今日紹介するアルバムはこれ。
『John McLaughlin - after the rain』
ジョン・コルトレーンの曲ばかりを集めたもので、ドラムはもちろん
エルビン・ジョーンズ(Elvin Jones)。
ピアノのペダル踏みっぱなし的レガート(すいません、あくまで自分の印象です。)
はアクセル全開。そこに高速スピードでマクラフリンのギターが乗っかっている。
何よりもこのアルバムで光っているのは彼の「テーマ提示のうまさ」だと思う。
タイミングが絶妙である。絶妙であるがゆえ少ない音でしっかりとスピードが
表現できる。
ギターがシングルノートのみでテーマを弾くとどうしてもサウンドがペラペラに
なってしまうため、チョーキングやスライドを多用するとか、コードを弾いたりして
サウンドに深みを与えようとすることが多いのだが、彼はもっぱらシングルノート
でやっている。グラント・グリーンのようにシングルノートが自身の個性になっている
のならまだしも、これはすごいことだ。
この辺の感覚はマイルス・デイビスとも共通すると思う。
ギターはロングトーンのベロシティーをブレス的にコントロールできないがゆえ、
より高度なタイミングが要求されているともいえる。
マクラフリンはハマリングやプリングといったギター特有の技をほとんど使わず、
すべてピッキングで弾ききってしまう。それであのスピード、そしてなめらかな
ラインには驚くばかりである。マイク・スターンもそうだが、右手のピック・
コントロールが半端でない。
ギターは軽いタッチほど難しい。速いフレーズを力をこめて弾くことは猿でもできるが、
力を抜いて弾くというのがすごく難しいのだ。
実は私はマクラフリンがそれほど好きじゃなかった。
彼のことをすごいなと思えるようになったのはつい最近のことだ。
日本のかぎられた住宅事情、ドラムの人もピアノの人もギタリスト以上に
音を出すことは大変なのだ。民家で深夜にドラムの練習などしようものなら
ご近所さんは、地震か雷が落ちたのか、びっくりしてとび上がることだろう。
自分の音を出すことに対するモチベーションが全然ちがうということだ。
だからこそ楽器へのタッチに対しては、ギタリストと比較をすると、
より繊細な感性をもっていることが多い。
一方でギターはアコースティック・ギターはともかく、アンプから音を出さないで
弾いていると音は小さいのでいつでもどこでも練習できるという手軽さがある。
その手軽さゆえ、重大な過ちを犯す。
自分が弾く音(トーン)とテクニックが乖離してしまうのだ。
つまりタッチを忘れてしまうということ。それでは自分の楽器をコントロール
できない。それはエフェクターでは絶対にごまかせないことだ。
強く弾きすぎて音がビリつきまくっているギタリストをたまに見かけるが、
あれはやばい。
ミュージシャンたるもの自分の出した音には責任をもたなきゃならない。
キース・リチャーズのような弾き方をするにせよ、彼は自分のサウンドを
100%コントロールしてるぞ。
そう、ギターでちゃんとアンプから音を出さない練習には意味がないということ。
そしてさらにギタリストが絶対に忘れてはならないのがインタープレイだ。
他の奏者とのコミュニケーションを図りながら自分のサウンドをコントロール
しなきゃならないわけで、そういう意味じゃ、アパートで蚊のなくような音で
一人、さびしげに練習したってな~んにも得るところなし!!
というわけで、深い反省を込めて、最近は一人練習をする時は必ずアンプで音をだして
ギターを弾くようにしている。そうしたら、右手、左手のタッチ、音の強弱、スピード、
そしてフィジカルな意味での感性といったものに対する気づきがいろいろあった。
はずかしながら、彼(ジョン・マクラフリン)のギターにどれほどのものがつまって
いるかがその時初めて理解できた次第だ。
まあ、「実践に勝るプラクティスはない」ということになるんだろうな…。
がんばろうぜ!
がんばろう、日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
『John McLaughlin - after the rain』
ジョン・コルトレーンの曲ばかりを集めたもので、ドラムはもちろん
エルビン・ジョーンズ(Elvin Jones)。
ピアノのペダル踏みっぱなし的レガート(すいません、あくまで自分の印象です。)
はアクセル全開。そこに高速スピードでマクラフリンのギターが乗っかっている。
何よりもこのアルバムで光っているのは彼の「テーマ提示のうまさ」だと思う。
タイミングが絶妙である。絶妙であるがゆえ少ない音でしっかりとスピードが
表現できる。
ギターがシングルノートのみでテーマを弾くとどうしてもサウンドがペラペラに
なってしまうため、チョーキングやスライドを多用するとか、コードを弾いたりして
サウンドに深みを与えようとすることが多いのだが、彼はもっぱらシングルノート
でやっている。グラント・グリーンのようにシングルノートが自身の個性になっている
のならまだしも、これはすごいことだ。
この辺の感覚はマイルス・デイビスとも共通すると思う。
ギターはロングトーンのベロシティーをブレス的にコントロールできないがゆえ、
より高度なタイミングが要求されているともいえる。
マクラフリンはハマリングやプリングといったギター特有の技をほとんど使わず、
すべてピッキングで弾ききってしまう。それであのスピード、そしてなめらかな
ラインには驚くばかりである。マイク・スターンもそうだが、右手のピック・
コントロールが半端でない。
ギターは軽いタッチほど難しい。速いフレーズを力をこめて弾くことは猿でもできるが、
力を抜いて弾くというのがすごく難しいのだ。
実は私はマクラフリンがそれほど好きじゃなかった。
彼のことをすごいなと思えるようになったのはつい最近のことだ。
日本のかぎられた住宅事情、ドラムの人もピアノの人もギタリスト以上に
音を出すことは大変なのだ。民家で深夜にドラムの練習などしようものなら
ご近所さんは、地震か雷が落ちたのか、びっくりしてとび上がることだろう。
自分の音を出すことに対するモチベーションが全然ちがうということだ。
だからこそ楽器へのタッチに対しては、ギタリストと比較をすると、
より繊細な感性をもっていることが多い。
一方でギターはアコースティック・ギターはともかく、アンプから音を出さないで
弾いていると音は小さいのでいつでもどこでも練習できるという手軽さがある。
その手軽さゆえ、重大な過ちを犯す。
自分が弾く音(トーン)とテクニックが乖離してしまうのだ。
つまりタッチを忘れてしまうということ。それでは自分の楽器をコントロール
できない。それはエフェクターでは絶対にごまかせないことだ。
強く弾きすぎて音がビリつきまくっているギタリストをたまに見かけるが、
あれはやばい。
ミュージシャンたるもの自分の出した音には責任をもたなきゃならない。
キース・リチャーズのような弾き方をするにせよ、彼は自分のサウンドを
100%コントロールしてるぞ。
そう、ギターでちゃんとアンプから音を出さない練習には意味がないということ。
そしてさらにギタリストが絶対に忘れてはならないのがインタープレイだ。
他の奏者とのコミュニケーションを図りながら自分のサウンドをコントロール
しなきゃならないわけで、そういう意味じゃ、アパートで蚊のなくような音で
一人、さびしげに練習したってな~んにも得るところなし!!
というわけで、深い反省を込めて、最近は一人練習をする時は必ずアンプで音をだして
ギターを弾くようにしている。そうしたら、右手、左手のタッチ、音の強弱、スピード、
そしてフィジカルな意味での感性といったものに対する気づきがいろいろあった。
はずかしながら、彼(ジョン・マクラフリン)のギターにどれほどのものがつまって
いるかがその時初めて理解できた次第だ。
まあ、「実践に勝るプラクティスはない」ということになるんだろうな…。
がんばろうぜ!
がんばろう、日本!!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト