日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1054)「返り点・括弧」と「(京都大学的)漢文音読・批判」。

2022-04-02 19:27:30 | 返り点、括弧。

―「昨日(令和04年04月01日)の記事」を書き直します。―
(01)
① 5{4[3〔2(1)〕]}
② 2(4[5{3〔1)〕]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① {[〔(1)2〕3]4}5
② ([{〔1)2〕3]4}5
従って、
(02)
① {[〔( )〕]}
② ([{〔 )〕]}
を用ひることによって、
①5 4 3 2 1
②2 4 5 3 1
といふ「順番」を、
①1 2 3 4 5
②1 2 3 4 5
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来る。
然るに、
(03)
「定義」により、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に於いて、
(ⅰ)は『括弧』であって、
(ⅱ)の中に(ⅰ)が在るならば、(ⅱ)は『括弧』であり、
(ⅲ)の中に(ⅱ)が在るならば、(ⅲ)は『括弧』であり、
(ⅳ)の中に(ⅲ)が在るならば、(ⅳ)は『括弧』である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
[〔( )〕]
〔 〕]
に於いて、
① は『括弧』であるが、
② は『括弧』ではない
従って、
(04)により、
(05)
①#が「n+1より大きい数」を含んでゐるならば、そのときに限って、
①n+1<#>n(nは自然数。)
といふ「順番」を、『括弧』を用ひて、
①n<n+1<#
といふ「順番」に、「並び変へ(ソートする)」ることが出来ない
従って、
(05)により、
(06)
①12345  ②12354  ③12435  ④12453  ⑤12534  ⑥12543 
①13245  ②13254  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542 
①14235  ②14253  ③14325  ④14352  ⑤14523  ⑥14532 
①15234  ②15243  ③15324  ④15342  ⑤15423  ⑥15432 
①21345  ①21354  ①21435  ①21453  ①21534  ①21543 
②23145  ②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541 
③24135  ③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531 
④25134  ④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431 
①31245  ①31254  ①31425  ①31452  ①31524  ①31542 
②32145  ②32154  ②32415  ②32451  ②32514  ②32541 
③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512  ③34521 
④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412  ④35421 
①41235  ①41253  ①41325  ①41352  ①41523  ①41532 
②42135  ②42153  ②42315  ②42351  ②42513  ②42531 
③43125  ③43152  ③43215  ③43251  ③43512  ③43521 
④45123  ④45132  ④45213  ④45231  ④45312  ④45321 
①51234  ①51243  ①51324  ①51342  ①51423  ①51432 
②52134  ②52143  ②52314  ②52341  ②52413  ②52431 
③53124  ③53142  ③53214  ③53241  ③53412  ③53421 
④54123  ④54132  ④54213  ④54231  ④54312  ④54321
といふ「5!=5×4×3×2×1=120通り」に於ける、
④12453  ③13425  ④13452  ⑤13524  ⑥13542  ②14253 
④14352  ⑤14523  ⑥14532  ④15342  ①21453  ②23145 
②23154  ②23415  ②23451  ②23514  ②23541  ③24135 
③24153  ③24315  ③24351  ③24513  ③24531  ④25134 
④25143  ④25314  ④25341  ④25413  ④25431  ①31425 
①31452  ①31524  ①31542  ②32415  ②32451  ②32514 
②32541  ③34125  ③34152  ③34215  ③34251  ③34512 
③34521  ④35124  ④35142  ④35214  ④35241  ④35412 
④35421  ①41253  ①41352  ①41523  ①41532  ②42153 
②42315  ②42351  ②42513  ②42531  ③43152  ③43251 
③43512  ③43521  ④45123  ④45132  ④45213  ④45231 
④45312  ④45321  ①51342  ②52314  ②52341  ②52413 
②52431  ③53142  ③53241  ③53412  ③53421  ④54231
といふ「78通り」に対しては、『括弧』を加へることが出来ず
①12345  ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「(42-1=41通り」に対しては、
①12345
②1235(4)
③124(3)5
⑤125(34)
⑥125〔4(3)〕
①13(2)45
②13(2)5(4)
①14(23)5
③14〔3(2)〕5
①15(234)
②15〔24(3)〕
③15〔3(2)4〕
⑤15〔4(23)〕
⑥15[4〔3(2)〕]
①2(1)345
①2(1)35(4)
①2(1)4(3)5
①2(1)5(34)
①2(1)5〔4(3)〕
①3(12)45
①3(12)5(4)
②3〔2(1)〕45
②3〔2(1)〕5(4)
①4(123)5
①4〔13(2)〕5
②4〔2(1)3〕5
③4〔3(12)〕5
③4[3〔2(1)〕]5
①5(1234)
①5〔124(3)〕
①5〔13(2)4〕
①5〔14(23)〕
①5[14〔3(2)〕]
②5〔2(1)34〕
②5〔2(1)4(3)〕
③5〔3(12)4〕
③5[3〔2(1)〕4]
④5〔4(123)〕
④5[4〔13(2)〕]
④5[4〔2(1)3〕]
④5[4〔3(12)〕]
④5{4[3〔2(1)〕]}
といふ風に、『括弧』を加へることが出来る
然るに、
(07)



(08)


cf.
① 告げざる可からず。
② 我、鳥の樹に啼くを聞く。
③ 鳥獣は、これと与に群れを同じくする可からず。
④ 外人の為に言ふに足らざるなり。
⑤ 耕す者、益々急ならざる可からず。
⑥ 己にご如からず者を友とすること無かれ。
⑦ 当世の士大夫、劉老人有るを知ら不る者無し。
⑧ 聖人の知らざる所、未だ必ずしも愚人の知る所と為さずんばあらざるなり。
⑨ 籍をして誠に子を畜ひ寒さを憂れふるを以て心を乱さず財有りて以て薬を剤さ使む。
従って、
(07)(08)により、
(09)
例へば、
① レ レ レ
② 二 一レ
③ レ 二 レ 一レ
④ レ 下 二 一 上
⑤ レ 三 二 一
⑥ レ 二 レ レ 一
⑦ 下 レ レ 二 一 上
⑧ レ レ 二 一レ 二 一レ
⑨ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「レ点」は、
① 四 三 二 一
② 三 二 一
③ 丁 丙 二 一 乙 甲
④ 下 中 二 一 上
⑤ 四 三 二 一
⑥ 下 中 三 二 一 上
⑦ 下 四 三 二 一 上
⑧ 三 二 一、五 四 三 二 一
⑨ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に「等しい」。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
といふ「返り点」で、「不足」が生じない限り、
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
は「不要」である。
然るに、
(11)
① 四[三〔二(一)〕]
② 三〔二(一)〕
③ 丁[丙〔二(一)乙(甲)〕]
④ 下[中〔二(一)上〕]
⑤ 四[三〔二(一)〕]
⑥ 下{中[三〔二(一)〕上]}
⑦ 下{四[三〔二(一)〕]上}
⑧ 三〔二(一)〕、五{四[三〔二(一)〕]}
⑨ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
に於いて、
#( )⇒( )#
#〔 〕⇒〔 〕#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① [〔(一)二〕三] 四
② 〔(一)二〕三
③ [〔(一)二(甲)乙〕丙]丁
④ [〔(一)二上〕中]下
⑤ [〔(一)二〕三]四
⑥ {[〔(一)二〕三上]中}下
⑦ {[〔(一)二〕三]四上}下
⑧ 〔(一)二〕三、{四[〔(一)二〕三]}五
⑨ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人
従って、
(07)~(11)により、
(12)
(ⅴ)レ
(ⅵ)一レ 上レ 甲レ 天レ
を含む「返り点」は、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
に「置き換へ」ることが出来、
(ⅰ)一 二 三 四 五
(ⅱ)甲 乙 丙 丁
(ⅲ)上 中 下
(ⅳ)天 地 人
であれば、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
に「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(05)(12)により、
(13)
「返り点」は、例へば、
        ②12354  ③12435  ⑤12534  ⑥12543  ①13245 
②13254  ①14235  ③14325  ①15234  ②15243  ③15324 
⑤15423  ⑥15432  ①21345  ①21354  ①21435  ①21534 
①21543  ①31245  ①31254  ②32145  ②32154  ①41235 
①41325  ②42135  ③43125  ③43215  ①51234  ①51243 
①51324  ①51423  ①51432  ②52134  ②52143  ③53124 
③53214  ④54123  ④54132  ④54213  ④54312  ④54321
といふ「順番」にしか、着かない。
従って、
(13)により、
(14)
「漢文」と「訓読」の「語順」は、『規則正しく異なる』のであって、
「不規則(ランダム)に異なる」といふわけではない。
然るに、
(15)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
例へば、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑨ 使籍誠不妻子飢寒甲レ心有銭財以済医薬
⑨ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑨ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑨ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
に於ける、
⑨{[〔( )( )〕( )]( )( )}
といふ「括弧」は、
⑨ 人 乙 下 二 一 中 上 甲レ 二 一 地 天
といふ「返り点」の「役割」を果たしていて、それと「同時」に、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を表してゐる。
然るに、
(17)


然るに、
(18)
私は、中国語が一切、分からないものの、
【 】内都是「使」的内容,( )内是「乱心」的原因。
といふことは、
【 】の中は全て、「使」の内容であり、
( )の中は「乱心」の原因である。
といふ「意味」であるに、違ひない。
従って、
(17)(18)により、
(19)
私も、王赟 Maigoさんも、二人とも、「事実」として、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」の『補足構造』を、
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ風に、捉へてゐる。
然るに、
(20)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)
然るに、
(21)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである。
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
⑨ 使【籍誠不以(畜妻子、憂飢寒)乱心有銭財以済医薬)】。
といふ『補足構造(管到)』を「把握」しない限り、
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を「読めない(理解できない)」といふことに関しては、日本人であっても、中国人であっても、「同じこと」である。
然るに、
(23)
⑨ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」を、
(ⅰ)籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
(ⅱ)Shǐ jí chéng bù yǐ chù qīzi yōu jīhán luànxīn yǒu cái qián yǐ jì yīyào.
(ⅲ)シセキセイフイチクサイシユウキカンランシンユウセンザイイサイイヤク。
を(ⅰ)のやうに「読む」のであれば、『補足構造・管到』を「把握」してゐることになるが、
 (ⅱ)のやうに「読ん」だとしても、
 (ⅲ)のように「読ん」だとしても、『補足構造・管到』を「把握」してゐるとは、限らない
加へて、
(24)
今の言語と昔の言語は、お互いにわけのわからない外国語と同じようになっているということです。つまり、今の中国の学者といえども、日本の学者と同じように、古言を理解することは、外国語を理解することと同じくらい、難しいことなのです(山泰幸、江戸の思想闘争、2019年、97頁)。
(25)
自然言語の外国人向けの教科書は、まず「こんにちは!」「ありがとう」のような簡単な言葉(ネイティブスピーカーの子供でもわかる言葉)から入る。いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は原理的に存在できない。― 中略 ―、「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である(加藤徹 著、白文後略 漢文一人学び、2013年、8・9頁)。
従って、
(23)(24)(25)により、
(26)
「漢文」を読めるようになる上で、「日本語の話者」よりも、「北京語(普通話)の話者」の方が「有利」である。
といふことは、有り得ない。
然るに、
(27)
大学では、これまでなじみのある訓読という方法によらず、現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。音そのもののひびきの美しさを体得できるよう、古典・現代のいずれに関心がある場合でも、入学後は現代中国語を充分に習得してください(京都大学、文学部受験生向けメッセージ)。
従って、
(26)(27)により、
(28)
私自身は、京都大学による、「現代中国語の知識を前提として、中国語の音によってそのまま読んでいきます。」
といふ「方法」が、「有意義」であるとは、思へない。



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