日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1059)6人から3人の掃除当番を選ぶ(確率の)問題。

2022-04-12 16:27:31 | 場合の数

(01)


                   【高校 数学A】 確率5 組合せの確率1 (12分)
の「の解答」を書きます。
(02)
[練習]A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、Aが選ばれる確率を求めよ。
〔答へ〕
Aを除く{B,C,D,E,F}から2人を選ぶ「組合せ(5C2)」は、
BC BD BE BF
   CD CE CF
      DE DF
         EF
という「10通り」なので、
{A,B,C,D,E,F}から(Aを含めて)3人を選ぶ「組合せ」も、
① ABC
② ABD
③ ABE
④ ABF
⑤ ACD
⑥ ACE
⑦ ACF
⑧ ADE
⑨ ADF
⑩ AEF
による「10通リ」。
然るに、
(03)
① ABC
からは、
① ABC
② ACB
③ BAC
④ BCA
⑤ CAB
⑥ CBA
といふ「3!=6通リ」を、作ることが出来る。
従って、
(02)(03)により、
(04)
{A,B,C,D,E,F}から(Aを含めて)3人を選ぶ「順列」は、
10×6=60通り。
である。
然るに、
(05)
 ―「順列(6P3)」は、―
(a)
BC BD BE BF
CB CD CE CF
DB DC DE DF
EB EC ED EF
FB FC FD FE
(b)
C BD BE B
BC BCD BCE BCF
BD BDC BDE BDF
BE BEC BED BEF
BF BFC BFD BFE
(c)
B CD CE C
CB CBD CBE CBF
CD CDB CDE CDF
CE CEB CED CEF
CF CFB CFD CFE
(d)
B DC DE D
DB DBC DBE DBF
DC DCB DCE DCF
DE DEB DEC DEF
DF DFB DFC DFE
(e)
B EC ED E
EB EBC EBD EBF
EC ECB ECD ECF
ED EDB EDC EDF
EF EFB EFC EFD
(f)
B FC FD F
FB FBC FBD FBE
FC FCB FCD FCE
FD FDB FDC FDE
FE FEB FEC FED
による、
6P3=6×5×4=120通リ。
である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
{(5C2)×3!}÷6P3=60÷120=1/2
が「答え」になる。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
A,B,C,D,E,F の6人の中からくじ引きで3人の掃除当番を決めるとき、が選ばれる確率。
は、全て、「60÷120=3人÷6人=(1/2)人」であるが、このことは、「直観」としても「正しい」。

(1058)赤玉3個と、白玉2個。

2022-04-11 18:19:11 | 場合の数

― こんな風に、考へたのですが、合ってますか()。確率は、苦手です。―
(01)
[問題]赤玉3個、白玉2個が入った袋の中から、玉を3個取り出すとき、
「赤玉2個と白玉1個」が出る確率を求めよ。
(02)
{A,B,C}を「赤玉」、
  {D,E}を「白玉」とする。
然るに、
(02)
}による、3P2は、






従って、
(02)により、
(03)






とD(白球)により、
① D
② D
③ D
④ D
⑤ D
⑥ D












同じく、
とE(白玉)により、
① E
② E
③ E
④ E
⑤ E
⑥ E












然るに、
(04)
 ―5C3―
)最初は(には、12個中、8組)。
   
D D  
E E DE ED
)最初は(にも、12個中、8組)。
   
D D  
E E DE ED
)最初は(にも、12個中、8組)。
   
D D  
E E DE ED
(d)最初はD(には、12個中、6組)。
 D D DE
 D D DE
E DE DE DE
(e)最初はE(にも、12個中、6組)。
 E E ED
 E E ED
D ED ED ED
による、(3×4×5=60通り)は、「同様」に確からしい。
従って、
(01)~(04)により、
(04)
〔答え〕は、
(3P2×3×2)÷(5C3)=36÷60=3/5
である。


(1057)「集合」としての「順列」と「組合せ」。

2022-04-08 17:48:30 | 論理

(01)
「(ユーチューブの)番組」を視聴しても、「順列」と「組合せ」の「関係」が「理解できない」ので、
「5P3(順列)」と「5C3(組合せ)」の「関係」を、「集合の関係」として、次のやうに、把握することにした。
(02)
―「順列」は、―
(a)
ABC ABD ABE
ACB ACD ACE
ADB ADC ADE
AEB AEC AED
(b)
BAC BAD BAE
BCA BCD BCE
BDA BDC BDE
BEA BEC BED
(c)
CAB CAD CAE
CBA CBD CBE
CDA CDB CDE
CEA CEB CED
(d)
DAB DAC DAE
DBA DBC DBE
DCA DCB DCE
DEA DEB DEC
(e)
EAB EAC EAD
EBA EBC EBD
ECA ECB ECD
EDA EDB EDC
であって、尚且つ、
―「組み合わせ」は、―
ABC)(ABD)(ABE
     (ACD)(ACE)
          (ADE)
     (BCD)(BCE)
          (BDE)
          (CDE)
であって、尚且つ、
(ⅰ)
ABC ACB BAC BCA CAB CBA
(ⅱ)
ABD ADB BAD BDA DAB DBA
(ⅲ)
ABE AEB BAE BEA EAB EBA
(ⅳ)
ACD ADC CAD CDA DAC DCA
(ⅴ)
ACE AEC CAE CEA EAC ECA
(ⅵ)
ADE AED DAE DEA EAD EDA
(ⅶ)
BCD BDC CBD CDB DBC DCB
(ⅷ)
BCE BEC CBE CEB EBC ECB
(ⅸ)
BDE BED DBE DEB EBD EDB
(ⅹ)
CDE CED DCE DEC ECD EDC
従って、
(01)により、
(02)
①{A,B,C,D,E}といふ『集合』の中には、
①{ABC}
②{ABD}
③{ABE}
④{ACD}
⑤{ACE}
⑥{ADE}
⑦{BCD}
⑧{BCE}
⑨{BDE}
⑩{CDE}
といふ『真部分集合』が含まれてゐて、これらの「集合の集合」が「組合せ(5C3)」である。
{03}
「組合せ(5P3)」からは、
①{ABC ACB BAC BCA CAB CBA}
②{ABD ADB BAD BDA DAB DBA}
③{ABE AEB BAE BEA EAB EBA}
④{ACD ADC CAD CDA DAC DCA}
⑤{ACE AEC CAE CEA EAC ECA}
⑥{ADE AED DAE DEA EAD EDA}
⑦{BCD BDC CBD CDB DBC DCB}
⑧{BCE BEC CBE CEB EBC ECB}
⑨{BDE BED DBE DEB EBD EDB}
⑩{CDE CED DCE DEC ECD EDC}
といふ『集合』を作ることが出来、これらの「集合の集合」が、「順列(5P3)」である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「組合せ(5C3)」からは、「 順列 (5P3)」を得ることが出来、
「 順列 (5P3)」からも、「組合せ(5C3)」を得ることが出来る。


(1056)「返り点(括弧)」と「中国語(白話文)」。

2022-04-06 12:07:08 | 返り点、括弧。

(01)

cf.
① 告げざる可からず。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は、これと与に群れを同じくする可からず。
④ 外人の為に言ふに足らざるなり。
⑤ 耕す者、益々急ならざる可からず。
⑥ 己にご如からず者を友とすること無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑨ 曽子の母、子の人を殺さ不るを知ら不るに非ざるなり。
⑩ 籍をして誠に子を畜ひ寒さを憂れふるを以て心を乱さず財有りて以て薬を剤さ使む。
⑪ 之を取らんと欲す。
⑫ 之を取捨せんと欲す。
(02)


  従って、
(01)(02)により、
(03)
レ点(レ、一レ、上レ、甲レ)」は「不要」である。
然るに、
(04)


従って、
(04)により、
(05)
漢字」に『返り点』が「付く」といふことは、
返り点』に「漢字」が「付く」ことと「同じ」である。
然るに、
(06)
① 四[三〔二(一)〕]
② 三〔二(一)〕
③ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
④ 下[中〔二(一)上〕]
⑤ 四[三〔二(一)〕]
⑥ 下{中[三〔二(一)〕上]}
⑦ 下{四[三〔二(一)〕]上}
⑧ 三〔二(一)〕、五{四[三〔二(一)〕]}
⑨ 六〈五{四[三〔二(一)〕]}〉
⑩ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
⑪ 三〔二(一)〕
⑫ 三〔二‐(一)〕
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
#〈 〉⇒〈 〉#
といふ「移動」を行ふと、
① [〔(一)二〕三]四
② 〔(一)二〕三
③ [〔(一)二(甲)乙〕丙]丁
④ [〔(一)二上〕中]下
⑤ [〔(一)二〕三]四
⑥ {[〔(一)二〕三上]中}下
⑦ {[〔(一)二〕三]四上}下
⑧ 〔(一)二〕三、{[〔(一)二〕三]四}五
⑨ 〈{[〔二(一)〕三]四}五〉六
⑩ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人
⑪ 〔(一)二〕三
⑫ 〔(一)二‐〕三
といふ「順番」になる。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ
(ⅱ)一 二 三 四 五 六
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)甲 乙 丙
(ⅴ)天 地 人
といふ『返り点』は、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅵ)〈 〉
といふ『括弧』に、相当する。
然るに、
(08)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )一二点で、{ }点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(08)により、
(09)
① { ( ) }
② 下 二 一 上
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)により、
(10)
③ { ( } )
④ 下 二 上 一
に於いて、
③=④
である。
然るに、
(11)
① { ( ) }
③ { ( } )
に於いて、
① は、『括弧』であるが、
③ は、『括弧』ではない
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
「数学の式における( )一二点で、{ }点に相当するものと考えるとわかりやすい。」
とするならば、
② 下 二 一 上
 二  一
に於いて、
② は、『返り点』であるが、
④ は、『返り点』ではない
然るに、
(13)

従って、
(12)(13)により、
(14)
④ 只管要
に付く、
 二  一
は、『括弧』ではない
然るに、
(15)
( { [ ) ] }
二 五 三 一 四
に於ける、
⑤ は、『括弧』ではなく、それ故、
⑥ は、『返り点』ではない
然るに、
(16)

従って、
(15)(16)により、
(17)
⑥ 端‐的看 這婆‐子的本‐事
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
に付く、
二 五 三 一 四
二‐ 五 三 一 四
は、『括弧』ではない
然るに、
(18)
「完全な口語表現」である「~出来」という方向補語も、こうした複雑な「返り点」が付けられることで何とか訓読される。」
とは言ふものの、
返り点』を付けることが出来ない「それ」は、『漢文』ではない
従って、
(14)~(18)により、
(19)
④ 只管要
⑤ 端‐的看 這婆‐子的本‐事
⑥ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
並びに、
⑦ 吃了不 多酒
等の「白話文(中国語)」は、『漢文』ではない


(1055)「漢文」も「述語論理」も「人工言語」である。

2022-04-03 14:35:04 | 漢文・述語論理

(01)
① 無象非動物(象にして動物に非ざるは無し)。
② 象者動物也(象は動物なり)。
③ 弟子不必不如師(弟子は必ずしも師に如かずんばあらず)。
④ 弟子有大於其師者(弟子に其の師よりも大なる者有り)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(02)
①(xが象であって、xが動物ではない)といふ、そのやうなxは存在しない。
② すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
③(すべてのxについて(xが弟子であるならば、あるyはxの師であって、xはyに及ばない))といふわけではない。
④ あるxは弟子であって、すべてのyについて(yがxの師であるならば、xはy以上である)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(03)
① ~∃x(象x&~動物x)
②  ∀x(象x→ 動物x)
③ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
④  ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)}
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1   (1)~∃x(象x&~動物x)  A
 2  (2)    象a&~動物a   A
 2  (3) ∃x(象x&~動物x)  A
12  (4)~∃x(象x&~動物x)&
        ∃x(象x&~動物x)  13&I
1   (5)  ~(象a&~動物a)  2RAA
  6 (6)    象a        A
   7(7)       ~動物a   A
  67(8)    象a&~動物a   67&I
167 (9)  ~(象a&~動物a)&
          (象a&~動物a)  58&I
16  (ア)      ~~動物a   79RAA
16  (イ)        動物a   アDN
1   (ウ)    象a→ 動物a   6イCP
1   (エ) ∀x(象x→ 動物x)  ウUI
(ⅱ)
1   (1) ∀x(象x→ 動物x)  A
1   (2)    象a→ 動物a   A
 3  (3) ∃x(象x&~動物x)  A
  4 (4)    象a&~動物a   A
  4 (5)    象a        4&E
1 4 (6)        動物a   25MPP
  4 (7)       ~動物a   4&E
1 4 (8)   動物a&~動物a   67&I
  4 (9)~∀x(象x→ 動物x)  18RAA
1 4 (ア) ∀x(象x→ 動物x)&
       ~∀x(象x→ 動物x)  19&I
13  (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
       ~∀x(象x→ 動物x)  34EE
1   (ウ)~∃x(象x&~動物x)  3イRAA
(ⅲ)
1  (1)~∀x{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)}  A
1  (2)∃x~{ 弟子x→ ∃y(師yx&x<y)}  1量化子の関係
 3 (3)  ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)}  A
  4(4)    ~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)   A
  4(5)     弟子a→ ∃y(師ya&a<y)   4含意の定義
 34(6)  ~{ 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)}&
         { 弟子a→ ∃y(師ya&a<y)}  35&I
 3 (7)  ~{~弟子a∨ ∃y(師ya&a<y)}  46RAA
 3 (8)     弟子a&~∃y(師ya&a<y)   7ド・モルガンの法則
 3 (9)     弟子a                8&E
 3 (ア)         ~∃y(師ya&a<y)   8&E
 3 (イ)         ∀y~(師ya&a<y)   ア量化子の関係
 3 (ウ)           ~(師ba&a<b)   イUE
 3 (エ)            ~師ba∨a≧b    ウ、ド・モルガンの法則
 3 (オ)             師ba→a≧b    エ含意の定義
 3 (カ)          ∀y(師ya→a≧y)   オUI
 3 (キ)     弟子a& ∀y(師ya→a≧y)   9カ&I
 3 (ク)  ∃x{弟子x& ∀y(師yx→x≧y)}  キEI
1  (ケ)  ∃x{弟子x& ∀y(師yx→x≧y)}  13クEE
(ⅳ)
1  (1)  ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)} A
 2 (2)     弟子a&∀y(師ya→a≧y)  A
 2 (3)     弟子a              2&E
 2 (4)         ∀y(師ya→a≧y)  2&E
 2 (5)            師ba→a≧b   4UE
 2 (6)           ~師ba∨a≧b   5含意の定義
 2 (7)          ~(師ba&a<b)  6ド・モルガンの法則
 2 (8)        ∀y~(師ya&a<y)  7UI
 2 (9)        ~∃y(師ya&a<y)  8量化子の関係
  ア(ア)     弟子a→∃y(師ya&a<y)  A
 2ア(イ)         ∃y(師ya&a<y)  3アMPP
 2ア(ウ)        ~∃y(師ya&a<y)&
               ∃y(師ya&a<y)  9イ&I
 2 (エ)   ~{弟子a→∃y(師ya&a<y)} アウRAA
 2 (オ) ∃x~{弟子x→∃y(師yx&x<y)} エEI
1  (カ) ∃x~{弟子x→∃y(師yx&x<y)} 12オEE
1  (キ) ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)} カ量化子の関係
従って、
(03)(04)により、
(05)
果たして、
① ~∃x(象x&~動物x)
②  ∀x(象x→ 動物x)
③ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
④  ∃x{弟子x&∀y(師yx→x≧y)}
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① 無象非動物。
② 弟子不必不如師。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、
①=③ であって、
②=④ である。
然るに、
(07)
言ふまでもなく、
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
といふ「述語論理式」は、「人工言語」である。
然るに、
(08)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
① 無象非動物。
② 弟子不必不如師。
といふ「漢文」も、「人工言語」である。
然るに、
(10)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた術語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかももたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
Flexibility of mind is generally required for translating from ordinary speech into sentences of the predicate calculus. No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifiers is reached. The activity involved is one of translation; but the formal language into which translation is being made has a rather different from that of a natural language,and has only a narrow terminology―logical connectives, variables, proper names, predicate-letters, and two quantifiers. The chief merit of the language is that, despite its notational limitations, it has a very wide expressive power(E.J.Lemmon, Beginning Logic, First published in Great Britain 1965).
(11)
記号論理学は、英語などヨーロッパ語を母国語とする文化圏でもっぱら開発された学門であるにもかかわらず、論理学者母語よりも日本語のような外国語の文法合致している部分が少なくない(もちろん逆もある)。このことは、論理学が、ローカルな日常言語ではなく言語的な普遍論理をかなり再現しおおせている証しと言えるだろう(三浦俊彦、ラッセルのパラドックス、2005年、105頁)。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、これらは、4つとも、「人工言語」であるが、
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に関しては、それを「理解」する際に、「英語が出来ること」は、「アドバンテージ」にはならない。
然るに、
(13)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
(14)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください
(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
③ ~∃x(象x&~動物x)
④ ~∀x{弟子x→∃y(師yx&x<y)}
に於いて、これらは、4つとも、「人工言語」であるが、
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
に関しては、それを「理解」する際に、「中国語が出来ること」が、「アドバンテージ」になる。
といふ風に、「京都大学の漢文の先生」は、思ってゐる。
然るに、
(16)
③ ~∃x(Zx&~Dx)
④ ~∀x{Tx→∃y(Syx&x<y)}
といふ「式」がさうであるやうに、固より、「人工言語」は、「英語」で読んでも、「日本語」で読んでも、「中国語」で読んでも、「支障」は無い。
従って、
(15)(16)により、
(17)
「京都大学の漢文の先生」は、
① 無〔象非(動物)〕。
② 弟子不[必不〔如(師)〕]。
といふ「漢文」を、「人工言語」ではなく、「自然言語」である。
といふ風に、思ってゐる。


(1054)「返り点・括弧」と「(京都大学的)漢文音読・批判」。

2022-04-02 19:27:30 | 返り点、括弧。

―「昨日(令和04年04月01日)の記事」を書き直します。―
(01)
① 5{4[3〔2(1)〕]}
② 2(4[5{3〔1)〕]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① {[〔(1)2〕3]4}5
② ([{〔1)2〕3]4}5
従って、
(02)
① {[〔( )〕]}
② ([{〔 )〕]}
を用ひることによって、
①5 4 3 2 1
②2 4 5 3 1
といふ「順番」を、
①1 2 3 4 5
②1 2 3 4 5
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来る。
然るに、
(03)
「定義」により、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に於いて、
(ⅰ)は『括弧』であって、
(ⅱ)の中に(ⅰ)が在るならば、(ⅱ)は『括弧』であり、
(ⅲ)の中に(ⅱ)が在るならば、(ⅲ)は『括弧』であり、
(ⅳ)の中に(ⅲ)が在るならば、(ⅳ)は『括弧』である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
[〔( )〕]
〔 〕]
に於いて、
① は『括弧』であるが、
② は『括弧』ではない
従って、
(04)により、
(05)
①#が「n+1より大きい数」を含んでゐるならば、そのときに限って、
①n+1<#>n(nは自然数。)
といふ「順番」を、『括弧』を用ひて、
①n<n+1<#
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来ない
従って、
(05)により、
(06)
①12345  ②12354  ③12435  ④12453  ⑤12534  ⑥12543 
①13245  ②13254  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542 
①14235  ②14253  ③14325  ④14352  ⑤14523  ⑥14532 
①15234  ②15243  ③15324  ④15342  ⑤15423  ⑥15432 
①21345  ①21354  ①21435  ①21453  ①21534  ①21543 
②23145  ②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541 
③24135  ③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531 
④25134  ④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431 
①31245  ①31254  ①31425  ①31452  ①31524  ①31542 
②32145  ②32154  ②32415  ②32451  ②32514  ②32541 
③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512  ③34521 
④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412  ④35421 
①41235  ①41253  ①41325  ①41352  ①41523  ①41532 
②42135  ②42153  ②42315  ②42351  ②42513  ②42531 
③43125  ③43152  ③43215  ③43251  ③43512  ③43521 
④45123  ④45132  ④45213  ④45231  ④45312  ④45321 
①51234  ①51243  ①51324  ①51342  ①51423  ①51432 
②52134  ②52143  ②52314  ②52341  ②52413  ②52431 
③53124  ③53142  ③53214  ③53241  ③53412  ③53421 
④54123  ④54132  ④54213  ④54231  ④54312  ④54321
といふ「5!=5×4×3×2×1=120通り」に於ける、
④12453  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542  ②14253 
④14352  ⑤14523  ⑥14532  ④15342  ①21453  ②23145 
②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541  ③24135 
③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531  ④25134 
④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431  ①31425 
①31452  ①31524  ①31542  ②32415  ②32451  ②32514 
②32541  ③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512 
③34521  ④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412 
④35421  ①41253  ①41352  ①41523  ①41532  ②42153 
②42315  ②42351  ②42513  ②42531  ③43152  ③43251 
③43512  ③43521  ④45123  ④45132  ④45213  ④45231 
④45312  ④45321  ①51342  ②52314  ②52341  ②52413 
②52431  ③53142  ③53241  ③53412  ③53421  ④54231
といふ「78通り」に対しては、『括弧』を加へることが出来ず
①12345  ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「(42-1=41通り」に対しては、
①12345
②1235(4)
③124(3)5
⑤125(34)
⑥125〔4(3)〕
①13(2)45
②13(2)5(4)
①14(23)5
③14〔3(2)〕5
①15(234)
②15〔24(3)〕
③15〔3(2)4〕
⑤15〔4(23)〕
⑥15[4〔3(2)〕]
①2(1)345
①2(1)35(4)
①2(1)4(3)5
①2(1)5(34)
①2(1)5〔4(3)〕
①3(12)45
①3(12)5(4)
②3〔2(1)〕45
②3〔2(1)〕5(4)
①4(123)5
①4〔13(2)〕5
②4〔2(1)3〕5
③4〔3(12)〕5
③4[3〔2(1)〕]5
①5(1234)
①5〔124(3)〕
①5〔13(2)4〕
①5〔14(23)〕
①5[14〔3(2)〕]
②5〔2(1)34〕
②5〔2(1)4(3)〕
③5〔3(12)4〕
③5[3〔2(1)〕4]
④5〔4(123)〕
④5[4〔13(2)〕]
④5[4〔2(1)3〕]
④5[4〔3(12)〕]
④5{4[3〔2(1)〕]}
といふ風に、『括弧』を加へることが出来る
然るに、
(07)



(08)


cf.
① 告げざる可からず。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は、これと与に群れを同じくする可からず。
④ 外人の為に言ふに足らざるなり。
⑤ 耕す者、益々急ならざる可からず。
⑥ 己にご如からず者を友とすること無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑨ 籍をして誠に子を畜ひ寒さを憂れふるを以て心を乱さず財有りて以て薬を剤さ使む。
従って、
(07)(08)により、
(09)
例へば、
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「レ点」は、
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 中 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に「等しい」。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
といふ「返り点」で、「不足」が生じない限り、
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
は「不要」である。
然るに、
(11)
① 四[三〔二(一)〕]
② 三〔二(一)〕
③ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
④ 下[中〔二(一)上〕]
⑤ 四[三〔二(一)〕]
⑥ 下{中[三〔二(一)〕上]}
⑦ 下{四[三〔二(一)〕]上}
⑧ 三〔二(一)〕、五{四[三〔二(一)〕]}
⑨ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① [〔(一)二〕三] 四
② 〔(一)二〕三
③ [〔(一)二(甲)乙〕丙]丁
④ [〔(一)二上〕中]下
⑤ [〔(一)二〕三]四
⑥ {[〔(一)二〕三上]中}下
⑦ {[〔(一)二〕三]四上}下
⑧ 〔(一)二〕三、{四[〔(一)二〕三]}五
⑨ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人
従って、
(07)~(11)により、
(12)
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
を含む「返り点」は、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
に「置き換へ」ることが出来、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
であれば、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(05)(12)により、
(13)
「返り点」は、例へば、
        ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「順番」にしか、着かない。
従って、
(13)により、
(14)
「漢文」と「訓読」の「語順」は、『規則正しく異なる』のであって、
「不規則(ランダム)に異なる」といふわけではない。
然るに、
(15)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
例へば、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑨ 使籍誠不妻子飢寒甲レ心有銭財以済医薬
⑨ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑨ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑨ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
に於ける、
⑨{[〔( )( )〕( )]( )( )}
といふ「括弧」は、
⑨ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
といふ「返り点」の「役割」を果たしていて、それと「同時」に、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を表してゐる。
然るに、
(17)


然るに、
(18)
私は、中国語が一切、分からないものの、
【 】内都是「使」的内容,( )内是「乱心」的原因。
といふことは、
【 】の中は全て、「使」の内容であり、
( )の中は「乱心」の原因である。
といふ「意味」であるに、違ひない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
私も、王赟 Maigoさんも、二人とも、「事実」として、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を、
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ風に、捉へてゐる。
然るに、
(20)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)
然るに、
(21)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである。
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ『補足構造(管到)』を「把握」しない限り、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を「読めない(理解できない)」といふことに関しては、日本人であっても、中国人であっても、「同じこと」である。
然るに、
(23)
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を、
(ⅰ)籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
(ⅱ)Shǐ jí chéng bù yǐ chù qīzi yōu jīhán luànxīn yǒu cái qián yǐ jì yīyào.
(ⅲ)シセキセイフイチクサイシユウキカンランシンユウセンザイイサイイヤク。
を(ⅰ)のやうに「読む」のであれば、『補足構造・管到』を「把握」してゐることになるが、
 (ⅱ)のやうに「読ん」だとしても、
 (ⅲ)のように「読ん」だとしても、『補足構造・管到』を「把握」してゐるとは、限らない
加へて、
(24)
今の言語と昔の言語は、お互いにわけのわからない外国語と同じようになっているということです。つまり、今の中国の学者といえども、日本の学者と同じように、古言を理解することは、外国語を理解することと同じくらい、難しいことなのです(山泰幸、江戸の思想闘争、2019年、97頁)。
(25)
自然言語の外国人向けの教科書は、まず「こんにちは!」「ありがとう」のような簡単な言葉(ネイティブスピーカーの子供でもわかる言葉)から入る。いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は原理的に存在できない。― 中略 ―、「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である(加藤徹 著、白文後略 漢文一人学び、2013年、8・9頁)。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
「漢文」を読めるようになる上で、「日本語の話者」よりも、「北京語(普通話)の話者」の方が「有利」である。
といふことは、有り得ない。
然るに、
(27)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
従って、
(26)(27)により、
(28)
私自身は、京都大学による、「現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。」
といふ「方法」が、「有意義」であるとは、思へない。