大野島の白仏に感動したあとは お寺でいただいた冷たーいアイスコーヒーを飲みながら(ごちそうさまでした♪) 1時間に1本しかないバスを気長に待ち <水郷>柳川へ。こんなのんびりした旅は猛暑さえも苦にならず ときおり吹く風と静かに流れる時間に心もおだやかになるのでした。
柳川駅まで行かず「御花」 というバス停下車。町中に掘割(クリーク)が走る柳川は立花藩の城下町で北原白秋の生地としても有名です。御花は立花氏の別邸で 鹿鳴館様式をとりいれた白亜の洋館は 横浜山手にある建物にも似ていました。柳の枝がゆれる水路沿いを歩いていると なまこ壁の建物が並び 倉敷にも似ているなあと思いました。白秋の文学碑があちらこちらにあり どんこ舟での川下りの様子は 潮来の町のさっぱ舟の風情にも似ていました。
************************
柳川といったらまずはうなぎのせいろ蒸し。(柳川なべのどじょうはちょっと。。。なので) うなぎ料理店が並ぶ沖端町を歩きながら 白秋や壇一雄も食べに来ていたという老舗「若松屋」を発見♪ 通りに面したお店ではなく奥まった古い民家のような広い建物のお座敷の方に案内され どこか のおうちにお邪魔しているようでした。
うざくとほねせんべいをいただきながら うなぎのせいろ蒸しを 待つこと20~30分。蒸したてのせいろ蒸しは 白いご飯ではなく うなぎの蒲焼のタレをかけて蒸したような茶色のご飯。大きなうなぎに錦糸卵がのっており、関東で食べるうな重とはかなり違いましたが とってもおいしかったです。
おなかがいっぱいになったあとは 北原白秋生家・記念館へ。「からたちの花」など2万点もの詩や ♪雨 雨ふれふれ母さんが~♪ などの童謡を残した偉人ですが 北原家は古くから柳河藩御用達の海産物問屋としても知られ、屋号を「油屋」、または「古問屋」といい、父親の代では柳川でも一、二を争うほどの大きな酒造業も営んでおり、人々は白秋(隆吉)のことを「油屋のトンカジョン(大きな坊ちゃん)」の愛称をもって呼んでいたそうです。(柳川弁では「じょん」といえば「良い子」を意味し、トンカジョンは大きい良い子の坊や。チンカジョンは弟になるわけで、柳川では おりこうさんにしていると「じょん じょん」と大人から頭をなでられるのだそうです。)
屋敷の広さは4千坪もあったそうですが、明治34年の沖端大火で生家の大部分が焼け、残った母屋も人手に渡ることになり、傷心の白秋はさらに詩歌の世界に没頭したそう。早稲田大学時代には(明治37年に上京した白秋は、早稲田大学英文科予科に入学)、歌壇に名が知られるようになり、「邪宗門」、「思ひ出」を発表した白秋は、作詩活動のほか短歌や童謡、民謡も手がけ、「国民詩人」「詩聖」と称されるようになったのです。
*水郷 柳河は さながら水に浮いた 灰色の棺である* 白秋
白秋は神奈川ともゆかりがあり 大正2年から10か月ほど 三浦 三崎にも住んでおり城ケ島には 島村抱月と松井須磨子のための舟歌「城ケ島の雨」の詩碑や記念館があり、神奈川県立湘南高校校歌も作詞しています。(作曲は山田耕筰)。
持病の腎臓病と糖尿病が悪化し 昭和17年(1942) 57歳で 東京都杉並区阿佐ケ谷の自宅で亡くなりましたが 生家の仏間に 友人の版画家、恩地孝四郎によってとられたという デスマスクが展示されていたのには驚いてしまいました。
白秋は「水郷柳川は、我詩歌の母体である」と述べ こよなく柳川を愛したそうで 生家そばには 白秋最後の思郷の詩 帰去来の詩碑(白秋詩碑苑)がからたちの木に囲まれて建っています。
白秋の生家から周辺のお店を見たりしながら どんこ舟乗り場へ行き、70分ほどの川下り。船頭さんの説明や歌を聞きながら 水面からの柳川の風情を楽しみました。クリークに降りるための門や階段、水辺を楽しむためのテラスや出窓が作られている民家も多く、 レンガ造りの並倉、なまこ壁、<wbr></wbr>揺れる柳、四季の植物 文学碑など楽しみながら ときおり低い橋や水門の下をくぐるので そのたびに頭を下げて通過するのも楽しくて、水上売店でかき氷を買って食べたりしながら水郷の風情を楽しみました。あちらこちら回ったあとで川下りを最後にしたのは 夕方になってきて真夏の陽射しも落ち着いてきたので正解でした♪ でも猛暑の中 竿を巧みに操る船頭さんは どの方も初老の男性で(失礼。。。)とてもお元気そうに見えましたが お身体などこわしませんようにと 心配になりました。(潮来のさっぱ舟は昔の娘船頭さん♪だけど(笑))
↑<水影の碑>殿の倉のなまこ壁を背景に建てられた碑には、白秋が出郷して20年ぶりに帰郷した時に読んだ詩が刻まれている。
*********************
途中 うとうとしそうになった時 オノ・ヨーコさんのお父様の生家ですという説明に へぇ~~~で目がさめました。 ヨーコさんのご先祖は 戦国時代柳川立花藩の家老、小野 鎮幸(おの しげゆき)で お祖父様が、第4代日本興業銀行総裁。 母方曽祖父様が、安田財閥創業者だそうです(びっくり。) 思わず「小野家 安田家の人々」なんていう映画を作ったら ドラマチックだなあ~と思い(笑) ヨーコさんの知性と豊かな才能に頷いてしまうのでした。
*****************************************************