お正月だ、桜だ、鯉のぼりだと言っていたら、あっという間に6月ですね。
明治23年6月18日に竣工式を開催したことから毎年6月18日は『利根運河の日』だとか…。
そう言えば、昭和17年の国有化以来『派川利根川』という名称でありながら、地元では「運河」という愛称で親しまれていた派川利根川が正式名称を『利根運河』と改称したもの平成2年6月8日でした。
6月と利根運河っていろいろご縁がありますね。
利根運河畔の老舗「割烹新川」さんには、多くの文人墨客が訪れていたことは有名ですが、その中のおひとり「望郷の詩人」と呼ばれた詩人で児童文学者の故おのちゅうこう氏も生前よく立ち寄られ、平成元年の書が同店の公式サイトに紹介されています。そして書を残された翌年の6月25日に82年の生涯を閉じられました。
割烹新川さんの公式サイトより
故・おのちゅうこう氏は、明治41年群馬県白沢町高平で生まれ、流山に転居したのは55歳の時。流山市江戸川台の住まい周辺をモデルにした「ひまわり団地」もこの地で書かれています。
昭和55年の「広報ながれやま」には『望郷の詩人第二の故郷に酔う』というタイトルで人物紹介されています。
「広報ながれやま」昭和55年5月1日号より
この頃は、「広報ながれやま」の市民童話劇場という公募文芸欄で選評者をされ、北部公民館で「創作童話講座」の講師もされていらしたと言いますから地域の文化活動にも大きく貢献されていらしたんですね。この投稿童話は作品集として『江戸川メルヘン』という崙書房の「ふるさと文庫」の1冊にもなりました。
崙書房 復刻 おのちゅうこう作品集
昭和56年に出版した自伝的小説「風にゆれる雑草」(講談社)では日本児童文芸家協会賞を受賞し、翌57年には児童文化功労者の表彰も受けられていらっしゃいます。
その翌年、昭和58年には「おの・ちゅうこう昔ばなし ― 流山・野田の巻」を流山にあった地方出版の雄「崙書房」さんから出版されています。
郷里の上州赤城山から利根川を経て、流れ着いた土砂がお椀を伏せたような小高い山になって「赤城山」となって赤城神社が祀られ、流れてきた山だから流山になったというお話が「おの・ちゅうこう昔ばなし ― 流山・野田の巻」(崙書房)に収められています。望郷の詩人は、こんなご縁もあって故郷につながる利根運河を愛したのかもしれませんね。
崙書房 おのちゅうこう 昔ばなし
平成元年には郷里白沢村で名誉村民第一号、日本詩人クラブより第二回永年会員として顕彰され、平成13年には埼玉県本庄市滝瀬の天台宗立岩寺境内に「おの・ちゅうこう文学資料館」が完成したと聞いています。
そして、市広報紙の創作童話欄の選評者、公民館講座の講師として育てた創作童話サークル『かざぐるま』も活動40周年を迎え、隔年で作品集をつくり学校や図書館に寄贈されている活動が5月30日(日)の毎日新聞に紹介されました。ご生前におのちゅうこう氏が育てた「かざぐるま」が今もさわやかな川風に吹かれて軽やかに回り続けているんですね。
2021年5月30日(日)毎日新聞
ブラッスリーしんかわさんのランチをテイクアウト
新型コロナウイルス感染症の影響により、会食の自粛が続く中、「流山市テイクアウト・デリバリー応援事業」が6月30日まで行われ、“1,000円ごとに300円の割引き!”というので、ブラッスリーしんかわさんのランチをテイクアウトして来ました。持ち帰ってから食べる時に熱々で食べられるように工夫された容器がありがたい。(テイクアウトは前日までに要予約)
あ、ここにも、故おのちゅうこう氏の書が…。
現在のブラッスリーしんかわさんが旅館だったころに泊られたんですね
今日の利根運河。昭和62年5月31日に流山市立運河水辺公園が開園・・・この景色もご覧になってたんでしょうか。
故おのちゅうこう氏の作品は、市内の図書館で読むことができます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます