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ヒーロー

2009-12-19 10:00:52 | 日記
私は格闘技が好きでよくテレビを見る。
総合格闘技、K-1、ボクシングなど。

昨日、長谷川穂積が10連続防衛に成功した。
具志堅用高につぐ快挙だ。

具志堅さんが活躍していたのは私が小学生の頃だ。
「冠鷲」(かんむりわし)というニックネームだったと思う。
軽量級のファイターだったので、すごくスピード感のある
ボクシングが魅力だった。
10回目か11回目くらいの防衛戦の時だったと思う。
それまで押され気味であった試合をワン・ツーのコンビネーション
一発であっけなく、ダウンを奪い勝利した。
その2発のパンチが速くて、見えなかったのをよく覚えている。
「ちばれよ! 具志堅!!」といいながら家族で応援していた。
彼は日本の正統派のヒーローだった。

長谷川選手を見ていて、久しぶりに日本のヒーローが復活したな、と思う。
試合以外では、とりたてたパフォーマンスや言動を一切しない。
いつでも自然体で、道を歩いていても普通のにいちゃんとそんなに変わらない
気がする。

しかし、リングの上ではスピードとテクニックを武器に圧倒的な力を見せつけている。
4試合連続の1ラウンドKO勝利こそのがしたものの、相手をノックアウトする
瞬間のパンチの破壊力は圧巻で、見ていて胸がスカッとする。


K-1マックスはともかく、総合格闘技、K-1においては日本人は外国人の
パワーに圧倒され、なすすべはない。
柔道の重量級の試合をみていると「柔よく豪を制す」の精神は、
まるでキングベアーのようなパワーをもった人たちには歯が立たない。

牛若丸が弁慶を五条橋でやっつけたように、パワーを制する知恵と
スピードに日本人は民族としての力強さや希望を見出してきたのだと思う。

その点、ラスト侍で知られる、西郷隆盛はアメリカ人にもわかりやすい
日本のヒーローかとも思えるが、演じていたのは渡辺兼さんであって、
彼はもちろん西郷さんのような大巨漢ではない。
日本の武士道、そしてヒーローの姿が海外にも受け入れられ始めていると
いうことか。

私は「武士道」のことはよく知らないので、軽率な発言はしたくないが、
すくなくとも、戦後の日本のヒーローは、体が大きく、パワーでは圧倒される
外国人を精神と技で倒す姿にあると思う。

ボクシングには階級があるので、それほど大きい人と小さい人の重量差の
ある試合というのが見られないが、それでも長谷川選手のあの圧倒的な
強さにはスポーツとしてよりも、ヒーローとしての光を感じる。

K-1の王者に君臨するセーム・シュルトは2メートルを超える巨漢であり、
しかも技のひとつひとつに切れがあり、現在のところ、彼から
ダウンを奪うものは現れてきているが、勝てる奴はいない。
そんなわけで、数年前から主催者サイドもニューヒーローを立てたり、
なんとかして彼を王の座から引きずりおろそうと必死である。
K-1発祥国である日本人にとって、セーム・シュルトは「夢も希望もないファイター」
の典型なのだろう。4回も王者になっていながら、彼はヒーローにはなれない。

しかしながら、彼は類稀な肉体以上にそれを上回る技とスピードを身に着けるべく
努力を重ねていることを知るべきである。
もちろん、彼だって人間なのでいつかはその強さにもかげりはでるし、
いつかはリングの上に沈む日もあるのだろう。
そして、それをやってのける人がニュー・ヒーローということになるのか…。

私は疑わしいと思っている。
K-1はあくまでショーであり、たとえセーム・シュルトをリングに叩きのめした
としてもそこまでの過程に轢かれているレールがあまりにも見え透いている
気がするのだ。

ヒーローは常にある種の必然から生まれてくるものだ。
自然という圧倒的な現実の前には、人間の描くストーリーなど砂上の楼閣に等しい。

長谷川穂積は自然体である。そして本物のヒーローである。


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