昨日の新聞の文化のページに、作家の五木寛之さんが
ご自分のお母様を亡くしたことの 戦争の悲劇を描いた「運命の足音」(幻冬社)について
最後に述べていらしたことを紹介させてください。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
21世紀は宗教が 重用な意味を持つと思います。
そして、世界の宗教が共存するために
日本が提供できる知的資源がある。
それは 山河にも魂はあるという アニミズムと
神も仏も拝む シンクレティズム(諸教混交)ではないか。
「あいまいさ」は 恥じることではない。
日本人は、その値打ちに気付いていないんです。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
私も 無宗教でありながら 神のような存在を
日頃から感じるのですが、それは 神とか仏というより 宗教を超えた 何か宇宙的なエネルギーのようなものでないかと思うのです。
自然の中にいると そういうエネルギーや
不思議な癒しを感じるのは誰にでもありますよね・・。
あいまいであることの 大切さも必要であると
いつも思っていましたので これを読んだ時、
言いたいことをおっしゃってくださった気がして ちょっと嬉しくなりました。
また 次のようなこともおっしゃっていました
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
手を合わせて 「いただきます」「ごちそうさま」
という習慣を 子供達に教えて欲しい。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
これも 日本人のこころですね・・・
誰かに手を合わせるとか 感謝しなさいというのではなく
自然に手を合わせて 日常の挨拶をすることで
自然や身近なものに対してもの感謝のこころや
豊かなこころが 養われるようにも思えます。
教えるのではなく 日常的に親がしていれば
さりげなく 嫌味な感じや宗教心を与えるというのではなく 自然に身につくことでもありますね・・・。
大切なことを 思い出させてくれました。
ご自分のお母様を亡くしたことの 戦争の悲劇を描いた「運命の足音」(幻冬社)について
最後に述べていらしたことを紹介させてください。
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21世紀は宗教が 重用な意味を持つと思います。
そして、世界の宗教が共存するために
日本が提供できる知的資源がある。
それは 山河にも魂はあるという アニミズムと
神も仏も拝む シンクレティズム(諸教混交)ではないか。
「あいまいさ」は 恥じることではない。
日本人は、その値打ちに気付いていないんです。
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私も 無宗教でありながら 神のような存在を
日頃から感じるのですが、それは 神とか仏というより 宗教を超えた 何か宇宙的なエネルギーのようなものでないかと思うのです。
自然の中にいると そういうエネルギーや
不思議な癒しを感じるのは誰にでもありますよね・・。
あいまいであることの 大切さも必要であると
いつも思っていましたので これを読んだ時、
言いたいことをおっしゃってくださった気がして ちょっと嬉しくなりました。
また 次のようなこともおっしゃっていました
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
手を合わせて 「いただきます」「ごちそうさま」
という習慣を 子供達に教えて欲しい。
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これも 日本人のこころですね・・・
誰かに手を合わせるとか 感謝しなさいというのではなく
自然に手を合わせて 日常の挨拶をすることで
自然や身近なものに対してもの感謝のこころや
豊かなこころが 養われるようにも思えます。
教えるのではなく 日常的に親がしていれば
さりげなく 嫌味な感じや宗教心を与えるというのではなく 自然に身につくことでもありますね・・・。
大切なことを 思い出させてくれました。