今日は久しぶりに近所のお寺でひらかれている仏像彫刻教室にいった。
もう2年目になるが一向に上達しない。
それでも、行く度にいつも新鮮で、楽しく、そして学びがある。
「すべての芸術のゴールは同じ」というのが私の持論なので、
音楽のこととか、仕事のこととか、いろんなことに照らし合わせて
考える。
いつもは先生からお借りしているお手本にそれこそ「首っぴき」で
やっているのだけど、道理が全くみえなくなってきた気がしたので、
今回はあえて、お手本を見ないでやってみることにした。
そういうわけなので、自分であらかじめイメージしておかないと、
頭にある程度イメージをたたき込んでから彫りはじめないと、
後で取り返しがつかなくなる。その言葉通り、彫刻はいったん彫ってしまうと
またくっつけなおすとかできないのだ。
角棒にペンで印をつけたりして、あれこれやっているうちにまっ黒けに
なってしまったので、
「ままよ、覚悟をきめよう。」
と彫り始めた。
ガンガン彫り進めているうちに、ハタと止まってしまう。
「ここはどうすりゃいいんだ??」
そういう時は迷わず、お手本を見る。
その時初めて、先生がお手本の中に込めた道理が見えてくるのだ。
いままでと違う点は、自分で考えて、自分の感覚で彫っているので、
迷いがないということ。
いままでだと、お手本を見ながら彫っているのに、いつの間にか
お手本とかけ離れたものになってしまい、どこをどう修正すればよいのかが
全くわからなかったのだ。
音楽でも同じだ。特にインプロヴィゼーションを主体とする音楽はそうだ。
人と同じ演奏するわけにもいかないし、お手本がない中、自分の感覚だけを
頼りに演奏しなきゃいけない。そしてたとえ、それが出来たとしても、
その中でもやはり、上手い、下手は出てくる。つまり自分の感覚を修正する必要が
でてくるのだ。それでも自分で考えて、判断し、前に進んでゆかねばならない。
いい演奏から学ぶとはそういうことだ。
そしてそれは決して人マネをするということではない。
結局、学びとは自分が発見を重ねてゆく中でしか成就しないのだと思う。
そのためには、いったん教えを忘れて、自分の感覚でやってみること、
つまり失敗してみることが重要だ。
彫刻にしても、音楽にしても、いったん彫ってしまったもの、出してしまった音は
とりかえしのきかないものではある。
でもそれは、新しい素材で再度挑戦すればよいことだ。
トライ・アンド・エラーがあって初めて成長がある。
優れた芸術家にとって、作品はひとつの完成された世界ではなく、
それはトライ・アンド・エラーを行う「場」なのだ。
私の彫刻の先生はもはや達人なので、この作品にどれだけ刀があてられたか、
どのような心持で刀をあてているかなど一瞬のうちに見破ってしまう。
そうして、出来た私の作品は、
「おっ、彫り方かわったねー。」
だった。
それ以上のほめ言葉を期待していた私としては少々期待外れではあった。
まだまだトライ・アンド・エラーが足りないということか…。
がんばろう、日本!
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
もう2年目になるが一向に上達しない。
それでも、行く度にいつも新鮮で、楽しく、そして学びがある。
「すべての芸術のゴールは同じ」というのが私の持論なので、
音楽のこととか、仕事のこととか、いろんなことに照らし合わせて
考える。
いつもは先生からお借りしているお手本にそれこそ「首っぴき」で
やっているのだけど、道理が全くみえなくなってきた気がしたので、
今回はあえて、お手本を見ないでやってみることにした。
そういうわけなので、自分であらかじめイメージしておかないと、
頭にある程度イメージをたたき込んでから彫りはじめないと、
後で取り返しがつかなくなる。その言葉通り、彫刻はいったん彫ってしまうと
またくっつけなおすとかできないのだ。
角棒にペンで印をつけたりして、あれこれやっているうちにまっ黒けに
なってしまったので、
「ままよ、覚悟をきめよう。」
と彫り始めた。
ガンガン彫り進めているうちに、ハタと止まってしまう。
「ここはどうすりゃいいんだ??」
そういう時は迷わず、お手本を見る。
その時初めて、先生がお手本の中に込めた道理が見えてくるのだ。
いままでと違う点は、自分で考えて、自分の感覚で彫っているので、
迷いがないということ。
いままでだと、お手本を見ながら彫っているのに、いつの間にか
お手本とかけ離れたものになってしまい、どこをどう修正すればよいのかが
全くわからなかったのだ。
音楽でも同じだ。特にインプロヴィゼーションを主体とする音楽はそうだ。
人と同じ演奏するわけにもいかないし、お手本がない中、自分の感覚だけを
頼りに演奏しなきゃいけない。そしてたとえ、それが出来たとしても、
その中でもやはり、上手い、下手は出てくる。つまり自分の感覚を修正する必要が
でてくるのだ。それでも自分で考えて、判断し、前に進んでゆかねばならない。
いい演奏から学ぶとはそういうことだ。
そしてそれは決して人マネをするということではない。
結局、学びとは自分が発見を重ねてゆく中でしか成就しないのだと思う。
そのためには、いったん教えを忘れて、自分の感覚でやってみること、
つまり失敗してみることが重要だ。
彫刻にしても、音楽にしても、いったん彫ってしまったもの、出してしまった音は
とりかえしのきかないものではある。
でもそれは、新しい素材で再度挑戦すればよいことだ。
トライ・アンド・エラーがあって初めて成長がある。
優れた芸術家にとって、作品はひとつの完成された世界ではなく、
それはトライ・アンド・エラーを行う「場」なのだ。
私の彫刻の先生はもはや達人なので、この作品にどれだけ刀があてられたか、
どのような心持で刀をあてているかなど一瞬のうちに見破ってしまう。
そうして、出来た私の作品は、
「おっ、彫り方かわったねー。」
だった。
それ以上のほめ言葉を期待していた私としては少々期待外れではあった。
まだまだトライ・アンド・エラーが足りないということか…。
がんばろう、日本!
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