音楽療法の活動も2000年のコロナ禍に入って難しくなり、
多くの機会が失われてしまう中で、活動を継続してきた音楽療法士も
悩み多き数年になりました。
活動としては多様な音楽を利用しながら交流することがメインですが、
先ず人と交流することが出来ず、中止にせざるを得ないことになりました。
少し経つとオンラインの実践を推奨されましたが、慣れないうえに様々な
準備が必要になることから、致し方ないことですが現場では難しいと判断されました。
ただ、私が訪問している認知症対応型グループホームの音楽療法は
少しの中止だけで再開されることになりました
消毒、検温、マスクの上にフェイスガード、距離を取りながらでした。
重い認知症の症状がある中でも、音楽が流れ、楽器活動や歌唱などで
非日常の雰囲気が行動の変化につながることがあります。
会話が不自由な人が歌うことが出来たり、楽器活動で個性的な音楽性が見られたり、
職員さんと歌唱や懐かしい話などを共有できる喜びがあります。
継続して行かせていただいても、一期一会のひと時であることは認知症の人特有の
緊張感を抱くことになりますが、流れる音楽のお蔭で距離が縮まるように感じます。
認知症を患っている人、難病を患っている人を対象にする時のプランニングに
どれほどの迷いが生じるのか、驚くほど時間がかかるようになりました。
コロナ禍を経過した中で、人に対応する時に私自身の心身の構え方に緊張感が
残っているように感じています。
実践してみると、職員の皆様や関係者の皆様に音楽療法を支えていただき、
私の気持ちと対象者の皆様の反応を共有しながら、その時間が過ぎていきます。
私ひとりではおそらく自省する中で帰宅することになりますが、
音楽療法のひと時を共有して肯定された感覚は、間違いなく次への実践に
繋がっていきます。
ただ、未だ2000年までの音楽療法をする感覚とは異なっており、
実践が終わってからも‘迷える音楽療法’の時間が必要になっています。
そんな中で、私の音楽療法が大好きです、と届いたメールに
背中を押していただいて次のプランニングを考えています
多くの機会が失われてしまう中で、活動を継続してきた音楽療法士も
悩み多き数年になりました。
活動としては多様な音楽を利用しながら交流することがメインですが、
先ず人と交流することが出来ず、中止にせざるを得ないことになりました。
少し経つとオンラインの実践を推奨されましたが、慣れないうえに様々な
準備が必要になることから、致し方ないことですが現場では難しいと判断されました。
ただ、私が訪問している認知症対応型グループホームの音楽療法は
少しの中止だけで再開されることになりました

消毒、検温、マスクの上にフェイスガード、距離を取りながらでした。
重い認知症の症状がある中でも、音楽が流れ、楽器活動や歌唱などで
非日常の雰囲気が行動の変化につながることがあります。
会話が不自由な人が歌うことが出来たり、楽器活動で個性的な音楽性が見られたり、
職員さんと歌唱や懐かしい話などを共有できる喜びがあります。
継続して行かせていただいても、一期一会のひと時であることは認知症の人特有の
緊張感を抱くことになりますが、流れる音楽のお蔭で距離が縮まるように感じます。
認知症を患っている人、難病を患っている人を対象にする時のプランニングに
どれほどの迷いが生じるのか、驚くほど時間がかかるようになりました。
コロナ禍を経過した中で、人に対応する時に私自身の心身の構え方に緊張感が
残っているように感じています。
実践してみると、職員の皆様や関係者の皆様に音楽療法を支えていただき、
私の気持ちと対象者の皆様の反応を共有しながら、その時間が過ぎていきます。
私ひとりではおそらく自省する中で帰宅することになりますが、
音楽療法のひと時を共有して肯定された感覚は、間違いなく次への実践に
繋がっていきます。
ただ、未だ2000年までの音楽療法をする感覚とは異なっており、
実践が終わってからも‘迷える音楽療法’の時間が必要になっています。
そんな中で、私の音楽療法が大好きです、と届いたメールに
背中を押していただいて次のプランニングを考えています
