平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

以心伝心。。。

2005-07-28 | 日記
「愛」って 目には見えないものだけれど
愛してると言ったり 行動で示さなくても愛情があるとわかるように 
人の気持ちって目に見えなくても伝わりますね・・。

波動・・・というのかな。
嫌な雰囲気とか はりつめた空気・・というように
ココロの波動も 見えないけれど エネルギーとして伝わるカンジです。
水の波紋のように。。。

誰かのことをおもってお月様を見上げたそのとき
遠くのその人も同じように月を見ていたとか。。
ある人のことを考えていたら いきなり久しぶりに電話がきたとか。。
遠く離れていても 気持ちが伝わることがあります。(ただの偶然かもしれないけれど)


人間同士でなくても動物にも伝わりますし。
きっと植物とかいろいろなものに気持ち(ココロ)の波動が振動として伝わるのだと思うのです。

あのね・・あたし 赤ちゃんとか鳥とか犬とか(笑)大人でもそうなのですけど
寝かせるの名人なんです♪
寝かせてる時って こちらも眠くなるでしょ。
すると眠りに落ちそうになる瞬間と 
寝かせる人(あるいは動物)の眠りに落ちる瞬間が同じカンジなの。
その瞬間を感じたときに 赤ちゃんとか寝かせる対象をそっと見ると
確実に眠ってくれちゃうんです♪

欠伸とか眠気は隣にいるひとに移るというケド
あれってホントだと思います。

α波などの 波動が共鳴しあうのではないかな~って
勝手に思い込んでいます。

だから 若いお母さんがなかなか寝ない赤ちゃんを
いらいらしながら寝かしつけても赤ちゃんは寝るどころか
ますますぐずったりするのもわかるかんじです。
自分も眠くなって一緒にねちゃえ~!っていう気持ちで
子守唄とか歌ったり ただ黙って背中をトントンしていたり 頬を撫ぜていたりすると
自分の鼓動や呼吸のリズムが どこかで赤ちゃんと共鳴して二人で眠くなってくるの。
でも 先にこっちが寝ちゃうこともあるのですけど。。

わんこも鳥も子守唄とか歌ったりネンネ~といって一緒にいると
すぐに寝ちゃいます(@≧m≦@)ぷぷっこれってホントなんです♪

愛情に満たされている中にいると
ココロが落ち着くのもわかるかんじでしょ。。
言葉がなくても 気持ちって伝わるから

    *(青ハート)*ふ*(青ハート)*し*(青ハート)*ぎ*(青ハート)*




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花火大会

2005-07-19 | 日記
日曜日 横浜の山下公園前で
国際花火大会がありました
”★。::*き'☆”。::*れ'★。::*い'☆”でしたが すごい人でした。

 ☆(((≪*☆*ドーーーン!!*☆*≫)))☆

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 梅雨も開け いよいよ夏本番ですね♪
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出生体験? シックスセンス?

2005-07-19 | 日記
私は無宗教だけれど 何故か神の存在、というより
宗教を越えた「何か」の存在みたいなものを信じている。
それは 物体ではなくて 宇宙エネルギーのようなものではないかな?・・と感覚的に思うのです。
宗教や国が違っても「神」とか「仏」と呼ばれるものがあるのは 
ただ 人間が勝手に創り上げただけのものとも思えない。(考え方こそ相違はあっても世界中の宗教の根っこには共通点があるから)
また、「デジャヴ」などの既視感や輪廻などの感覚的なとらえかたにも共感を覚える。

ほんの小さな頃から 高熱を出すときまって見る夢があった。
それは私の中の「出生の記憶」なのではないかな・・と思ったのは長女を妊娠したときの
不思議な感覚からです。
読書をしているときなど ときおり唇がしびれるような感覚を覚えたのでした・・。

瞳を閉じてその感覚に集中させると
歯がない自分の口腔を舌が覚えてる。
唇がしびれるような感覚は 子どもの頃から
夢の中でうなされた時の感覚そのもの。
何層もの粘膜のようなものに体全体がもみくちゃにされながら
苦しくて 苦しくて
歯車の中にはさまれてしまっているような感覚。
視覚的には暗いトンネルの向こうに ものすごい光の出口が見える。
触覚的には 唇が裏返されてしびれているかんじ・・。
だけどこの苦しみをのりこえると 光の向こうにまばゆいばかりの草原があり
たくさんの人がいるのが見えるのです。
大人になるにつれて そこにいる人たちが
祖父母であったり 若くして亡くなった友人であったり・・亡くなった人であることに気づきました。
(これは出生の記憶にはなりませんね・・)

今でこそ胎児の記憶とか臨死体験というテーマはしばしば話題になることですが
当時はまだ 輪廻とか臨死体験とかメディアで見聞きすることはありませんでした。
ですから わずか3歳くらいから熱が出るたびに ずっと経験してきた感覚が 子どもの頃から不思議でたまりませんでした。
誰にいうのでもなく ただ熱がでるとどうして同じ夢をみるのかな・・?くらいに思っていました。
3歳くらいから・・と思うのは単にその頃の年齢から記憶があるだけのことで
多分それ以前の乳幼児の頃もそのような体験があったと思うのです。
なぜなら 私は「夜泣き」をする赤ちゃんだったそうだから(これは こじつけ。。笑)

ところがある日 中学生の頃だと記憶していますが
たまたまNHKのまじめな番組で
アメリカにおける「臨死体験」について体験者が語っているのに衝撃を覚えました。
臨死体験という言葉もそのとき初めて知ったのですが その主な体験として

① 暗いトンネル
② まばゆいばかりの光
③ 緑の光に包まれた草原のようなもの
④ 三途の川のようなものの向こうから誰かに呼ばれているが渡らず引き返した
⑤ 自分が横たわっているのを天井あたりから見ている

というようなものだったと思います。
もちろん私は臨死体験なんてしたことがありませんので 当然なのかどうか ④ ⑤の
経験はありませんが
(⑤に近い夢としては宇宙(?)まで飛んでいく視覚的な感覚はよくありますが・・)
①~③を聞いて泣いてしまうくらい衝撃的だったのです。

それ以来 何故そんな夢をみるのか 夢をみるたびに考えましたが 
自分でも意味がわかりませんでした。

大人になって長女を妊娠したときに 起きているときにその夢を見ているときの感覚が
何故か唇に蘇ったのです。
そのとき もしかしたら 私の場合は「臨死体験」ではなくて
「出生の記憶」なのではと思いました。

そしてその理由に納得したのは 長女のまさに生まれた直後の顔でした。
真っ赤な顔で元気な産声をあげるわが子の唇を見て
腫れあがっていることに気づいたのです。
出産の本にもそんなことは書かれておりませんし
その腫れは 数時間後には スヤスヤと安らかに
天使のように幸福そうに眠る赤ちゃんの唇にはもうありませんでした。

出産時の新生児の写真を先生が撮ってくださり
待合室にあるアルバムにたくさんの新生児の写真(出産直後)が貼られているのを数日後あらためてみると
どの赤ちゃんもみんな唇が 真っ赤に腫れているのでした。 

私の小さな頃から 高熱をだすときに見る夢は
粘膜にもみくちゃにされ せまい産道をとおってきたときの出生の苦しみの記憶なのだと
このときにあらためて思いました。

三島由紀夫さんも産湯に使った記憶があると本で読んだのもこのあとのことです。


そんな 本当かどうかもわからない ただ勝手に感覚的に思い込んでいることなのですが
もし輪廻とか魂というものがあるのなら・・

人は魂が宿るのは出生の瞬間で 
生物としては胎児は母体の中で生きてはいるけれど
まさにこの世に誕生する瞬間に「魂」が宿るのではないかと思うのです。
魂というより 記憶を持ったエネルギーのようなものなのかも知れないけれど・・。

何層もの粘膜にもまれながら真っ暗な産道のトンネルをくぐり
苦しさの中で まばゆいばかりのこの世の光を見て、
そこに出た瞬間からすべての苦しみから解放され 光に包まれ至福の時を迎える。

そしてまた 人は死ぬ時、魂が抜ける瞬間にこの記憶が蘇るのではないだろうか・・・。
あるいは 暗いトンネル まばゆいばかりの光というのは細胞や視覚が記憶する生死の境なのかもしれない。

肉体が死んだとき 存在していたエネルギーはそこに残り 新たに誕生した肉体に宿る・・。

生きているということは 肉体を得て光の中にいること・・
死ぬということは肉体はなくてもエネルギーとして存在すること・・感覚的にはそんな感じがする・・。

光があるからいろいろなもが カタチや色として見えるだけのこと。
空気があるから香りがするだけのこと。
生きていて五感があるからいろいろなものを感じることができるだけのこと。

エネルギーは暗闇でも存在する。
けれど五感で感じられるエネルギーはそれなりの大きさがないとだめでしょ?

この宇宙が存在する前だって 「無」ではなくてエネルギーがあったから・・?

有る・・・存在ってなんだろう。
無・・・ってなんだろう?・・。

  .:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~


このこととはべつに 子どもの頃から霊感のようなものを強く感じ
不思議な経験がたくさんあるのは何故なのだろう・・・シックスセンスがあるのかな?(笑)
でも それはやっぱり 気のせいなのかもしれない。。。
こうやって書いている自分の感覚や考えさえ
何がなんだかわからなくなってきますし(笑)
すべてが感覚だけで 何の根拠もないのですから。

ですから 幼い頃からずっと 自分でもわからないことを人に言うということはできず
子どもの頃から 家族や友人にこのような話をすることはありませんでした。
自分でも信じられないような感覚ですし
人に信じて欲しいという思いもないからです。

けれど 娘や夫に話すようになり はじめは笑って相手にしてくれなかったけれど
私の様々な体験や 霊感のように感じること夢で見たことなどを何気なく言って
それが本当になることがしばしばあるのを
目の当たりにして 驚きとその不思議さに
みんなでびっくりするのでした。

娘のうちの一人にも 私と 同じような感覚があるようですし・・(笑)

そんなわけで 3年ほど前からここにちょっと書いてみようかな・・と思っていたことを
なんとなくつづってみました。

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♪ こうしていよう ♪

2005-07-16 | 日記
  *(音符)* こうしていよう *(音符)*

     さくらももこ 作詞   朝川 朋之  作曲


ここにいてもいいって

いつ誰に言われたのでもないのにね

ここにこうして私は いるよ

雨が降っているのを見たり

空が青いのを見たり

キンモクセイの花を見たり

皆と喋ったりしてるよ


ここにいてもいいって

いつ誰に言われたのでもないのにね

ここにこうして私はいるよ

おいしいってびっくりしたり

嬉しいって笑ったり

飛んだり 跳ねたりしているよ



不思議だね

こうしていても良いなんてね

おもしろいね

楽だから このままこうして

コロコロ していよう  



<平成12年度NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲>

とってもかわいい歌で 一度聞いて好きになりました。

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あらゆるものは空

2005-07-15 | 日記
*(青ハート)* あらゆるものは空 *(青ハート)*

ここ二ヶ月くらい この言葉が頭の中でぐるぐると回っている。

そんなとき Cafeの尊敬する方が「五蘊皆空」について述べておられて
般若心経を思い出しました。

色即是空 は 目に見えるものに実体はない「あらゆるものは空」だとしても
空即是色 は 目に見えないものに実体がある・・
むしろ後者の方の無いものこそ有る。という教えに頷けるような気がします。
やっぱり神とか仏と呼ばれるものって宇宙エネルギーなのではないかな。。。と
いつも勝手に思いこんでいるから。

原子核のまわりを電子が回ってるコトと
般若心経との共通点を理論的にというのは難しいので
感覚的に考えてみたくなりました。


たまたま娘から 
*(キラキラ)* 「水は答えを知っている」 江本 勝 著
 
http://www.hado.com/books/kotae.htm

という本が面白いと薦められ ここでもたまたま色即是空 空即是色に出会って
ちょっと感動しながら読みました。
水に 綺麗な音楽や いい言葉を見せたり聞かせたりすると
水の結晶が美しくなるという写真つきのメッセージで
目に見えないすべてのものは 原子の振動やその波動によって存在していて
物質とは本来 振動にすぎないのである。と書かれていました。


サンテグジュペリの「星の王子様」の
*(星)* 心で見なければ、物事はよく見えない。肝心なことは、目に見えない *(星)* とか
金子みすゞの「星とたんぽぽ」の詩の
*(星)* 見えぬものでもあるんだよ *(星)*
という言葉もこれと共通点があるように思います。
子どもの頃から そういう考え方になぜか惹かれるのです。


昨日は 買い物の途中、本屋さんで
*(キラキラ)* 「生きて死ぬ智慧」を立ち読みしちゃいました。(本屋さんごめんなさい。。)

 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093875219/249-0149748-0467574


蓮の花の季節に ちょっと哲学してみたい気分です(笑)♪
来週あたり 三渓園に蓮の花を見に行こうかな。。。


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幸福な結末    辻仁成 著

2005-07-15 | 日記
大~好きな 辻仁成さんの小説
「幸福な結末」 角川書店 を読みました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048736051/249-0149748-0467574

角膜移植をした女性が術後 不思議な男性の幻を見るようになるという
ブリュッセルと東京を舞台にしたお話です。

物語の中にちりばめられた いくつも言葉たちの記録を心の中で何度もつぶやいてしまいました。

 *(青ハート)* お終いのためのはじまり。
         はじまりのためのお終い *(青ハート)*

終わりのあとにはじまりがあるのだとしたら実は終わりなんてないのかもしれない。
それは 輪廻にも似ている・・。
そして恋には終わりがあっても 終わりのないものこそ本当の愛なのではないかとも思いました。
けれど 本当の愛なんてあるのかしら?
錯覚?蜃気楼?
だけど 愛は錯覚や蜃気楼だなんて思いたくない自分がここにいる・・。

宇宙もいつかは終わるとすれば その時がすべての終わりなのかしら・・?
けれど そこからまた新たな宇宙が始まるのかもしれない・・。
ソンナコトを考えながら この物語の結末が ハッピーエンドになりそうな予感にほっとした。


この物語を読んだあと ず~~と

*(星)* あらゆるものは空 *(星)*

*(星)* The Vanity of Human Wishes *(星)* (人間の望のむなしさ)

という言葉があたまの中をぐるぐるまわっています。。。


.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~

今年5月 辻さんはカンヌでこの「幸福な結末」を題材に
自ら監督をつとめ日仏合作映画を作ることを発表しました。
日本とフランス間で映画の公開や製作で提携していくための
「日仏映画協力覚書」がカンヌ映画祭会場で調印されたそうです♪


パリ ブリュッセル 東京を舞台にした
ラブストーリー。。。 楽しみ~♪
また じんくんの映画 じんくんの音楽に会えるなんて 
  今からワクワク♪o(^o^o)(o^o^)oワクワク♪です。


現在パリ在住の辻さんは 日韓国交樹立40周年を記念し企画された
韓国紙「ハンギョレ新聞」にて韓国の人気女流作家、 孔枝泳氏と
コラボの連載小説「遠い空、近き海」も連載なさっているそうです。


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肉まん♪

2005-07-15 | 日記
中華まんじゅうは買うと高くて たくさん食べられないので 自分で作っちゃいます。


薄力粉 強力粉 ベーキングパウダー ラード(マーガリンでもOK)
塩 砂糖 水 ドライイーストを使って生地を発酵させるまでは
パン焼き器を使うので 意外と簡単にできます。

一回に12個できるので おなかいっぱい食べられて大満足。

生地を発酵させているあいだに
豚挽き肉 しいたけ ネギ しょうがなど好みの材料を全部みじん切りにして 
好みの味付けをし(ごま油や醤油 みりんなど好みです)具を用意しておきます。
八角か五香粉をほんの少し使っても美味しいです(使いすぎに注意!!)

発酵させた生地を12等分して麺棒でのばし
具を包み込んで成型し 
さらに20~30分発酵させてから蒸し器で20分ほど蒸して出来上がり♪

 ヾ(@⌒¬⌒@)ノ まいう~




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思い出したコト

2005-07-12 | 日記
子どもの頃の学校給食の牛乳の思い出と一緒に思い出したことがいくつかあります。


最近は学校や病院などでも子どもに対する様々な配慮がなされてきましたが
私が小・中学生の頃は遅れていることがたくさんありました。

女児のブルマーにしても ここ数年でやっと
短パンに変わりましたが
何故あんな水着のような格好で体育をしなければならないのか
特に小学校高学年から中学生の頃はイヤでイヤでたまりませんでした。

中学生になってからは ジャージもありましたが
夏の体育の時間は風邪気味とか生理中などの特別な届出(生徒手帳による保護者の届け)がない限り ブルマーでなければいけませんでしたし、
生理中にジャージをはきたくても 男の子に「おまえいまアレだろう?」なんて言われるのが嫌で我慢してブルマーのままでいたのでした。

小学生の時も、高学年でさえ体育の着替えは男子と一緒。
着替えるのが嫌なので 体育のある日は洋服の下に体操着を着て行きました。

プールの着替えも4年生位からやっと別々になり、それまでは男女一緒。

内科検診や身体測定は上半身裸になり、
下着一枚で保健室で並んで待たされ
高学年は男女別でしたが 担任の先生が男性であっても
記録をするために医師や養護教諭のとなりにいてじっと見ているのです。
今なら考えられないような光景だと思います。

中学2年の時に病気をして二ヶ月ほど国立病院に入院したときのことも忘れられません。
中学生までは内科ではなく小児科にまわされてしまうのはしょうがないのですが
診察前にまず 待合室で小さい子どもたちとおなじように下着一枚にさせられて
身長 体重を測るのです。
赤ちゃんを抱いた若いお父さんたちがいたりしても 14歳の少女がそんな格好で人前に立たされて
「すみませんスリップだけ着てもいいですか?」と聞いても
「分銅で精密に測るので下着一枚でないと困ります。」と看護婦さんに叱られました。
後で 母に泣いて「何であんな格好させられなきゃいけないの?もうこんな病院に行きたくない」と訴えましたが
母は「そんなこといっても看護婦さんがそういうし病院のきまりなんだからしょうがないでしょ・・」と言うだけでした・・。
今のように病院に対して何かを言うなんてできる時代ではなかったのです。


入院中も感染防止のため 小児病棟から一切出ることが許されず(私は軽度の病気なので
感染や安静が必要ではありませんでしたが)
売店も散歩も公衆電話のある場所まで行くことも許されず どうしても用があるときは
ナースステーションの電話を借りるしかなかったのです。

一度だけどうしてももって来て欲しいものがあり
こっそり抜け出して (といっても小児病棟のドアからわずか5メートルくらいの場所)
公衆電話で電話をかけていたら 看護婦さんにみつかってしまい
「あなたはいいかもしれないけど 外のばい菌に感染したために手術が受けられなくなってしまう子だっているのですから 二度とこういうことはしないでください」
と叱られ、意味はよくわかったので反省して二度と電話をかけにいくことはありませんでしたが 何故 こんな軽い病気なのに小児病棟にとじこめられているんだろう?・・と
夜になるとよくこっそりベッドで泣いていました。

面会も感染防止のため15歳以下は禁止。
面談室もなく当然友達は禁止ですから学校にその旨連絡してくださいと病院に言われました。
担任の先生が何度もいらしてくださいましたが
友達とも逢えず 電話もできず 毎日小さな子どもたちを相手に紙芝居を読まされたり
お昼は 食堂でみんなのパンをトースターで焼くお手伝いをさせられたり、
幸い 小さな子どもが大好きだったのでこれはのりきれましたが
(むしろこの時の経験から幼稚園教諭になろうと思ったのですが)
今学校でどんなことがおきているのか 勉強はどのくらい進んだのか
仲良しの友達はどうしているかな?・・と考えるたびに悲しくなるのでした。
たまに 親友が一階の病室の窓の外からこっそりのぞきにきてくれたことが(笑)
すご~く嬉しかったのでした。


また、特に食事制限もなく育ち盛りで 病院食だけではおなかがすくので
母に差し入れてもらったお菓子やパン、ジュースなども
同室の食事制限のある小さな子どもたちの前で食べることもできず
夜中にみんなが寝てしまったあと 布団をかぶってコソコソ食べたりしたのでした。

とにかく 今 思っても 考えられないような入院生活だったように思います。
入浴も週に1回しかさせてもらえず
年頃の女の子にとってはそんなことさえ辛かったのでした。

もちろん 子どもの頃の思い出は 楽しいことのほうがいっぱいですので
不満とか悲しい思い出はあまりないのですが
多感な時期に学校や病院で経験したコトを思い出し、思うままに書いてみました。








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牛乳 その2

2005-07-11 | 日記
小学校1年生の時にまだ給食に出ていた
脱脂粉乳が私の牛乳嫌いの原点と思われます。
今のスキムミルクとは全然違って それはそれは絶えられないものでしたが
当時は給食を残すなんてことは許されず
ひたすら我慢して飲んだものでした。
(このお話がわかる方は同世代♪)

でも ありがたく給食が 普通のびんの牛乳になってからも(最近はパックみたいですが)
やっぱり牛乳は好きになれませんでした。
牛乳を使ったお料理は好きなのですが
牛乳の給食の思い出(特に香りの記憶)がどうしてもいいものではないからです^^;



① 給食当番で牛乳当番の時は重くて最悪。

② うまくフタを開けられず、開けるのに失敗すると
  どんどん紙が薄くなっていくフタと格闘するか 
  もしくはグサっと開いて牛乳を浴びる。
  (午後になると洋服に付いた牛乳がもわ~~っとにおってくる・・・)

③ 飲み終わった後の沢山の空になった牛乳瓶がくちゃくて給食当番はまたまた最悪。
(当時は水道代の節約のせいなのかどうか 飲み終わったびんを洗う習慣が給食の時にありませんでした)

④ 牛乳をこぼしたり落として割ってしまった時
  雑巾が超!!くちゃくなって 何度洗っても最悪な状態になる。


などなどです。。。
あと 牛乳アレルギーの子がいて
いつも飲んだ後 嘔吐していたのに
当時はアレルギーが広く認識されておらず
おまけに給食は絶対に残してはいけないという
学校の教育方針もあり 先生も対処してはくれませんでした。
なので 席替えで その男の子の席のそばになると かわいそう。。。と思いつつ
(゜口゜;)うっ・・・・・ お願い。。吐かないで・・・と給食の時間になるたびに思ったものでした・・・

日本ってほんとにそういうことが 
教育という名のもとにすごーく遅れていたような気がします・・・。

また牛乳が好きでも献立によってあわないこともありますし
毎日毎日 給食に出ると飽きてしまうこともありますね。
それに昔と違って栄養摂取も過剰な時代で
カルシウムやたんぱく源を牛乳にこだわることもないような気がします。

実際 アトピーなどのタンパクアレルギーの子どももたくさんいますし
給食も見直しをしなければならないところがあると思うのです・・。
もちろん 学校給食は感謝することのほうがたくさんですし 牛乳が栄養に富んでいることもよくわかります。
また国の学乳制度に基づき 奨励金が交付されることが多く、
保護者の負担を軽減してくれているそうですので やはり感謝すべきことですね。


最近はいろいろな配慮もなされ 子どもたちにあわせて残したりもできるようですし
勝手な意見を述べてしまって・・ごめんなさい^^;


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牛乳。。。

2005-07-09 | 日記
CAFEのお友達の お風呂上りの牛乳が美味しかったというコメントで牛乳の思い出を思い出しました。

私は牛乳を使ったお料理は好きなのですが
牛乳をそのまま飲むのは子どもの頃から苦手です。

ですから 小学校の給食で一番苦手なのが牛乳でした。
友達と最初に一気に飲んじゃおうということになり
給食の時間は牛乳早飲み競争なるものをしていました。

ヨーイドンで息をとめて飲むのですが 競争なので
参加しない牛乳好きの子(お食事中にちびちび飲む子)は
笑わせ役になって邪魔をします(笑)

・・・で 途中で(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!と耐え切れなくなって
(* ̄●● ̄)お鼻から牛乳が(* ̄ii ̄)ブハっ~~~~!!!!で最悪!

というわけで・・ますます牛乳がきらいになるのでした。。。
("⌒∇⌒") キャハハ _(_ _)ノ彡☆ばんばん

牛乳が大好きな方 ごめんなさい♪
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ちびくろさんぼ

2005-07-09 | 日記
「ちびくろさんぼ」  ヘレン・バンナーマン・文 フランク・ドビアス・絵  光吉夏弥 訳
が 瑞雲舎より復刊され話題になりました。

10年ほど前 差別的な絵本であるという理由で
絶版になった時 とても残念に思いましたので嬉しいニュースでした。

子供の頃 岩波子ども本の中で大好きだった3冊の絵本は今でも手元にあります。

*(星)* ちびくろさんぼ  

*(家)* ちいさいおうち  バージニア・リー・バートン 文・絵   石井 桃子 訳

*(星)* ひとまねこざる(シリーズ) H.A.レイ 文・絵  光吉 夏弥 訳


復刻版はまだ見ておりませんが
一部のお話が省かれているようで残念ですが
表紙は同じような感じですね。

ちびくろさんぼで 大好きな場面は
トラがとけてバターになってしまうところ。
絵本の中からバターの香りがしてくる気がするほど
何度もくりかえして読んでも飽きないシーンでした。

またその バターでホットケーキを山のように焼いて
お父さんのジャンボとお母さんのマンボと
おなかいっぱり食べる場面にわくわくし
今でもホットケーキを焼くと思い出すほどです。

娘たちが幼い頃も 昔の絵本を一緒に読んできましたが
心にのこる場面や 感動する場面はいつの時代の子どもたちでも同じなのでした。

賛否両論があるのもわかりますが
差別であると感じる気持ちそのものこそが 
差別であるのではないかなとも思えます。

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ルーブル美術館展

2005-07-09 | 日記
横浜美術館で4月9日から開催されているルーブル美術館展は今月の18日までなので
先日鑑賞してきました。


 http://www.ntv.co.jp/louvre/index.html


フランス革命 ナポレオン帝政など
激動の時代のフランス絵画が展示され
18世紀から19世紀にかけての絵画は
新古典主義からロマン主義 写実主義へと移り変わり
やがて印象派に代表される近代絵画の誕生の準備をしたそうです。

貴族の美化された肖像画や歴史画から 人間の心の内面、個人の感情や感動を自由に表現する絵画へと
そして 人物の背景であった自然の風景が主題になる絵画へと変化していく様子がわかり
「ロマンチシズム」の意味がなんとなくわかったような気がしました。

日本では初公開の「トルコ風呂」の絵が
話題を呼んでいるようですが
裸婦のモチーフの集大成?とう絵は
私はあまり好きだなとおもいませんでした。
絵画や芸術は 多数の意見に左右されるより
自分らしい感性で見聞きすることも大事なのではないかとも思いました。



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臼杵

2005-07-07 | 日記
先月 機内誌でみつけたもうひとつの記事は臼杵の黄飯(おうはん)。
くちなしの実を使った 武家に生まれたご飯の炊き方だそうです。

クチナシの実は お正月に栗きんとんを作るときに
サツマイモの色づけをしますが ご飯にも使われることを初めて知りました。

南蛮貿易が盛んだった頃 サフランを使ったパエリアを真似て作ったという説があるそうです。


遠い昔。フランシスコ・ザビエルを招き 南蛮貿易を開花させたキリシタン大名の大友宗麟(義鎮)は
どんな思いで洗礼を受けたのかな・・・。


臼杵。

懐かしい風景が広がる町並みや田園の風景。
磨崖仏の石仏群の素晴らしさ。
石仏のある鳥居から満月寺をのぞむ心惹かれる風景。
いつか ここで行われる 竹宵・火祭りを見てみたいな。


大林映画「なごり雪」の舞台にもなった臼杵。

伊勢正三さん(臼杵の隣町の津久見のご出身)の歌を思わず口ずさみたくなる。
(歌っていたのは イルカだけど)

 

  *(青ハート)* 今 春が来て君は 綺麗になった
         去年よりずっと 綺麗になった *(青ハート)* 



訪れたことはありませんが、臼杵から阿蘇に抜ける途中の 竹田市にある岡城跡は 
滝廉太郎の「荒城の月」(土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲)のモデルだそうですね。


肺結核のため23歳の若さで亡くなった滝廉太郎は
少年時代 この荒れ果てた古城跡で遊んだ思い出から この名曲がうまれたそうです。




城下町や武家屋敷の風景に心惹かれるのは何故なのかしら・・。
今は亡き 父のふるさとの郡上八幡にも行きたくなりました。





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サン・テグジュペリの言葉

2005-07-07 | 日記
先月の旅の時 機内誌で「星の王子様」の著者である
サン=テグジュペリの言葉が書かれているページを見つけて嬉しく思いました。

 *(青ハート)* 愛することは 
        互いに見つめ合うことではなく
            ともに同じ方向を見ること *(青ハート)*

 *(星)* 人生の知恵 サン=テグジュペリの言葉    山崎 庸一郎 (翻訳)

.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~

サン=テグジュペリ *(星)* 「夜間飛行」より  (堀口大学 訳)
 <1931年度 フランス フェミナ賞受賞作品>

*(キラキラ)* 人間の幸福は、
自由の中に存在するのではなく、
義務の甘受の中に存在するという事実を
明らかにしてくれたことを感謝する *(キラキラ)*

アンドレ・ジッド(仏作家)の言葉を
サン・テグジュペリが「夜間飛行」の序文で引用している。



サン=テグジュペリ *(星)* 「人間の土地」より  (堀口大学 訳)


*(キラキラ)* 経験は 我々に教えてくれる。
愛することは 互いに見つめ合うことではなく
ともに同じ方向を見ることだ、と。 *(キラキラ)*


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7月7日、晴れ  Dreams Come True

2005-07-06 | 日記
あいたくて あいたくて あえなくて…

あいたくて あいたくて 星に願った
天が大きく一周しても ずっと

あえなくても あえなくても 想い続けた
雲が 星を隠した夜にも ずっと

奇跡は起きなくても 空のふたりが会える 今夜だけ
一瞬でいい

思い出して 思い出して ただそれだけで
明日も あなたを想う 勇気になる

真夜中に一度だけ 鳴ってきれた電話を 信じたい
あなたも今頃

私と同じ気持ちで この空を見てると

奇跡は起きなくても ベガとアルタイルが会う 今夜は
晴れるように祈ろう

夕立の跡 拭った風 隣の庭 音を立てる
願い載せた 笹の葉

ちぎれた雲 目が慣れたら この窓からも きっと見える
―あなたにあいたい―

7月7日、晴れた夜空 数を増やす星
今夜 かなえたい願いは たったひとつ

あいたくて あいたくて あいたくて…



         作詞:吉田美和



*(星)* 明日は 七夕さまですね *(星)*

一年にたった一度
天の川の 翼を並べたカササギの橋を渡って
恋する二人が結ばれる。・。・。


織り姫星は こと座の一等星ベガ
彦星は わし座の一等星アルタイル


二つの星の間にある天の川に羽を広げているのが白鳥座。
その中で二人を見守るデネブ

ベガ、アルタイル、デネブは、
「夏の大三角形」
都会は天の川はもう見ることはできないけれど・・・
ほら♪ 夏の空を見上げてみて!

天頂でキラキラ輝いているのがベガ。
その周囲の明るい星を線で結ぶとトライアングルが見えてきます♪


        *(星)* ベガ(天頂)





  *(星)* デネブ            アルタイル(東の空)*(星)*
     

  平塚の七夕祭りに行きたいな。。









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