9日は 67年目の長崎原爆忌でした。 黙とう
(写真は 2009年初秋、大浦天主堂。 長崎、五島列島巡礼の旅の時のもの)
核兵器だけでなく 核廃絶、脱原発への願いをこめて、今もなお終わることのないこの悲劇を また新たに始まってしまった悲劇とともに しっかりと受け止め省みて きちんと勉強し 同じ悲劇が二度と繰り返されぬよう 私たちの子孫の明るい未来へと繋げていかなければ 本当の平和の鐘は鳴り響きません・・・。
ノーモア ナガサキ!
ノーモア ヒロシマ!
ノーモア フクシマ!
終戦の日も近いので 私は ノーモア オキナワ!も叫び 平和を祈りたい。
<<※ 敗戦(終戦)の日などを「記念日」というのは昔からなんとなく抵抗があるのですが、(「祈念日」なら理解できますが・・・。) 最近 広島や長崎の原爆記念日(あるいは原爆忌)も、メディアでは「原爆の日」と表記されるようになったように思います。また「被ばく」と表記されるのは「被曝」であって、「被爆」との違いをきちんと認識し、言葉の重みを考えなければならないと思います。>>
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1987年8月9日 長崎原爆忌の日に85歳で亡くなった 米国の記録映像作家、フォトジャーナリスト及び写真家の ジョー・オダネル氏をご存じですか?
1945年と1946年に日本の長崎と広島における原爆投下直後の状況を撮影した記録写真が有名で 特に「50年間隠され続けたトランクの中の少年」の「焼き場に立つ少年」(昭和20年8月29日 撮影)に 以前衝撃を受けました。
10歳にもならないような少年が、原爆で亡くなった まだ赤ちゃんの弟を背負って焼き場で荼毘にふすために直立不動で順番を待って立っている姿の写真です。直立した少年の姿に 原爆のひどさや悲しさ、そして当時の”日本男児”の強さなど一枚の写真がすべてをものがったっているようで、涙なしに見ることができませんでした。
<<オダネル氏のコメントを紹介します>>
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。
しかも彼は裸足です。
少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。」
「ネガにうつった日本人に笑顔はなかった。
幸せなんてどこにもなかった」
(ジョー・オダネル)
オダネル氏は、生前、この少年を見つけ出したいと、何度も来日したそうですが見つからなかったそうです・・・。
原爆直後の長崎の地で被曝をしたであろうオダネル氏の命日が 長崎原爆忌の8月9日というのも不思議な ”何か”を感じます・・。
(長崎 佐世保にて)
参考 HP
* NHKスペシャル 解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
* にんげんをかえせ
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東日本大震災から1年半・・。
オリンピックのアスリートたちの 熱い戦いは 本当に私たちを励ましてくれて 選手たちのさまざまな思いにも時に涙しながら応援しています。
後半は日本のメダルの獲得数も素晴らしいですが 苦しい試練を乗り越え ひたむきに頑張る選手たち全員を メダル以上に讃えたいです。
先ほどもレスリングの吉田選手の勝利で 決勝進出が決まって ガッツポーズに思わず拍手!
いよいよ 今日未明は なでしこジャパンの決勝戦で寝不足がとまりません。
特に最近のオリンピックの選手たちを見ていて思うことは 彼らのご両親や親御さんが指導者で 小さなころから英才教育を受けて その才能を開花させている選手が多いと感じました。
ご両親の指導のもと 遺伝子や夢が受け継がれ 家族の思いがひとつになって 精神的な支えも満たされているのではと思います。
ロンドンの心理学者も 五輪金メダリストに共通する要素として 家族やコーチによるサポートが重要で、鍵になるのは家族で 両親だけでなく兄弟姉妹も同様だ。と述べています。
親によるサポートは、結果や勝利だけを求めず、結果を出すためのプロセスについて話し合う傾向があることでも共通しているそう。
家族の絆 無条件の親の愛情が選手の心の支えとなり それが結果的に勝利に導いているということでしょう。そして家族の絆があってこそ チームワークの絆 社会の絆が生まれるのだと思います。
この夏 オリンピックで 「絆」の大切さを 再確認した気がします。家族だけではなく 社会の一員として、人間として「絆」を築いていきたい・・・。
I am with you ! 私はあなたとともに・・・
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そして改めて「焼き場に立つ少年」の写真を見ながら思うのです。
こんなにも悲しくつらい思いを 何が 誰がさせたのか 答えは誰にでもわかること・・・。いつの時代もすべての人々が求めているのは平和で あたたかな家庭や家族の愛情がある幸せです・・・。 そして 食べ物があり 夜、あたたかいお布団で眠ることができる幸せ・・・。
(にんげんをかえせ) 峠 三吉
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
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長崎 九十九島。 展海峰より (映画「ラスト<wbr></wbr>サムライ」冒頭の島々の風景)
展海峰の展望台下の園地の秋は、コスモスが咲き乱れ、赤とんぼが飛び交います。
遠藤周作「沈黙」の舞台となった かくれキリシタンの里、長崎、外海の夕日と遠藤周作文学館
*人間がこんなに哀しいのに
主よ 海があまりに碧いのです*
遠藤周作
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