音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

外出の勧め

2011-05-22 15:12:17 | 音楽雑記
医師である日野原重明さんは
「病気の人も世間となるべく多く接触できるよう、差別しない風土をつくることが、
患者にとって一番よいケアだと思います」(『99歳・私の証「あるがま々行く」』
:朝日2011/05/21付)と記されていました
折しも少し前にお目にかかった重い認知症の症状の
ご家族を看ておられる方から同じことを聞きました。
「とにかく外出することです。どのような場でも出かけることが大切だと思います」

同じ病名がついていても一人ひとり異なる症状に戸惑うことが多くあります。
どのような症状の方でも外出が可能であれば、外の空気、音、香り、景色を
五感で感じて欲しいと専門家も介護者も願っておられます。
風や香りから生まれる音楽の世界は想像以上に豊かな触れあいとなります
それは普段の私たちにも気分転換やリフレッシュなどの効果があり、
意識しないうちにメンタルヘルスに役立つことになります。
そこにある何気ない人との関わりが大切なことは言うまでもありません。

外出に関して言えば、赤ちゃんが泣くから電車やバスに乗り難いという親の声、
かなりゆっくりした歩行で横断歩道を渡っていると、
自動車の運転手に「早く渡れ」と怒鳴られたという介護者の声、
車椅子のトイレなどの設備が無いから行きたくても行けないという声・・・。
悲鳴に聞こえてくるどの声にも「差別しない風土」からは程遠く感じますが、
本当の心豊かな社会を願いながら私たち一人ひとりがあきらめない意識を
持ち続けたいものです

音楽療法が介護保険のサービスになるために

2011-05-20 21:08:52 | 音楽療法実践
介護保険が出来た時に「ケアはプロに任せて家族は寄り添って
もらえるように・・・」と希望を抱くメッセージがありました
ところが現実はなかなか厳しいものがあり、家族が慣れない介護に
行き詰まって翻弄している姿が多くみられます。
介護保険を利用するにしても地域によってサービスの内容が異なり、
各家庭の事情によって利用するに至っていない現状があります。

ある施設の音楽療法の実践において、家族さんに寄り添う
娘さんのお姿が印象に残り、私の方が幸せをいただきました
「知ってる?この歌」「よく歌ったよね」「よく声が出てるよ」・・・
笑顔で寄り添う親子の姿は介護保険による究極の目的のように映ります。
この親子は音楽療法だけではなく、どのような時間も寄り添って抱く
幸せを感じられるのかもしれませんが、音楽は多くの場で
二人の心の架け橋として利用されやすいものだと思いました。

音楽療法が介護保険の利用サービスに入って、少なくても誰もが
選択権を持てる日が来るように願っています
その日まで音楽療法のEBMをしっかり提示できるように
実践を積み重ねていくことになります。
音楽療法を実践している施設や病院、学校などから
効果の声を挙げていただくことが前へ歩む力になります。


認知症治療として考える音楽療法

2011-05-18 07:05:38 | 音楽療法実践
認知症を患っている患者さんは予想を超えて270万人になったと言われています。
関連学会による情報や専門医の増加によって病気の理解につながり、
一般の人が病院へ行き易くなった時代要因もあるかと思います。
最近の学会誌などから認知症の治療に関する内容の変化が見られてきました

中核症状と言われる記憶障害とは異なる徘徊や暴力、妄想などの
周辺症状(BPSD)へのケアのあり方に焦点が当てられ始めています。
それは薬物療法の危うさと限界を表しているようにも感じます。

『介護環境の調整や家族への指導がBPSD改善のためには重要になる。
患者に対する非難・叱責など患者が不快に感じることは避ける。
患者が抱く不自由さを知りそのうえで必要なことについて手助けする。
患者が残された能力で生き生きと過ごせる時間をつくる工夫をするなどの
家族指導が必要となってくる。・・・
患者と家族がどのような日常を過ごしているかを確認し、
両者にとってよりよい環境を導き出せるよう治療を続けていくことが必要である』
(引用文献:老年精神医学雑誌 2011/Vol.22 熊谷亮・一宮洋介・新井平伊)

上記のような家族への適切で温かい見守りを入れた治療をされる医師が
多いことを願いますが、医療の中には療法と言われる治療があり、
「残された能力」で生き生きとした時間つくりに
音楽療法はお役にたてるのではと実感しています

「心の洗濯をしたみたいですっきりした」
「歌っているうちにおさげ髪の自分に変身していったわ」
「知らないうちに身体が動いて汗かいたわ」
言葉で伝えられない人も表情の変化が見られることが多くあり、
一緒に関わっていただく関係者の皆様と共有することになります。

その人らしさに寄り添いながら「お一人おひとりの心身の健康」に
音楽を役立てる療法として広く利用されることを願っています

男子厨房に入る

2011-05-14 07:30:45 | 音楽雑記

「男子厨房に入るべからず」と言われた世代の実父は
それを実行してきたワンマンな人です。
現役を引退して子ども達がそれぞれ家庭を持ち、
妻と二人暮らしになっても家事を担うことはなく、
高齢になった母はふらふらになりながらも諦めています。
昨年帰省した時に「お茶ぐらい自分で入れたら?」と教えたほど・・・

朝刊(朝日・2011/05/14)に男性の家事を「ダンカジ」と呼び、
将来の投資として考えることを推奨する
東レ経営研究所研究部長の記事が紹介されています。
共働きの妻を支えて、自然な形でダンカジを担われたことがうかがえます

ただ・・・時代は大きく変わってきました。
若い男性は自ら進んで厨房に入り、妻を支えるというより
腕前を披露することが出来る「ダンカジ」世代になっています。
隔世の感を抱きながらも次世代を担う頼もしさを感じます。

日々の暮らしに欠く事ができない家事を分かち合うことから
生まれる共有感と安心感は共に明日に向かって行く力になると思います。
幼子に歌う子守歌も男性が選択するラップやJポップの分野が増えて
バラエティに富んで楽しくなるのでは・・・と期待しています

♪夏は来ぬ♪の力

2011-05-12 07:22:07 | 音楽療法実践
私が実践で最も多く関わらせていただいている施設は
認知症対応型グループホームです。
人数は9名が定員ですので、お一人おひとりの「その人らしさ」
に寄り添うことができ、ゆったりとした時間が流れます

あるグループホームでは若年性認知症の50歳代の方から
90歳代の方までと年齢の幅が広く、選曲も多岐に亘ります。
この季節になると2番の歌詞に♪五月雨のそそぐ山田に~と
歌う「♪夏は来ぬ」を用意していきます

歌うことや楽器活動を強制することはなく、自主的な参加を大切に
しながら、穏やかな音楽のひと時をご一緒していただきます。
50歳代の方は大変無口で言葉によるコミュニケーションは
日々の生活の中でも難しいことを職員さんからお聞きしていました。

そんな中、音楽が流れると自然と口ずさまれることがあり、
その貴重な曲を日々の暮らしに取り入れていただくことになります。
先日、年齢差を越えて全員が始めから口ずさまれたのは「♪夏は来ぬ」でした。
職員さんと笑顔でアイコンタクトしながら確認し合いました。

明治29年に教育唱歌集に掲載されたとうかがっていますが、
脈々と続く日本の情景と重なる不思議な魅力があります。
お一人おひとりの口ずさまれている感情は異なるかもしれませんが、
共有される歌として大きな力を感じました

母の日に想う

2011-05-09 07:37:06 | 音楽雑記

昨日の「母の日」に合わせて咲いたポピーです
前日までは蕾が固くとても咲きそうにありませんでしたが、
当日の朝になるとお祝いを主張している三本だけが見事に花を咲かせてくれました。

杖をつく肩を痛め、足腰も弱った90歳を越えた義母は
畑まで出ることが年々難しくなっていましたので、
早速赤いポピー三本を切花として居間に飾りました。

昔はこんな歌を歌ったけど・・・と言いながら、
「♪柱のきずはおととしの~」「♪屋根より高いこいのぼり~」
「♪母さんお肩をたたきましょう~」・・・と口ずさんでいました。
今も歌っていることを伝えると嬉しそうでした

母の日に祝い、祝われる幸せを感じながら・・・
束の間の連休気分に終わりを告げます。

子どもの日に考えたい「理由的な見方」

2011-05-05 08:53:54 | 音楽雑記
今日は「こどもの日」なので、少しご紹介したいことがあります。
大人目線から見ると「問題」だと捉えられる行動として
落ち着かず、すぐにウロウロする子どもがいるとします。
どのように考えたらよいのかを浜田寿美男さんは以下のように示されています。

『・・子どもがすぐにウロウロするのはなぜかと考えます。
この、なぜかという問いに対して、二つの答えが出ます。
一つは、すぐに立ってウロウロするのは脳に何らかの障害があるのではないか、
障害のせいではないかと原因的に見ます。
この「どうして」という事に対して原因で答えるのが一つのあり方です。
もうひとつは、理由です。
その子は、なぜ座らずにウロウロしてしまうのかという問に対し、
その子の理由、例えば先生の話がわからない、
先生の話がつまらないということで集中できないという答えの出し方です。
私達は、問題を抱える子ども達に出会ったとき、
「原因的な見方」と「理由的な見方」の両方の答え方が
あるということはすぐに考えます。
しかし、今、発達障害の子どものことを考えるときに、
とかく原因的な見方をしていないかということなのです。
もちろん原因はありますし、そういう見方も脳研究も必要です。
しかし、もう一方で、その子なりの理由があるという、
その子の視点に立ったかたちでの答え方があるということを、
私達はどこまでしっかり受けとめているでしょうか。・・』
(引用:浜田寿美男 「発達と障害と 子どもたちの生きるかたち」講演会 H20.6.28)

上記は学校における考え方が示されていますが、
家庭やその他の場面においても同様なことが言えると思います。
「その子なりの何か理由がある」というその答えにハッとします。
大人目線から見えてしまう「出来ないこと」に何らかの理由があるかもしれないと
少し冷静に考えられると悪循環にならなくてすむかもしれません。
子どもは自分目線で考えてくれていることに安心感と信頼感が生まれ、
落ち着いた生活につながり、一緒に成長していく幸せを共有することになります。

もちろん、言うことは容易く子育てをしてきた自分自身を振り返ると
反省も多く、日々の生活では難しいことも多いかと感じています。
それでも今は、やはり「理由的な見方」を支持したい気持ちです。
音楽療法の実践において子どもは正直で美辞麗句をつらねることはありません。
その正直な反応が魅力だと感じる療法士も多いようです。
ただ、もしかしたら、理由的な見方を求めている相手は
子どもだけではないのかもしれません・・

田舎のひと時

2011-05-04 17:33:24 | 音楽雑記

吉野の田舎では休耕田が「菜の花畑」になっています
秋にはコスモス畑を愛でていましたが・・早いものです。
綺麗な黄色一色に目を奪われます。

この地も高齢化が進み、田畑に携わることが難しくなり
勿体ない気持ちになりますが、現状は空き地がいっぱいです。

畑にはモグラが作った土の山があちらこちらに見られ、
少し土を返せば、蛙が飛び出し、
いろいろな種類の蝶々が花から花へ飛び
ウグイスが上手に啼いて春を知らせ・・・
自然に包まれながら、穏やかな幸せを感じます。

4月が例年より寒く、今年の筍の生育も遅かったお蔭で
この連休に掘り頃がピッタリ合いました。
恒例の筍掘りですが、いつもより粒揃いで豊作でした
大きな釜を使って三回に分けて茹で上げました。
やはり旬の香りは格別で、食欲をそそります。

タンポポの茎笛や草笛を鳴らし合い、
菜の花や蝶々、ウグイスが登場する歌を口ずさみながら・・
風薫る新緑の季節が心を軽くしてくれているように感じます。

スカンポの咲く頃♪

2011-05-02 08:16:37 | 音楽療法実践


風薫る五月に入りました
吉野の山里はすっかり新緑の黄緑色に
模様替えをしていました。
少し冷えた四月の名残のような山桜や
例年通りの山藤の紫が彩りを添えています。

四月の我が家は怒涛のような日々が続き、
気分的に春を愛でる余裕はありませんでした。
山笑う新緑の季節は短いですが、
存分楽しみたいと思っています

田舎の庭でボタンの蕾が一日で開花しました。
暖かさを知ってのことでしょうか・・。
何事も無かったかのような「自然の豊かさ」に包まれて癒されます。
思いっきり深呼吸をして青空を眺めると
元気が湧いてきます。

季節といえば、一週間前辺りからあちらこちらの土手や水辺で
スカンポ(イタドリ)を見つけ始めています。
「スカンポの咲く頃」を歌い、スカンポ笛を鳴らし、
若い茎であれば裂きながら味わうことも出来ます。
奈良県ではイタドリという方が多いですが、
イタンポやイッタンなどと呼ばれることもあるようです。
音楽療法の実践前にスカンポ採りが欠かせなくなる季節になりました