寒い日が続いていますが、こじんまりとした和食屋さんの2階で開催された
弦楽四重奏の演奏会へ出かけてきました
和食屋さんなので、美味しい匂いが漂う1階を通り過ぎるという「日常」から
演奏会が始まれば、瞬間にモーツァルトやサティの時代へ誘われていく心地良さと共に
言葉にはならない幸福感に浸りました。
考えてみれば、モーツァルトのディベルティメントは16才頃の作品だと言われており、
日本では江戸時代の中頃を過ぎる頃で、サティのジュ・トゥ・ヴー(Je・Te・Veux)は
1900年の作品で明治33年頃になります。
サティの曲は目を閉じて聞いていると、ワルツを踊っている姿が浮かんできました。
現代のポップスコンサートや大きな演奏会では音響機材を存分に使用したPAシステムの中で
何万人の観客が楽しんで共有されています。そういう音楽の楽しみもある一方で
楽器だけが奏でる音色が部屋全体に降り注ぐ演奏会も素敵なひと時です。
目を閉じて聴覚だけに届いてくる豊かな音楽の世界は、時代も地域も社会も超えた
特有な個別性の高い不思議な感覚になります
クラシック音楽は音響の良い専用のホールで開催されることが多い中で、
地域の身近な和食屋さんの2階で開催されることは、敷居が低くなり、足取りも心も軽く、
その日の気分次第で出かけられるという素敵な企画だと思います。
そこでは月に一度の企画ですが、より多くの身近な場所でクラシック音楽などの「生の音」を
聞く機会が増えて欲しいと願っています
弦楽四重奏の演奏会へ出かけてきました
和食屋さんなので、美味しい匂いが漂う1階を通り過ぎるという「日常」から
演奏会が始まれば、瞬間にモーツァルトやサティの時代へ誘われていく心地良さと共に
言葉にはならない幸福感に浸りました。
考えてみれば、モーツァルトのディベルティメントは16才頃の作品だと言われており、
日本では江戸時代の中頃を過ぎる頃で、サティのジュ・トゥ・ヴー(Je・Te・Veux)は
1900年の作品で明治33年頃になります。
サティの曲は目を閉じて聞いていると、ワルツを踊っている姿が浮かんできました。
現代のポップスコンサートや大きな演奏会では音響機材を存分に使用したPAシステムの中で
何万人の観客が楽しんで共有されています。そういう音楽の楽しみもある一方で
楽器だけが奏でる音色が部屋全体に降り注ぐ演奏会も素敵なひと時です。
目を閉じて聴覚だけに届いてくる豊かな音楽の世界は、時代も地域も社会も超えた
特有な個別性の高い不思議な感覚になります
クラシック音楽は音響の良い専用のホールで開催されることが多い中で、
地域の身近な和食屋さんの2階で開催されることは、敷居が低くなり、足取りも心も軽く、
その日の気分次第で出かけられるという素敵な企画だと思います。
そこでは月に一度の企画ですが、より多くの身近な場所でクラシック音楽などの「生の音」を
聞く機会が増えて欲しいと願っています