音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

母へ・・感謝のアルバム作り

2022-01-30 06:29:08 | ひとりごと
父が亡くなってから感謝を込めて思い出アルバム作りをしました。
七回忌を一年余前にした時に、母から「このアルバムはよく見せて貰ってるよ。有難うね」
と言われ、母の時も作るからと冗談交じりで笑って応えたのを覚えています。

母のお通夜から葬儀の時もお仏壇近くにある父のアルバムを見ている家族の姿がありました。
見る人が父との関係性だけではなく、92年間の歴史を感じて下さっていると思います。
母は満96才の誕生日を家族と一緒に迎えた翌日に亡くなりました。
96年間の回想年表を作成し、私のアルバムの中から母との思い出の写真を集めています。
*音楽回想年表に関しては2021.3.2.の投稿記事をご参照ください。

始まりはやはり私が赤ちゃんの頃の写真です。勿論、白黒になります。
記憶にはありませんが、兄たちとの写真もあります。
家の姿の変遷もあり、懐かしく思い出します。
本当に日本の歴史を見ているようです。

5年前に二人で長島温泉旅行をして、宿泊した翌日に隣りの大きな観覧車に乗りました。
母から「木曽川と長良川の下流が見えて気持ちが良い景色だから、もう一度見たい」
と希望があって実現した旅行でした。
なばなの里の夜景を見ていると初老夫婦から声をかけられました。
母の年齢を尋ねて、「凄いですね、私も元気でいたいと思いました。頑張ります」と。

4年前と3年前は奈良へゆっくり泊まりに来て、孫夫婦と曾孫にも会えました。
4年前は京都まで送り、その後は一人で帰るからと言い、着いた電話を貰いました。
流石に3年前は一緒に帰りましたが、昨年の1月まで一人で
近くのかかりつけ医へ行くことが出来ていました。
自分で出来ることはしたい、という自立の意思が強くありました。

母との思い出アルバムを作っていると、余りにも多くの写真があり選択に迷います。
母が関わってきた家族、親戚、友人、近隣の人などの写真から
歩んできた歴史と共に、母の多くの想いが伝わってきます。

感謝を込めて、四十九日法要に間に合うように作りたいと思っています。

大寒に・・母を想う

2022-01-20 11:35:16 | ひとりごと
大寒の早朝に散歩をしました。
昨年までは母に会えない辛い思いを空気や景色に包んでもらいました。
母なのに、コロナ禍とはいえ傍にいられないことに何度涙したことでしょう・・・。

家族で話し合いを続け、昨年末から母を住み慣れた自宅で看取る準備をしました。
お正月気分は無く、実家へ帰る準備をしていると、朝早くお義姉さんから電話が入りました。
「お父さん(私の兄)が朝から右足が重いって言うの・・・」
直ぐに病院へ行くことを薦め、お義姉さんは救急車を呼び兄は緊急入院しました。
左脳梗塞でひと月程の入院予定です。

姪からスマホに緊急入院の知らせと診断書の写メが届きましたので、
直ぐに実家へ向かいました。
新幹線からの景色は途中から雪景色で、深々とした中で凛とした気持ちになりました。

実家へ着くと直ぐにお義姉さんと相談しました。
明後日、実家に母が帰る日でしたので、二人で頑張ってみよう、と。
近くには心安くしている姪も二人いて心強く思えました。
母を実家で迎えるにあたって、仏間の座敷部屋にベッドを置く準備、ケアマネさんと
今後の打ち合わせなどをしました。

無事に母を迎えられ、やっと傍にいられる幸せを嚙み締めました。
温かいガーゼで顔を拭いてあげられる、ヘルパーさんと一緒にお世話をさせてもらえる、
何より夜に横で一緒に寝られることの幸せを感じました。
お義姉さんは「お義母さんの表情が全然違うね。穏やかで優しい顔になってるわ」と。

9日は母の96歳の誕生日でした。
母が大好きだけどずっと会えなかった孫と曾孫が奈良から駆け付けました。
私が初めて買ってもらった古いピアノと孫のバイオリン演奏で♪ハッピーバースデーを
近くの孫と曾孫もかけつけて、お義姉さんも一緒に歌ってお祝いしました。

その日は看護師さんから「今日は血圧も脈も酸素濃度も心音も良いですよ」と
言われており、珍しく目をずっと開けてくれていて、皆が交代で声かけをしていました。
賑やかな一日が終わって、お義姉さんと二人で喜びを噛み締めました。
やはり自宅だからこそ出来たお誕生日会のお祝いでした。

その夜は静かに更けていき、深夜2時頃に少し痰がらみの声がしただけで朝まで寝ました。
朝6時頃に目覚めて、お布団の中から母の横顔を見ても変わりは無いように見えました。
まだ寝てる‥と思っていました。
少し経って、そろそろ温かいガーゼで顔でも拭こうかと起きてみると
いつもと違う雰囲気を感じました。声をかけながらそっと額に手を当てると冷たいのです。

直ぐにお義姉さんを呼んで、医師と看護師に連絡を取りました。
こんなに静かに息を引き取るものなのかと思いました。
医師は死亡診断書に「老衰」と書かれました。
昨日、お誕生会を賑やかにやって体調も良かったという話をすると
「皆さんに会えて安心して逝かれたんですね」と。

たった5日間だけでしたが、私にとって幸せな毎日でした。
母が大好きだった音楽をかけたり、昔の懐かしい話をしたり、身体を触ったり、
ピアノを弾いたり、リンや木魚を鳴らしたり、写真や動画を見てもらったり・・・
母には感謝の気持ちでいっぱいです。