君は転んで血を流す

もう僕は夢のあとが見たいから

N極とN極/NICO Touches the Walls 11.11.24

2011-11-25 04:56:06 | 今日の好きな歌





どうも!毎日お疲れ様です。冬は、うがいが必須ですね。




今日も無事に更新を終えることが出来ました。
これも皆さんのお陰です。
昔はアマゾンから来た人ばっかりで私のブログは息を保ってて
そんな時代があるからこそ
今普通に検索で来てもらえてるんだなー、と。そういう風に思うと感慨深いです。
ただ、
閲覧者が増えてくると、割と気軽に更新が出来なくなってくる節も個人的にはあって
だからこそ
この別館みたいな、ガス抜きの場も必要なのかな、と・・・。
きっかけはアマゾンのレビューを休業したことから、でしたが
いずれにせよ
将来的には絶対に必要な場所だったんじゃないかと。そんな風にも思う今日この頃です。
同じタイプの文章でも
やっぱり、絶対数で書く時の気分は変わってきますからね。
中々ちょうどいいバランスになったかな、と。

自分の感覚を信じてやってるブログなので
世間とのズレは当然生じますけど
それで素直な自分で居れなくなる、っていうのは正直勘弁なんですね。
だからもう
そこはもうそのまんまで、剥き出しのまんまで。そんな個人的な疾走に付き合ってくれてる皆さまにはやはり感謝なのです。





【第83回】 N極とN極/NICO Touches the Walls




「僕らはせーのでパーしか出せないのに」

単純に
人と人との軋轢を
磁石で表すってアイディアが秀逸だなあ、って当時も思った曲なんですけど
このフレーズは特に深いなあ、って思いますね。
ずっと引き分け状態で
一向に進まない
互いの大事な部分は決して譲れない。だからこそ起こるすれ違い。分かり合えない、っていう思い。
人間は同じ人間なんて絶対にいないから
どちらかが譲るか
濡れるか
そういう方法でしか分かり合えないって思ってるんですが、それでもダメなものはダメ
分かり合えない者同士は永遠に分かり合えない、と。
だからある種現実的な歌なんですよね。
きれいごとがないんです。
だからこそリアルで。

「重なりあっても 片っぽは空虚なため」

それでも、その割合が低ければどうにかなる
実際にどうにかなってるからこそ
世の中には人間関係が成立する訳で、でも、やっぱり譲ったまま、濡れたままだと
本来の自分を保てなくなる人間もいるんですよね。
それはもう自然的な
どうしても湧き出てしまう問題だから仕様がない。
そんな時は潔くお別れ
きっぱりお別れ。
世間一般のお別れソングとは違って、湿っぽさもなければ、感傷的な部分も一切ない。
あるのは、ただただ達観、そんな関係性を整理して俯瞰してるだけ。
だからこそ
その空元気?っぽさが余計に切ない、っていう。こういうアプローチは新鮮で、さすがロックバンドだなあ、と。ライブでも相当に盛り上がる曲ですね。
イントロのリフの時点から気持ちアガってきてヤバいです。その分シビアな歌詞とのギャップもまた面白い曲です。