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地球温暖化

2009-12-17 17:11:05 | 日記
今週末は雪になるらしい。
今日も都内を歩き回っていたが、あまりに寒く、お昼休み時間に
かかってしまったこともあって、顧客訪問の合間に3回も喫茶店
に入ってしまった。

営業マンは大変だ。1日中歩き回っていると、足先が冷えて
しまって、歩いていると体がきしむ感じがする。

今日はJR線で人身事故があったせいで、電車が遅れた。
しかも車両の空調が効いておらず、北鎌倉から東京の間中ずっと
ブルブル震えながら電車に乗っていた。
北鎌倉はやはり田舎の駅だということなのか、駅員がホームに
出ているところを見たことがないし、電車が遅れていても
なんの構内放送もしない。

高倉健さんだって、ポッポ屋ではあの雪の中で、
外にでていたというのに(あれは映画だからか?)

翻訳業もある種のサービス業なのだが、こう不況だと、
経費削減とかいろいろあるのだろう。
そういう時はやはりサービスが低下するものだ。

救いはお客さんのところと喫茶店だけだ。

それでもお客さんと話しができれば、体はあったまってくる。
(お客さんはお風呂ではない!)

体温が冷えない内に、さあ駅へ直行!

というわけで、駅に着くなりトイレで用を足して、
ふと顔を見ると、なんと、顔が赤い。
風引いたのかな、と思ったがそれほど具合が悪いわけではない。
たぶん、室内と外の寒暖の差が激しいため顔が紅潮してしまった
のだと思う。

どうせ、自慢する顔でもないし、まあいいか。


帰りの電車の中で、川で鴨が泳いでいるのが見えた。

奴らは冬を越すため日本に渡ってくるというが、

信じがたい、日本は充分に寒いぞ!
しかも、そんな冷たい水の中で何してるんだ!

こんなに寒いので、地球の気温が温暖化で年々上がっていると
いうことに実感がわかない。

そういえば、今月の12日は汗ばむくらいの陽気だったっけ。
その時は、地球はどうかしている、と思っていたのに、
まったく我ながらげんきんなものだ。


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理系と文系

2009-12-16 08:39:38 | 日記
今、年賀状を作っている。

今年は会社も設立したし、出すべき枚数が例年の10倍に増えた。
いつもいい加減にやっていたが、今年はそんなわけにはいかない。

頭をかかえているところを妻が見ていたらしく、

「あなた、木彫りをならっているんだから版画をつくりなさいよ。」

といった。

私は写真加工とかなら、ちょいちょい、と簡単にやってのけてしまう(自慢かい!!)
が、版画は小学校の図工の時間でやった程度なので自信がない。
しかも、図案が必要である。
私はデザイナーではないので、絵はかけない。
Webでフリーアートの虎の素材をを検索し、なるべく版画にして映えるものを
あれこれ模索していると、

職場から妻がメールをおくってきた。

タイトル:年賀状の版画用図案

とある。

よっしゃと思って、添付ファイルをみると、

なんと、我が家の猫の写真!!である。

確かにトラ猫ではあるし、また虎は猫科の動物である。

それにしてもだ! どう巧く彫ったところで、猫は猫だろう。

全く、いい加減というか、無責任というか…。

なんでも簡単にできちゃうものと思っているらしい。


学生の頃、アパートで一人暮らしをしていた時、
上の階にすんでいるおばあさんが訪ねてきて、自宅のテレビを直してくれ、という。

文系の学生であった私には、なすすべはない。
丁重にお断りをしたが、

どうして、おばあちゃんは若い男の人だったら、
なんでもできると思ってしまうのか…。

(まあ、いろいろ料理とか作ってもってきてくれるやさしいおばあちゃんだったから、
とても仲良くしていたんだけどね。)


そういえば、私の叔父さんは、子供の頃からメカが得意で、
仕事も飛行機の整備士をしていたけど、
小学生の時、突然、家のテレビを分解したりして、姉である母の家族は大変だったらしい。
それでも、テレビはちゃんと元通りに映ったというから、すごい。
確かに家に遊びにいくと、部屋の一室が家電製品でうまっており、
近所から頼まれて修理をしていたようだ。
(昔の人は、そうやって修理しながら使っていたんだよね。)

いずれにしても、そういう人は紛れもなく理系の人である。

文系の私とは構造的に、そして人間としての種類がちがう気がする、残念ながら。


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Song X

2009-12-14 17:05:54 | 日記
先日、間違ってレコードを買った。

Pat Methenyの「Song X」である。

CDではなく正真正銘のLP、中古レコード屋さんで安い値段だったから
買ったのだ。
かのオーネット・コールマンとの競演作である。

私はフリージャズはあまり好きではなく、ジャケットに、
オーネット・コールマンと書いてあれば、新品だと絶対買わない(笑)。

中古だったので買ってみた。

久しぶりにプレーヤーに針をおとしてみた。

覚悟はしていたが、のっけから「みんなてんでに練習しているだけ」、
のようなサウンド。

「うわ~、やっぱり失敗かな~???」

気が狂いそうになりながらも、がまんして聴いていた。

しかし、参加ミュージシャン、

パット・メセニー
オーネット・コールマン
チャーリー・ヘイデン
ジャック・ディジョネット
(…)

どいつもこいつも、超絶テクニックである。
めちゃくちゃ、うまい。

よく聴いていると、サウンドが、ただのでたらめではないような気がしてきた。

瞬間、ディジョネットとメセニーが、あるいは、
コールマンとヘイデンがシンクロする。
その瞬間のダイナミズムというかスピード感というか、とにかく凄い気がしてきた。

そのうち、これらが立派なサウンドに聴こえてくるから、あら、不思議。
美しいカウンターラインのようにも思えてくる。

「間違って…」と書いたのは、予想に反して素晴らしいレコードだと思ったからだ。


ジャズというのはとにかくいろんな角度から人の感性に切り込みをいれてくる。

よく、インサイドなフレーズ、アウトサイドなフレーズという言い方がされるが、
要するにジャズのラインは人の耳に心地よいサウンドと耳障りなサウンドの間を
行き来しながら繰り広げられてゆく、ということだ。

アウトサイド・フレーズはインサイドに移行してゆくことによって活きてくる。
アウトサイド・フレーズだけだと「単なるでたらめ」だが、インサイド・フレーズ
だけだとスリルがない。

ということは、
アウトサイド・フレーズを弾こうとして間違ったらインサイドとなる…?!
これは果たして間違いか…。

なんのこっちゃ?(笑)


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メタボリック 仏像彫刻

2009-12-13 16:52:02 | 日記
先日、近所のお寺の仏像彫刻教室にいった。

もう始めて半年になるが、一向に光がみえてこない。
奥が深すぎて、果てしない道が続く気がする。
いい加減しんどくなってしまった。

それでも続けていれば何かある、と教室に行った。
かよっている生徒さん全員はもちろん未経験者ばかりで、
やはり、皆さん同じように苦しんでいるようだ。

それで、今回は生徒さんで話し合って、結局、

「皆で焦らずマイペースで続けて行こう。」

ということになった。

仏足から始まって、地紋彫り、そして仏手と進んでゆくのだが、
早い人はもう仏手をやっている。遅い人はまだ仏足である。

自分はというとちょうど、仏足から地紋彫りに移るところだ。。

遅れをとっていることがつらいのではなく、仏足ですら、
まだ長いトンネルから抜け出せずにいるのに、
中途半端に地紋彫りを彫っていることに気がひけるというか、
地紋を彫りながら、足のことばっかり考えている。

それでも先生は「先に進みなさい。」という。

確かに、地紋彫りをやっていると仏足を彫っていた時に
見えなかったものが見えてくる。
地紋彫りをやるようになってから、仏足の彫り方が随分変わったのだ。

ひとつのことを懸命にやってみて、壁にぶち当たったとき、
そのひとつ先のステップに移ってみるというのは、理にかなっている
のかも知れない。

そういわれれば、先生だって我々以上に未だに足を彫っているじゃないか。
仏像の一体はそうやって作られてゆくものだから。
足はもう卒業したからといって、足を省略するわけにはいかないもんね(笑)。

要はやり続けるということだ。

いつも、先生にいちばん最近につくった足とか地紋とかを見ていただくのだが、
そんなわけで、今回は足と地紋の両方を見ていただいた。

毎回、彫っていると手詰まりというか、手がとまってしまう時がある。
この先、どう彫り進めていけばよいか全く見えなくなるのだ。
それでも、ちまちま彫り続けていると、今度はペッタリした、ぺらぺらな
足になってしまう(Oh! My God!)。

「こんなん、できちゃいました~」
と笑顔でごまかしながら先生に見せる。

(…)

先生は一体何をかんがえているのか…。

なんと、これ以上、どこ削ったらいいの~の私の駄作に対して、
容赦なく刀をいれたではないか!

「もう、彫るところないでしょ~!!」

先生は一言、

「木彫りは彫ることによって厚みをだすのです。」

だって…。

なんと深い言葉か…。


刀を握るということは、結局、自分の迷いを断ち切るということだ。
毎回、本当に学びがある。
だから、止めたいとおもっていても、つい自分も教室にかよって、
刀を持ってしまう。

だって、まだまだ切り落とさなければいけない煩悩が、
堆積しているからね~。

自分でいうのもなんだが、

「全くメタボリックな人生やね~。」(笑)


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カレーと味噌汁

2009-12-11 17:04:25 | 日記

先日、ある人達の前でブルース(音楽)についてプレゼンすることに
なってしまい、ギターを片手にいろいろと説明していた。

その時でた質問に、

「ブルースって、日本の演歌みたいなものなんでしょ?」

というのがあった。

実はこれはよく言われる言い回しではある。

日本でも本場アメリカでもブルースを演奏する人たちも大勢いるし、百人百様の意見があろう。
しかし、私の答えは決まっている。

「断じてちがう!」

である。


おそらく、ブルースはアメリカ人の大衆に溶け込んだ音楽であり、
そういう性質が日本の演歌と似ているという意味で、そういわれるようになったのだろう。

性質が「似ている」とはいえても、決してイコール(=)ではあり得ない。


そういえば随分前になるが、グルメブームなるものがあったとき、

インド人のカレーを日本人の味噌汁みたいなもの、といった人がいたが、
同じシチュエーションだろう。

でもカレーが食べたくて、「よっしゃ! 味噌汁飲もう」って人は
おらんでしょ?(笑)


それなら、

日本の正装は紋付袴か、それとも背広か?

ハワイの正装は本当に白いズボンにアロハシャツなのか?

それじゃ、パプアニューギニアの正装は、股間に角をつけて、
腰蓑を巻くのが正しいのか?

結局、正装という観念すらないところに、
後から誰かが決めつけただけのことだろう。

なんか全然話がそれてしまった(笑)。

人間関係にしてもそうだし、文化的なこともひっくるめて、
自分の尺度(ものさし)のみで人や文化を判断するのは誤りだと思う。

まあ、えてして、人は人のことを判断したがる。

私もしょっちゅういろんな人から、
「あなたは、こういう人、こういう性格ね」
っていわれるしね。

以前は、そういわれることに抵抗してたけど、最近は、
「ああ、そうかも知れない」
と適当に受け流すようにしている(単に面倒くさいだけやろ!)。

まあ、少しは大人になったということで…。


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