平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

昨日は・・・まいばーすで~♪

2008-09-12 | 日記・エッセイ・コラム

Birthdayはっぴ~ば~すで~

たくさんのおめでとうを

ありがとう

新しい一年を 元気で平和に過ごせますように。。。

       Birthday2

<デモ ホントウ ハ モウ トシヲトリタクナイノ・・・>

**********************

保険を探すなら♪お店もネットも日本最大級の保険市場で

女性入院保険「フェミニーヌ」3年ごとのボーナスつき


今日は祖母の命日

2008-09-05 | スピリチュアル

今日は大好きだった祖母(父方)の命日です。



共働き家庭に育ち 1歳半から保育園で育った私のものごころついた頃からの記憶は 保育園でのことばかりと 家では3歳から同居した祖母と過ごした時間でした。明治生まれの祖母は 人にも自分にも厳しく 母ともいわゆる「嫁姑」の仲で あの時代にはまだとても珍しい「ダブルキッチン」でした。



母方の祖母は とにかくいつも笑っているような優しい人だったので うちの祖母と母とが合わないのも 子供ながらにもわかりましたが 祖母がいてくれたおかげで姉も私もカギっ子にならず 躾も祖母から受け 今となっても祖母が教えてくれたことは私にとっても大切な宝物で私は祖母が大好きでした。



いつも姿勢正しく 私たち姉妹にも「武士の子孫なのだから もっときちんとしなさい」と礼儀にはとても厳しかったのです。 お転婆で野性児?(笑)のような私は 「武士ぃ???時代劇じゃないんだからぁ~」と反発すると「そんな横着を言うものではありません」と静かに叱られました。



明治 大正 昭和と激動の時代を生き抜き、3人の子供のうちの2人を早くに亡くし、(父の兄は19歳で結核 父の妹は42歳で肺がんのために) 祖母の夫である祖父も 私が産まれるずっ~と前に亡くなり、毎日のようにお仏壇にお経をあげ 花を供えていた祖母の悲しみの背中を見て私は育ちました。



晩年 認知症になってしまってからは いつも幼い頃の記憶の中で遊び、最愛の息子である父のことさえも認識できなったかったのに、亡くした子供たちのことは忘れておらず、それほど悲しみの記憶は 本人さえも意識していなくても消えることがなかったのです。
そしていつも 幼い時に遊んだ楽しい記憶の世界で遊ぶのです。それはそれは優しい微笑みを浮かべて・・。だから 私はおばあちゃんの仲良しだった幼なじみのお友達の名前を知ってるの。 「かめ」さんが二人と 「つる」さんと「たみ」ちゃんです♪ ちなみに祖母の名前は「みつ」ちゃんです♪



*******************



それから おばあちゃんが 大好きだった食べものは 私も大好き。



ハッカ糖ザラメのハッカ飴茶飴。(落雁と並べてお仏壇にお供えしてあるので おばあちゃんと一緒にお仏壇にお参りするともらえます。v(=∩_∩=) ←ミント系が大好きな私の原点。)



三ツ矢サイダー。(必ず 小さな冷蔵庫に数本入っているのだけど、少しずつ飲むので たまにコップにちょっぴり入れてもらって飲ませてもらうと 炭酸が抜けていてまずいの・・・(笑)←炭酸飲料が大好きな私の原点。)



うなぎ。(岐阜出身の祖母の大好物。でも高価なので 年に数回ほど 出前で「うな重」をお願いする。 1つだけでは出前をしてくれないので 土曜日のお昼など私が一人のときに2つとって食べさせてくれたのです。 v(=∩_∩=) ← 今でもうなぎは大好物。ただし国産に限ります。。。)



クリームシチュー。 (牛乳をそのまま飲めないのだけどシチューは大好き(←これも私も同じ^^;)。 栄養をとるために度々作っていたので おばあちゃんの早い夕食時にシチューの香りがしてくると お椀を持っていって 自分の分だけおすそわけしてもらい こちらの遅い夕食の前に食べちゃう。 v(=∩_∩=))



のりのつくだ煮 (朝ごはんのおとも。かどやさん♪のが美味しいといって なくなると必ず おつかいに行かせられる。 江戸むらさきでもいいのにね。。。(笑) ←私はのりの佃煮より梅干し派ですが。。。(笑))



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 ねぇ?おばぁちゃん?
 このいい匂いは なぁに・・・?



 キンモクセイだよ
 秋だねぇ・・・。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



Kinmokkusei1  ねえ?おばあちゃん 
 台風の季節が過ぎると
 もうすぐおばあちゃんの
 大好きな 大好きな香りの
 
金木犀の季節になりますね



 家で亡くなったおばあちゃんの最期を
 家族の中でただ一人私が看取った日
 高校2年の夏の終りの悲しい別れの日を
 母親の最期を看取ることのできなかった父の涙を 
 私は忘れない・・・



 そして その父も今はもういない・・・



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



花や香りは、いつも私の記憶の中の
      懐かしい祖母の面影を蘇らせてくれるのです* 合掌






信濃の国と母

2008-09-05 | スピリチュアル

Senkou_2 信州出身のママ友達が 帰省を兼ねた旅行のお土産で 今年新盆だった母のために善光寺お線香を買ってきてくれました。 同じように父が亡くなった年の夏も買ってきてくれて 旅行の時まで友達の親のことまで思ってくださる友人の優しさにに感謝です。

都会(東京)生まれ 都会(横浜)育ちの私は 人様に対してそういう心遣いまでなかなか気が回らないので、地方の方の温かさを感じ 学ぶものが多くあります。子供の頃、父の故郷の郡上八幡に遊びに行った時も 最初の挨拶もそこそこに まず仏様やご先祖様の遺影にお参りをしてから その後あらためてそこのおうちの方々にご挨拶をし 必ずお墓参りもするという習慣にとまどったことも思い出されます。

 昭和5年生まれの母は生まれも育ちも信州で実家はお寺でした。地元の女学校に進みましたが 戦時中は学徒勤労動員で工場で軍服を縫うという経験を経て 長野師範(現 信大 教育学部)に進学しました。 卒業後、 娘時代は下宿をしながら 信州の伊那谷の小さな分校で小学校の教師をしていたそうで、子供の頃、山の分校での子供たちとの楽しい思い出をよく聞かされたものです。(その後 上京し 結婚してからも20数年間ずっと教師を続けておりました。)

そんな母の思い出の味は 蜂の子」のごはん と イナゴ」の佃煮で、 私が子供の頃も 時々買ってきては食べさせてくれましたが(本当は 私はどちらも苦手なのだけど) 中学の時 お弁当に「イナゴ」を入れられた時には 「(゜ロ゜)ギョエ!!!もしかして・・虫食べてるの??」と周囲の友だちに驚かれてしまったので さすがに懲りました。。。^^;   

Sinanonokuni2 お線香をくださったママ友だちも信州出身で お父様も信大卒というご縁で彼女が遊びに来ると母も話に加わって懐かしそうに二人で故郷の話をしていました。 特に信州の県歌である「信濃の国」の話になると 嬉しそうに母は歌いだして止まらなくなるので 私はそれがおかしくて 友人に 

いつもこんな母につきあわせて悪いわね~」 というと 

信州は信濃の国の歌を飾っているおうちも多くて うちの親とか祖父母も同じだったわ~」 

と母につきあってくれるのでした。 

Sinanonokuni1 信濃の歌は 作詞者である「浅井洌」先生が 長野師範学校の教師であった明治時代につくったそうで その後 北村季晴先生により作曲され 長野県の多くの小中学校で歌われ 県歌として長野県民に愛されているそうです。  

母の亡き後は この母の愛した歌の額を 仏間に飾りました・・・。

 来月は 母の一周忌を迎えるので 今月末に父の七回忌と一緒に法要をします。昨日も遺品を整理しながら もう大丈夫・・・ と思っていたのに いただいた 善光寺のお線香をたてて 信濃の国の歌を眺めると 母の歌声が聞こえてくるようで また 「親孝行できなくてごめんね・・おかあさん・・・」と 独り言とともに涙があふれてくるのでした。

戦時中はお芋ばかり食べさせられてたわ・・なんていいながら 秋になるとさつま芋をふかしては美味しそうに食べていたり 冬になると「干し芋」をみかんと一緒にこたつの上のお菓子鉢にのせお茶を飲みながら やはり美味しそうに食べていたことも思い出されます。

今年もまた おかあさんの好きなお芋の季節になります。お彼岸にはふかし芋とうもろこしをお供えしましょう。それとも 蜂の子ご飯イナゴの佃煮にしましょうか?(笑)

     信濃の国  作詞:浅井洌  Haruhiko Kuroiwa & Hiroko Matsuo - 信濃の国 THE BEST DANCE TRACKS - EP - 信濃の国(ハッピーパワー・ユーロダンス・バージョン)

  1  信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
     聳ゆる山はいや高く  流るる川はいや遠し
     松本伊那佐久善光寺  四つの平は肥沃の地
     海こそなけれ物さわに よろづ足らわぬ事ぞなき

   2 四方に聳ゆる山々は 御岳乗鞍駒ヶ岳
     浅間は殊に活火山  いづれも国の鎮めなり
     流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
     南に木曽川天竜川  これまた国の固めなり

   3 木曽の谷には真木茂り  諏訪の湖には魚多し
     民の稼ぎも豊にて    五穀の実らぬ里やある
     しかのみならず桑とりて 蚕飼ひの業の打ちひらけ
     細きよすがも軽からぬ  国の命を繋ぐなり

   4 尋ねまほしき園原や 旅の宿りの寝覚の床
     木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋
     来る人多き筑摩の湯 月の名に立つ姨捨山
     著き名所と風雅士が 詩歌に詠みてぞ伝へたる

   5 旭将軍義仲も    仁科五郎信盛も
     春台太宰先生も   象山佐久間先生も
     皆此国の人にして  文武の誉類なく
     山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず

   6 吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山
     穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道
     道一筋に学びなば  昔の人にや劣るべき
     古来山河の秀でたる 国は偉人のある習ひ


長月 二百十日の初秋の風 ~野分~

2008-09-01 | 日記・エッセイ・コラム

Akatonbo 立春から数えて210日目の雑節である二百十日

ここのところ 豪雨や雷雨が続き 今年は激しい夏の終わりになりました。二百十日は古くから農家の三大厄日とされ 台風や大雨が多い日。野分が吹き その風を鎮め収穫の無事を祈る「おわら風の盆」などの風のお祭りも行われます。関東大震災から9月1日は「防災の日」でもありますね。

遠い昔・・・大正12年の9月1日、私の父がおなかにいた時に 大震災で壊れた家屋の下敷きになった祖母が翌年の早春に無事に父を出産したという明治生まれの祖母の話も思い出され 祖母が無事に生きて 父も無事に産まれたからこそ今の私が存在することに命の重みを感じます。

Sizuku どうか二百十日が無事に過ぎますように☆

   風たちぬ、いざ 生きめやも。*

"Le vent se lève, il faut tenter de vivre." (PAUL VALERY)

ポール・ヴァレリーと堀辰雄さんの言葉が こころに響く季節のはじまり・・・。

 Kosumosu

でもでも 今日はまた真夏に逆戻りのような暑さです。。。^^;

追記: 夜は福田首相の突然の退陣表明で 政治界にも国民にも 二百十日野分が吹き荒れました。タイでは サマック首相に対する市民の反政府デモによる非常事態宣言が発令され 準戒厳状態だそうで それに比べると日本はやっぱり平和だと思いますが・・。

タイを舞台にした 辻仁成さん原作 中山美穂さん 西島秀俊さん主演の映画「サヨナライツカ」が来春公開されるので ヒロインの「沓子」の気分になりたくて(笑) 9月のはじめからタイ旅行で オリエンタル・バンコクを予約していたのですがタイ情勢が良くない状況でしたので 事前にキャンセルし がっかり・・・。でもっどっちみち 海外旅行はオイルサーチャージャーが高すぎなので当分の間おあずけ・・・。