平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

*柳川* 白秋と川下りとうなぎのせいろ蒸し

2007-08-28 | 旅行記

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大野島の白仏に感動したあとは お寺でいただいた冷たーいアイスコーヒーを飲みながら(ごちそうさまでした♪) 1時間に1本しかないバスを気長に待ち <水郷>柳川へ。こんなのんびりした旅は猛暑さえも苦にならず ときおり吹く風と静かに流れる時間に心もおだやかになるのでした。

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Ohana柳川駅まで行かず「御花 というバス停下車。町中に掘割(クリーク)が走る柳川は立花藩の城下町でOhana2北原白秋の生地としても有名です。は立花氏の別邸で 鹿鳴館様式をとりいれた白亜の洋館は 横浜山手にある建物にも似ていました。柳の枝がゆれる水路沿いを歩いていると なまこ壁の建物が並び 倉敷にも似ているなあと思いました。白秋の文学碑があちらこちらにあり どんこ舟での川下りの様子は 潮来の町のさっぱ舟の風情にも似ていました。        

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Unagi 柳川といったらまずはうなぎのせいろ蒸し。(柳川なべのどじょうはちょっと。。。なので) うなぎ料理店が並ぶ沖端町を歩きながら 白秋や壇一雄も食べに来ていたという老舗「若松屋を発見♪ 通りに面したお店ではなく奥まった古い民家のような広い建物のお座敷の方に案内され どこかUzaku のおうちにお邪魔しているようでした。

Wakamatuyaうざくほねせんべいをいただきながら うなぎのせいろ蒸しを 待つこと20~30分。蒸したてのせいろ蒸しは 白いご飯ではなく うなぎの蒲焼のタレをかけて蒸したような茶色のご飯。大きなうなぎに錦糸卵がのっており、関東で食べるうな重とはかなり違いましたが とってもおいしかったです。

Hakusyuu1 おなかがいっぱいになったあとは 北原白秋生家・記念へ。「からたちの花」など2万点もの詩や ♪雨 雨ふれふれ母さんが~♪ などの童謡を残した偉人ですが 北原家は古くから柳河藩御用達の海産物問屋としても知られ、屋号を「油屋」、または「古問屋」といい、父親の代では柳川でも一、二を争うほどの大きな酒造業も営んでおり、人々は白秋(隆吉)のことを「油屋のトンカジョン(大きな坊ちゃん」の愛称をもって呼んでいたそうです。(柳川弁では「じょん」といえば「良い子」を意味し、トンカジョンは大きい良い子の坊や。チンカジョンは弟になるわけで、柳川では おりこうさんにしていると「じょん じょん」と大人から頭をなでられるのだそうです。)

屋敷の広さは4千坪もあったそうですが、明治34年の沖端大火で生家の大部分が焼け、残った母屋も人手に渡ることになり、傷心の白秋はさらに詩歌の世界に没頭したそう。早稲田大学時代には(明治37年に上京した白秋は、早稲田大学英文科予科に入学)、歌壇に名が知られるようになり、「邪宗門」、「思ひ出を発表した白秋は、作詩活動のほか短歌や童謡、民謡も手がけ、「国民詩人」「詩聖」と称されるようになったのです。

*水郷 柳河は さながら水に浮いた 灰色の棺である* 白秋

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白秋は神奈川ともゆかりがあり 大正2年から10か月ほど 三浦 三崎にも住んでおり城ケ島には 島村抱月松井須磨子のための舟歌「城ケ島の雨」の詩碑や記念館があり、神奈川県立湘南高校校歌も作詞しています。(作曲は山田耕筰)。 
持病の腎臓病と糖尿病が悪化し 昭和17年(1942) 57歳で 東京都杉並区阿佐ケ谷の自宅で亡くなりましたが 生家の仏間に 友人の版画家、恩地孝四郎によってとられたという デスマスクが展示されていたのには驚いてしまいました。

Shihi 白秋は水郷柳川は、我詩歌の母体であると述べ こよなく柳川を愛したそうで 生家そばには 白秋最後の思郷の詩 帰去来の詩碑(白秋詩碑苑)がからたちの木に囲まれて建っています。

白秋の生家から周辺のお店を見たりしながら どんこ舟乗り場へ行き、70分ほどの川下り。船頭さんの説明や歌を聞きながら 水面からの柳川の風情を楽しみました。クリークに降りるための門や階段、水辺を楽しむためのテラスや出窓が作られている民家も多く、 レンガ造りの並倉、なまこ壁、<wbr></wbr>揺れる柳、四季の植物 文学碑など楽しみながら ときおり低い橋や水門の下をくぐるので そのたびに頭を下げて通過するのも楽しくて、水上売店でかき氷を買って食べたりしながら水郷の風情を楽しみました。あちらこちら回ったあとで川下りを最後にしたのは 夕方になってきて真夏の陽射しも落ち着いてきたので正解でした♪ でも猛暑の中 竿を巧みに操る船頭さんは どの方も初老の男性で(失礼。。。)とてもお元気そうに見えましたが お身体などこわしませんようにと 心配になりました。(潮来のさっぱ舟は昔の娘船頭さん♪だけど(笑))

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↑<水影の碑>殿の倉のなまこ壁を背景に建てられた碑には、白秋が出郷して20年ぶりに帰郷した時に読んだ詩が刻まれている。

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途中 うとうとしそうになった時 オノ・ヨーコさんのお父様の生家ですという説明に へぇ~~~で目がさめました。 ヨーコさんのご先祖は 戦国時代柳川立花藩の家老、小野 鎮幸(おの しげゆき)で お祖父様が、第4代日本興業銀行総裁。 母方曽祖父様が、安田財閥創業者だそうです(びっくり。) 思わず「小野家 安田家の人々」なんていう映画を作ったら ドラマチックだなあ~と思い(笑) ヨーコさんの知性と豊かな才能に頷いてしまうのでした。

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壇一雄が愛した能古島と柳川2日 

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「白仏」  大野島 勝楽寺へ

2007-08-27 | 旅行記

Hakubutu1_2 芥川賞作家であり ミュージシャン、映画監督でもある辻仁成さんの 福岡ライブの翌日、氏の作品の中でとても好きな小説で フランス フェミナ賞・外国文学賞受賞作品(日本人初)、「白仏」の舞台であり 辻さんのお祖父様(母方)の故郷でもある 福岡県大川市大野島まで足をのばしてみた。

小説を読んだ時から イツカ行ってみたいと思っていたが 遠すぎるので無理だと諦めていたのだが 思いがけず訪れることができて感動した。

有明海に注ぐ筑後川下流の島に生まれた稔 は発明好きで戦前は刀鍛冶、戦中は鉄砲修理、戦後は海苔の加工機製造などをしてきたが 戦死した兵隊や 亡き初恋の人、友人、家族の魂の癒しのために島中のお墓の骨を集めて一体の白仏を作った。という辻氏の祖父である「鉄砲屋 今村豊」(小説では 江口稔)の生涯をモデルにしたHakubutu0小説である。また 戦争の記憶が 骨仏の建立への思いとつながったのであろう・・。(製作者は今村輝久氏)

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福岡(天神)から西鉄天神大牟田線に乗り45分ほどで柳川駅へ。駅前バス停にとまっていた大野島方面行のバスに乗る。柳川の町を過ぎる頃には乗客は誰もいなくなり 有明海に注ぐ筑後川の下流にかかる新田大橋を渡る。川の中央には石組みの堤がまっすぐに伸びてあれはいったいなんの役目をしているのかな??と考える。

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(帰宅後調べると オランダ人技師のヨハネス・デレーケが指揮をとって 河口付近への土砂の堆積を防ぐ目的で明治23年(1890)に築かれ 通称「筑後川デレーケ導流堤」と呼ばれるそうだ。河川航路の維持に力を発揮し全長6・5キロもあるそう。)

Oono のどかな風景の車窓を眺めながらのんびりと30分ほどバスに揺られ 大野島農協前で下車する。5分ほど歩いて目的地の「勝楽寺」へ。オナガのように尾が長く 黒と紺色をした Kasasagi初めて見る鳥がたくさん飛んでおり お寺の隣に「かささぎ保育園」という名の保育園があるので その鳥がどうやら 七夕伝説で天の川に橋を架けたといわれるカササギであろうことを知る。また、大野島が三角州であることもカササギのイメージにぴったりなんて思ったり。。。手にしていた「白仏」をパラパラとめくると「」という文字を見つけ ああ やっぱりと思う。

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勝楽寺につくと ご住職の奥様やご家族の方がこころよく迎えてくださり 納骨堂もゆっくりごらんくださいと自由に拝観させてくださる。扉を開けると 向かって左側には新しいお骨が納められており まず最初にそちらにお参り。(突然他人がおじゃまして申し訳ございませんという気持ちで・・) 向かって右手には 思ったよりこじんまりとした「白仏」が安置されていた。

 島に眠る人々のお墓を掘り起こし、その数千体、1300Kgもの遺骨をかき集め、粉にし練って作られたとは思えないような白い仏像の姿に深く感動し手をあわせた。 島の人であろう戦没者の名前も刻まれており 「鉄砲屋 今村豊」の思いは 黒木和雄監督の「生き残ってしまって申し訳ない」という思いにも通じるものがあると感じた。 合掌 

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山田宗樹さんの小説『嫌われ松子の一生』の舞台も大野島だそうですが こちらは本も映画もドラマもみたことがありません^^; *

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壇一雄が愛した能古島と柳川2日 

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辻仁成 メッセージ2007 「ギター1本、路上再び」 in福岡&渋谷

2007-08-27 | 日記・エッセイ・コラム

ヘイ。ジョン !お前はいま、どこで、誰のために生きている?

   世界が丸くおさまるまえに  ハイホ~♪

Hukuoka1 今年のお盆は 辻仁成さんの5年半ぶりのライブで熱く盛り上がりました。アコースティックギターのタカミネ君♪1本で ECHOES時代の「Gentle Land」や「Jack」、「ZOO」などのアレンジから ソロ時代の歌や新曲5曲(ハイホー」「メッセージ」「シャイニングスターマン」「パリ東京」「君とぼくの間にある壁」)から アンコールまで ロックやブルースを17~18曲。 初日の福岡DRUM LOGOSでのライブと渋谷AXの最終日の二日間を楽しみました。このライブはDVD化されるそうなので今から楽しみです♪ じんく~ん!!!素敵なライブの夜をありがとうございました♪ とってもセクシーでかっこよかったですよ~。いつもながら(笑) 歌詞をまちがえたりするところもかわいかったです。^^ 博多では アルバムTHE BEST OF 辻仁成+3~JINSEI SONGS~を買ってしまいました♪

<<渋谷 AX>>Ax  
 1.  Gentle Land
 2.  メッセージ
 3.  ハイホー
 4.  ZOO
 5.  シャイニングスターマン
 6.  アカシア
 7.  ブルース
 8.  Let it be(日本語バージョン)Jinsei
 9.  冬の虹
10.  どの方角から誰が来るのか分からないから全部開いてる
11.  パリ東京
12.  ガラスの天井
13.  Jack

アンコール

1.  CITY LIGHTS
2.  サボテンの心
3.  アカシア
4.  君とぼくの間にある壁 (かなぁ?(笑))

5.     ハイホー

初日のみ福岡で開催されたのは 辻さんのお父様がお元気なうちにライブを見せたかったという辻さんの思いでしたが 残念ながらお父様はライブをご覧になることなく この春に亡くなられてしまったそうで お母様や福岡で陶芸教室をなさっておられる弟さん 博多時代のお友達などいらしていたようです。

渋谷AXでは 奥様の中山美穂さんや3歳になる坊や十斗クンもいらしていたそうで 女性週刊誌に久しぶりのツーショットも♪ 美穂さんとフランスでお幸せだから こんな素敵なライブができるのだな~と思いました。(嫉妬のかおりだけど。。。(笑)) また美穂さんの妹さんの忍さんや瀬戸内寂聴さん、江國香織さんも見えていたようです。

私は辻さんのECHOES時代は全然知らなくて 7年ほど前にたまたま本屋さんんで一冊の本(「音楽が終わった夜に)を読んで一気にファンになり 詩集や芥川賞受賞作品の「海峡の光 (新潮文庫)」や「サヨナライツカ (幻冬舎文庫)」「愛をください (新潮文庫)」「白仏」やHakubutu1_1江國さんとのコラボの「冷静と情熱のあいだ」などなどたくさんの作品を読み 「函館物語 (集英社文庫)」を持って かつて辻さんが住んでいらした函館を旅したり(笑) ドラマ「愛をください」 や映画「ほとけ」のロケ地めぐりまでしてしまったのでした。映画は「目下の恋人」や「フィラメント デラックス版」が好きですし もちろん辻さんの歌も大好き。

。。。というわけで 今回の福岡の旅でも 辻さんのお祖父様(母方)の生涯をモデルにしたフランス フェミナ賞受賞作品「白仏 (文春文庫)」の舞台である 福岡県大川市大野島の「勝楽寺」の納骨堂に実在する「白仏」まで訪れたのでした。  つづく。。。

*****************

追伸♪ 

※★  ヘイ。ジョン♪ という歌いだしの「ジョン」。ジョン・レノンにあやかってるのかな?とも思いましたが・・・。 英語では ありきたりの名前なのだけど、辻さんの母方のお祖父さまの故郷に近い 柳川を訪れて 柳川出身の北原白秋が「トンカジョン」の愛称で呼ばれていたことを このとき 柳川を訪れて知ったのです。柳川弁では「じょん」といえば「良い子」を意味し、トンカジョンは大きい良い子の坊や。チンカジョンは、小さい坊ちゃん。つまり 弟になるわけで、柳川では おりこうさんにしていると「じょん じょん」と大人から頭をなでられるのだそうです。辻さんは ご長男なので トンカジョン♪なのですね。

ね。。。豊さん (辻さんのおじいちゃま)♪
 

 ★  辻仁成 本 CD DVD icon

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ヒロシマ ナガサキ <岩波ホール>

2007-08-27 | 映画

麻布十番納涼まつり の翌日は せっかく都内に出たので 休日で遊びに出掛ける長女と途中まで一緒に電車に乗って 水道橋(神田三崎町)の量平寿司さんでお昼をいただきました。

Iwanami その後 古本屋さんをのぞいたり 「いもや」さんの前を通り 500円天丼やとんかつも食べてみたいね~なんていいながら 神保町まで歩いて そこで長女と別れ 岩波ホールで9月末まで上映されている スティーブン・オカザキ監督作品の 「ヒロシマナガサキ ~WHITE LIGHT/BLACK RAIN~を鑑賞しました。

被爆者14人へのインタビューや 原爆投下にかかわったエノラ・ゲイの元搭乗員らの話、当時の映像 被爆後の傷や苦しい治療との戦い 後遺症 戦後に受けた差別・・などなど 涙するというより 観ていることが苦しい映画でした。 

昭和20年 8月6日・9日長崎広島。原爆投下から62年の歳月が流れても 身体や心に受けた深い傷を持って生きておられる方々がいらっしゃることを 改めて深く考えるのでした。亡くなった人の苦しみ 悲しみ以上に 生き残った人の苦しみや痛み 悲しみは私たちの想像を絶するものであり 「戦争」は終わってはいない 「過去」のものではないこと、また原爆の恐ろしさを わたしたち戦後世代がきちんと知るべきであると感じ、 娘たちと一緒に観られたら良かったな(彼女たちは怖がることでしょうけれど)・・・と思いました。

また キューバにヒロシマ・ナガサキを伝えたゲバラについて勉強したくなりました。

* これからは広島を広島の人を愛していこう   チェ・ゲバラ

 帰りは大手町まで地下鉄に乗って 丸の内周辺を散策したり 新丸ビルを見たり 美しく整備された東京の町を歩きながら 今日の平和に感謝するのでした。

※ 岩波ホールでは 映画に出演された被爆者の方のお話を伺える上映日もあるそうです ※

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麻布十番納涼まつり

2007-08-27 | まち歩き

Azabu1 今年もまた 8月24日~26日まで開催されていた 食べるお祭り(笑)!!!麻布十番納涼まつり に行ってきました♪ なんといっても大使館や外国企業の住宅が集中する国際色豊かな土地柄のため 国際バザールの会場が人気ですが 今年は六本木ヒルズから麻布十番方面に歩くことにしました。

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まずはヒルズアリーナ恒例の「六本木ヒルズ盆踊り2007」鑑賞から。お目当てはヒルズのレストランが出店する縁日屋台。スパークリングのベビーボトルを片手に まずはパスタから。とんかつや から揚げや やきそばなど どれも美味しそう~。その後 けやき坂をくだって お気に入り屋台が並ぶ「おらが国自慢」の通りへ。各地の特産物を見て歩いたり 地酒や国産ワインを試飲させてもらい きりたんぽや 山形牛の串焼きなどなどを食べて大満足。

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Hasegawa_3 あちらこちらの屋台をのぞきながら 人がいっぱいの十番大通りをなんとか通り抜けて 麻布十番駅方面へ抜け 激混みの国際バザールは今年はとばして。。。パティオ広場方面へまわって お目当ての「はせがわ酒店」で「十四代」と「磯自慢」をいただきました。 屋台で500円で十四代を飲めるというのがすごいところです♪

  ★ はせがわ酒店 セブンドリーム・ドットコム icon

まだまだ食べ足りないので さらに奥へと歩いてイタリアンの有名店 ピッコログランデへ♪ 赤ワインとペンネで さすがにおなかいっぱい。時間も閉会時間の9時になったので ほろ酔い気分で 麻布十番から大江戸線に乗って その晩は 都内にある長女のワンルームに泊めてもらったのでした♪

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ヒロシマナガサキ ~WHITE LIGHT/BLACK RAIN

2007-08-21 | 映画

Hirosima 先日新聞記事でみつけた 7月28日から9月下旬まで 岩波ホールで上映されているスティーヴン・オカザキ監督作品の 「ヒロシマナガサキ(WHITE LIGHT/BLACK RAINを観にい行きたい。
原爆投下から62年。
広島を取材した「マッシュルーム・クラブ」(2005年)でアカデミー賞にノミネートされた 日系三世のスティーブン・オカザキ監督が被爆者の証言を集めたドキュメンタリー映画。
広島 長崎の14人の被爆者へのインタビューを軸に(はだしのゲンの作者 中沢啓治さんも証言者の一人) 原爆投下にかかわったエノラ・ゲイの元搭乗員ら4人の米国人の話や記録映画などを交えて作られ これまでにも500人以上の被爆者から話を聞いたそう。
1980年に在米被爆者と出会ったのをきっかけに原爆問題に取り組み、25年の歳月をかけて完成させたドキュメンタリー作品。

* 政治や戦略の観点から原爆を語る人は当事者の証言をほとんど聞いたことがない。そうした言葉こそ世界に伝えなければいけない * オカザキ監督

※ 岩波ホールでは 映画に出演された被爆者の方のお話を伺える上映日もあるそうです ※
 ☆白い光・黒い雨・・・  

8月6日・9日を知らない子供たちへ

そして知ろうとしない 私たち戦後世代へ ☆

また キューバにヒロシマ・ナガサキを伝えたゲバラについて勉強したくなりました。

* これからは広島を広島の人を愛していこう   チェ・ゲバラ


綿津見(わたつみ)  ~海の神~

2007-08-21 | 旅行記

Dazaihu Dazaihu1_2

お盆に 福岡旅行でかねてより訪れUmegaemochiてみたかった太宰府天満宮にお参りにいった。参道の茶店で太宰府名物の枝餅をいただき  石造の鳥居をくぐり心字池にかかる 過去(太鼓橋) 現在(平橋) 未来(太鼓橋)をあらわす三つの橋を渡るとき  心字池の畔にある小さな社「志賀社」(重要文化財 1459年)でもお参り。海の神「綿津見(わたつみ)」三神 <<ソコツワタツミ(底津綿津見神)ナカツワタツミ(中津綿津見神)ウワツワタツミ(上津綿津見神)>>を奉祀という説明を見てわ たつみ・・・Dazaihu2綿津見・・って海の神様のことをいうんだ・・と生まれて初めて知る。
と、同時に 戦没した学徒兵の遺稿集「きけわだつみのこえ」を思い出す。そうか・・わだつみって海の神様のことだったのだ・・・。
Shiga_1月曜の夜 筑紫哲也NEWS23で「夜連続終戦特別企画 "終わらない戦争”①戦没学生の声を次世代に」をみていたら わだつみとは海の神のことで日本の古語ですという解説が流れ改めて納得。言葉を知らない自分が情けなくもあった。

*******************
番組では 比島方面で戦死した兄(中村徳郎さん 当時東大生)の遺志を継いで全国の戦没学生の遺族に呼びかけ 手記を集め「新版 きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)を編集した中村克郎さんの10万冊にもおよぶ蔵書や 産婦人科の医師であったお元気な頃の活動が紹介され(日本戦没学生記念会(わだつみ会)の元理事長) 今は高齢でご病気の克郎さんにかわって 長女のはるねさん(産婦人科医)が その本の整理と公開のために活動をしておられることが紹介され感銘をうけた。

※ 「きけ わだつみのこえ」の前身は東大戦没学生の手記『はるかなる山河に』 ※

  なげけるか いかれるか はたもだせるか    
           きけ はてしなきわだつみのこえ

(嘆くのか、怒るのか、それとも沈黙を守るのか 聞け はてしない 海霊の声)

   ☆ 生かされているのではない。 生きるのだ。

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 戦後(昭和28年頃)のラバウル(父のアルバムより)

<湾に臨む山上には日本軍の要塞砲が空しく海に向かっていた(ラバウル)>と記されており このほか日本人の名前が刻まれた墓標の写真などもあり 日本の遺族の方々がこれらの墓標の存在を知っておられるのかな・・と思った。

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終戦記念日

2007-08-21 | 日記・エッセイ・コラム

8月15日は62回目の終戦記念日でした。  合掌

明治生まれだった祖母は「敗戦記念日」と言っていたことが思い出されます。
私の友人たちのご両親はたいてい昭和ひとけたの終わりからふたけた前半で、戦時中は疎開していたそうで、家族から戦争の話を聞くという友達は子どもの頃からほとんどいませんでした。
私は父の遅い時の子供でしたので 父は最後の徴兵組だったそうで、小さな頃からよく戦争の話を聞かされて育ちました。(父は5年前に病気で他界)

Photo_176 父は大学の卒業を前年の昭和19年に繰り上げられて兵隊になり、終戦直前に名古屋で空爆の応戦中、爆弾の破片で負傷し、左手の小指の先がありませんでした。
そのとき 何人かの戦友が目の前で死んだそうで「あの激しい空爆の中で、もし終戦があと数日遅かったら ボクの命は多分なかったかもしれない。」といっていました。
また 理系の学生だったため特攻隊は免れたそうで玉音放送を聞いた時も なんといってるのかよく意味がわからなかったけれどどうも 降伏し終戦になったらしいとわかったときは<<助かった!!!>>と 敗戦のくやしさや傷の痛み以上に生きていられたことがうれしかったそうです。
戦時中の軍隊での生活は 同じ隊の仲間一人が何か ミスをしたりすると 全員が「歯をくしばれ~!」といわれて顔がはれるほど殴られることもしばしばで、軍隊という理不尽な組織に 口でこそいえなくても納得できず 洗脳されることもなく ひたすら終戦を願っていたそうです。(当時なら非国民ですが)
祖母は岐阜に疎開していて戦火そのものの恐ろしさには遭遇していないようでしたが、留守にしていた東京の家は戦火で焼けてしまったそうです。
母はその頃女学生で 学徒勤労動員だったそうで 長野の工場で軍服を縫っていたそう。(もし沖縄でしたら ひめゆり学徒隊の歳ごろです・・) 

★ ひめゆりの塔 関連本 DVD

田舎なので戦火のおそろしさは体験してはいないそうですが、敗戦を知った時は くやしくて大泣きしたこと、かつて日本軍が占領地でしたように、米軍が侵略してきて 敗戦国民は殺されたり 女性は強姦されると思いこみ 終戦にホッとするどころか しばらくは恐怖の毎日だったそうです。
 こうした話を小さなころから聞かされて育った私は、同世代の友達にくらべて戦争のないことが一番の幸せだといつも思うのでした。それは身近に戦争の話を聞く機会があるのと ないことの違いであり、戦争が決して 過去の遠いものではないこと 今も戦争の傷跡で苦しんでいる方々がおられるという事実を知り語り継ぐことの大切さを感じます。
 でも 戦争の体験者も亡くなられたり 高齢になられ 人々の記憶からどんどん薄れていくのも事実ですね・・。また 私の父のように戦争が終わったことを喜んだ人ばかりではなく、戦争のむごさや悲しみをいまもって語れない方々、「軍隊」という組織や「戦争」の中でやむをえなかったとしても、虐殺など「人道」からはずれた行為をしたことを生涯の苦しみとして口を閉ざす方・・・。被爆したことを隠して生きてきた方々などもおられ、「証言」や「語り継ぐ」ことができない方もおられることも知らなければならないと思うのです。

Kamiya_1 昨年 戦争三部作に次ぐ最後の作品「紙屋悦子の青春の遺作を残して亡くなられた黒木和雄監督が「父と暮らせば」(原作 井上ひさし)の中で、原爆で生き残ってしまい罪の意識を抱く女性に 幽霊になって現れた父が 娘につけた「病名」

   うしろめとうて申し訳ない病

は 黒木和雄監督自身の戦争のこころの傷でもあることを 数年前に監督の作品「美しい夏キリシマ」を通じて知りました。

<<黒木監督についての私の関連blog>>

  黒木和雄 ~戦争レクイエム3部作~

  紙屋悦子の青春 ~黒木和雄~

今でこそPTSD(心的外傷後ストレス障害)は広く認識されていますが、戦後 そして平和になった今でさえも 戦争におけるPTSDに苦しんでおられる人がいらっしゃることを戦後世代の私たちがきちんと知り 伝えていかなければならないと思うのです。
毎年8月になると 戦争に関する様々なドキュメンタリーが放映されますが、TVや映画 、本など戦争に関するものを夏休みになにかひとつでもお子様とご一緒にご覧になって
感想を述べ合う機会を持たれてはいかがですか?反戦意識を養うとか恐怖心を与えるのではなく 戦争の悲しみがわかる「こころ」を少しでも育てていけるだけでもいいのでは と思うのです。

★ 黒木和雄 戦争レクイエム三部作 DVD-BOX

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勇気のカタチ ~私を変えてくれたあなたへ~

2007-08-18 | 日記
残暑お見舞い申し上げます
元気でいますか
あなたの顔を思い浮かべて
ハガキを書いてます

昨日は昨日 明日は明日
大切なことは
「今」過ぎてゆく「今」この時が
私そのものです

あー早いものですね 一年なんて
あー今年も夏が終わりますね

あの時あなたが叱ってくれた
言葉が私を変えてくれました

残暑お見舞い申し上げます
あなたの言葉に
生かされている 私からの
勇気のカタチです


作詞 谷村 新司
作曲 加山雄三(弾厚作)

24時間テレビ30 愛は地球を救うを見ながら。。。


*(ドキュン)* 自分を変えてくれるような
叱ってくれる人がいること
そんなステキな人に出会えるということは
幸せですね♪ *(ドキュン)*



私が一番きれいだったとき   茨木 のり子

2007-08-18 | 日記
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように


******************

茨木 のり子(いばらぎ のりこ)
   1926年6月12日 - 2006年2月19日

主な詩集 「鎮魂歌」
     「自分の感受性くらい」
     「倚りかからず」
     「見えない配達夫」など


**************

*(青ハート)* ねえほら。 想像してみて。
あなたが一番きれいな今
    おしゃれもできず
       街もくずれ・・・
        青空からは爆弾がふる

そうして そうして
   
あなたの
    愛する人たちが死んでしまうということを・・・ *(涙)*




ヒロシマナガサキ ~WHITE LIGHT/BLACK RAIN

2007-08-18 | 日記
先日新聞記事でみつけた 7月28日から9月下旬まで
岩波ホールで上映されているスティーヴン・オカザキ監督作品の 
「ヒロシマナガサキ(WHITE LIGHT/BLACK RAIN)を観にきたい。

 *(星)* http://www.iwanami-hall.com/ (岩波ホールHP)

 *(星)* http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/# (ヒロシマナガサキ公式HP)

原爆投下から62年。
広島を取材した「マッシュルーム・クラブ」(2005年)でアカデミー賞にノミネートされた
日系三世のスティーブン・オカザキ監督が
被爆者の証言を集めたドキュメンタリー映画。

広島 長崎の14人の被爆者へのインタビューを軸に(はだしのゲンの作者 中沢啓治さんも証言者の一人)
原爆投下にかかわったエノラ・ゲイの元搭乗員ら4人の米国人の話や記録映画などを交えて作られ
これまでにも500人以上の被爆者から話を聞いたそう。

1980年に在米被爆者と出会ったのをきっかけに原爆問題に取り組み
25年の歳月をかけて完成させたドキュメンタリー作品。

*(星)*政治や戦略の観点から原爆を語る人は
当事者の証言をほとんど聞いたことがない。
そうした言葉こそ世界に伝えなければいけない*(星)* オカザキ監督


※ 岩波ホールでは 映画に出演された被爆者の方のお話を伺える上映日もあるそうです ※



*(クローバー)* 白い光・黒い雨・・・
   8月6日・9日を知らない子供たちへ
     そして知ろうとしない 私たち戦後世代へ *(クローバー)*





綿津見(わたつみ)  ~海の神~

2007-08-15 | 日記
先週 福岡旅行でかねてより訪れてみたかった太宰府天満宮にお参りにいった。

参道の茶店で梅枝餅をいただき
石造の鳥居をくぐり心字池にかかる
過去(太鼓橋) 現在(平橋) 未来(太鼓橋)をあらわす三つの橋を渡るとき
心字池の畔にある小さな社「志賀社」でもお参り。
海の神「綿津見(わたつみ)」三神
<<ソコツワタツミ(底津綿津見神)ナカツワタツミ(中津綿津見神)ウワツワタツミ(上津綿津見神)>>
を奉祀という説明を見て
わたつみ・・・綿津見・・って海の神様のことをいうんだ・・と生まれて初めて知る。

と、同時に 戦没した学徒兵の遺稿集「きけ わだつみのこえ」を思い出す。
そうか・・わだつみって海の神様のことだったのだ・・・。


月曜の夜 筑紫哲也NEWS23で
「3夜連続終戦特別企画 "終わらない戦争”①戦没学生の声を次世代に」
をみていたら わだつみとは海の神のことで日本の古語ですという解説が流れ
改めて納得。
言葉を知らない自分が情けなくもあった。

*******************

番組では 比島方面で戦死した兄(中村徳郎さん 当時東大生)の遺志を継いで
全国の戦没学生の遺族に呼びかけ 手記を集め
「きけ わだつみのこえ(岩波文庫)を編集した中村克郎さんの10万冊にもおよぶ蔵書や
産婦人科の医師であったお元気な頃の活動が紹介され
(日本戦没学生記念会(わだつみ会)の元理事長)
今は高齢でご病気の克郎さんにかわって
長女のはるねさん(産婦人科医)が その本の整理と公開のために活動をしておられることが紹介され感銘をうけた。

※ 「きけ わだつみのこえ」の前身は東大戦没学生の手記『はるかなる山河に』 ※

※ http://www.j-texts.com/showa/haruka.html はるかなる山河に


*(涙)* なげけるか いかれるか はたもだせるか    

       きけ はてしなきわだつみのこえ *(涙)*

(嘆くのか、怒るのか、それとも沈黙を守るのか 聞け はてしない 海霊の声)



https://www.sannichi.co.jp/WAKUWAKU/20070522.php

http://homepage1.nifty.com/okaysview/voices.html (日本戦没学生記念会 わだつみ会)



*(星)* 生かされているのではない。

          生きるのだ。*(星)*



終戦記念日

2007-08-15 | 日記
今日は62回目の終戦記念日です。  合掌

明治生まれだった祖母は「敗戦記念日」と言っていたことが思い出されます。

私の友人たちのご両親はたいてい昭和ひとけたの終わりから
ふたけた前半で、戦時中は疎開していたそうで
家族から戦争の話を聞くという友達は子どもの頃からほとんどいませんでした。

私は父の遅い時の子供でしたので 父は最後の徴兵組だったそうで
小さな頃からよく戦争の話を聞かされて育ちました。(父は5年前に病気で他界)
 
父は大学の卒業を前年の昭和19年に繰り上げられて兵隊になり
終戦直前に名古屋で空爆の応戦中、
爆弾の破片で負傷し、左手の小指の先がありませんでした。
そのとき 何人かの戦友が目の前で死んだそうで
「あの激しい空爆の中で、もし終戦があと数日遅かったら ボクの命は多分なかったかもしれない。」
といっていました。
また 理系の学生だったため特攻隊は免れたそうで
玉音放送を聞いた時も なんといってるのかよく意味がわからなかったけれど
どうも 降伏し終戦になったらしいとわかったときは
<<助かった!!!>>と 敗戦のくやしさや傷の痛み以上に生きていられたことがうれしかったそうです。
戦時中の軍隊での生活は 同じ隊の仲間一人が何かミスをしたりすると 全員が
「歯をくしばれ~!」といわれて
顔がはれるほど殴られることもしばしばで
軍隊という理不尽な組織に 口でこそいえなくても納得できず 
洗脳されることもなく ひたすら終戦を願っていたそうです。(当時なら非国民ですが)


祖母は岐阜に疎開していて戦火そのものの恐ろしさには遭遇していないようでしたが
留守にしていた東京の家は戦火で焼けてしまったそうです。

母はその頃女学生で 学徒勤労動員だったそうで 長野の工場で軍服を縫っていたそう。
(もし沖縄でしたら ひめゆり学徒隊の歳ごろです・・)
田舎なので戦火のおそろしさは体験してはいないそうですが
敗戦を知った時は くやしくて大泣きしたこと、
かつて日本軍が占領地でしたように
米軍が侵略してきて 敗戦国民は殺されたり 女性は強姦されると思いこみ 
終戦にホッとするどころか しばらくは恐怖の毎日だったそうです。

 こうした話を小さなころから聞かされて育った私は
同世代の友達にくらべて戦争のないことが一番の幸せだといつも思うのでした。
それは身近に戦争の話を聞く機会があるのと ないことの違いであり、
戦争が決して 過去の遠いものではないこと 今も戦争の傷跡で苦しんでいる方々がおられるという事実を知り
語り継ぐことの大切さを感じます。

 でも 戦争の体験者も亡くなられたり 高齢になられ 人々の記憶からどんどん薄れていくのも事実ですね・・。
また 私の父のように戦争が終わったことを喜んだ人ばかりではなく
戦争のむごさや悲しみをいまもって語れない方々
「軍隊」という組織や「戦争」の中でやむをえなかったとしても
虐殺など「人道」からはずれた行為をしたことを生涯の苦しみとして口を閉ざす方・・・
被爆したことを隠して生きてきた方々などもおられ
「証言」や「語り継ぐ」ことができない方もおられることも知らなければならないと思うのです。

昨年 戦争三部作に続く最後の作品「紙屋悦子の青春」の遺作を残して亡くなられた
黒木和雄監督が
「父と暮らせば」(原作 井上ひさし)の中で
原爆で生き残ってしまい罪の意識を抱く女性に
幽霊になって現れた父が 娘につけた「病名」

*(涙)* うしろめとうて申し訳ない病 *(涙)*

は 黒木監督自身の戦争のこころの傷でもあることを 数年前に監督の作品「美しい夏キリシマ」を通じて知りました。

<<黒木監督についての私の関連blog>>

*(青ハート)* http://yukarinrin.blogzine.jp/happy/2006/08/3_2b74.html

*(青ハート)* http://yukarinrin.blogzine.jp/happy/2006/12/post_6f8f.html



今でこそPTSD(心的外傷後ストレス障害)は広く認識されていますが
戦後 そして平和になった今でさえも 戦争におけるPTSDに苦しんでおられる人がいらっしゃることを
戦後世代の私たちがきちんと知り 伝えていかなければならないと思うのです。


毎年8月になると 戦争に関する様々なドキュメンタリーが放映されますが
TVや映画 、本など戦争に関するものを夏休みになにかひとつでもお子様とご一緒にご覧になって
感想を述べ合う機会を持たれてはいかがですか?
反戦意識を養うとか恐怖心を与えるのではなく 
戦争の悲しみがわかる「こころ」を少しでも育てていけるだけでもいいのでは と思うのです。




トマトのお酒「Toma Toma」で赤の食卓♪

2007-08-01 | 日記
昨夜は 真っ赤なトマトの実の美味しさがギュッとつまったお酒、
サントリー「Toma Toma」を初めて飲みました。

トマトというとやっぱりイタリアンをイメージするので
プチイタリアン風の献立にして 
全体的に赤をイメージした食卓にしました。
デザートももちろん真っ赤な スイカ♪


*(キラキラ)**(キラキラ)**(キラキラ)*メニュー*(キラキラ)**(キラキラ)**(キラキラ)*


*(ワイン)* Toma Toma

*(チキン)* チキンのハニー&レモン&ローズマリー&スパイス焼き

*(青りんご)* フルーツサラダ(キウイ アボガド リンゴ パプリカ(赤 オレンジ 黄) きゅうりを
サイコロ状にカットしてレモン汁&イタリアンドレッシングで和え
トマトを添えるだけ)

*(チリ)* ペンネのトマトソースあえ と バジルソースあえ。
(ペンネをゆでて それぞれ市販のソースであえ スィートバジルを添えます)

*(中華まん)* ガーリックトースト

*(ハート)* スイカ


チキンを焼いている間にペンネをゆでて 
フルーツをカットすれば短時間でできあがり♪
イメージ通り 赤がいっぱいのカジュアルでポップな雰囲気の夕食になりました♪

*(青ハート)* 食卓の写真はコチラから↓

*(星)* http://yukarinrin.blogzine.jp/happy/2007/08/toma_toma_b902.html 



テーブルクロスとシーリングスポットライトでプチ模様替え

2007-08-01 | 日記
早春にひとめぼれして買った桜模様のテーブルマットは 
夏にやはり季節はずれの感じでしたので 
先日 高島屋にある近沢レースで
涼しそうな白とグリーンと薄いブルーの
レースのテーブルクロスとテーブルマットを見つけて 
思わず買ってしまいました。


また先日は 
長年使っていたダイニングテーブルの 
ペンダントライトのサビが目立ってきて 
ずっと探しまわっていて やっと気にいった
シーリングスポットライトに取りかえたので 
ダイニングルームをちょっぴりイメージチェンジ。 

たまーに季節ごとに小さな模様替えをしたり 
季節の花を食卓に飾って気分をリフレッシュするのも
平凡な主婦の些細な楽しみです。


*(青ハート)* Before After の(笑)写真はコチラからどうぞ♪ ↓

 *(星)* http://yukarinrin.blogzine.jp/happy/2007/08/post_104b.html