シューベルツの「」を口ずさみたくなります。。。

     ♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で
      プラタナスの散る音に振り返る
      帰っておいでよと振り返っても
      そこにはただ風が吹いているだけ

      人は誰も 恋をした切なさに
      人は誰も 耐えきれず振り返る

      何かをもとめて 振り返っても
      そこにはただ風が 吹いているだけ

      振り返らずただ一人一歩ずつ
      振り返らず泣かないで歩くんだ~
    ♪(作詞 北山修

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