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型と感性

2009-11-18 17:05:58 | 日記
「書く技術・伝える技術」
目からウロコのビジネス・ライティング
倉島保美(あさ出版)



少し前に読んだ本だけど、最近また読み返してみた。
私がいうのもなんだが、良書だと思う。

「ビジネスのための文章は、
いくら時間をかけて作成しても、読まれなければ意味がありません。
「読まれる」文章とは、「読み手に負担をかけない」文章のこと。

この主旨のもと、この本自体が非常に読みやすく書かれている。
特に「出だしのわかりやすさ」を強調している。


太宰 治が、

「小説は書き出し(出だし)が一番重要だ」

と言っていたと、なんかの記事で読んだことがある。
要するに小説家は書き出しの部分でいかに読者をひきつけるかが
大きなポイントなのだろう。(小説を書いたことがないので知りませんけど…)

この本自体は全く奇をてらった部分はなく、それでこそすんなり読める。
たぶん、文学作品にしても、会話にしても同じなんだと思う。

会話がリスナーを前提としているように、文章は読み手を前提としている。
興味のない人は、最初から小説を手にすることもないだろうし、
悪意のある人は、最初から聞く耳をもたないものだ。
そういう奴らは、前提がちがうので最初から無視すべし
(どっかの国の政党間の醜い争いと同じだ)。

こういう本を読むとレトリックは大切だな、と思う。
そしてレトリックに対する認識のちがいが日本人と欧米人を
大きく分けているように思う。

先日読んだアメリカ人の書いた「作詞法」の本(今度紹介します。)
もやはり「形式」の徹底した理解が重要だと書いている。

私はジャズが好きでいろんな理論書とかを見たりするのだが、
日本人の著者の書いたものは、抽象的なものが多いが、欧米人の
書いたものは理論的でエクササイズを重視したもの、いわゆる型を
重視したものが多い。

感性を重視するか、型を重視するかの違いだと思う。
一方は一生をかけて得るものであり、もう一方は知識として
ものにするのは簡単だ。だが知識として得たものと体で会得したものは
別物だということだ。

かたや感性は磨かれているが、まったく文章がかけない人、あるいは一言も発せられな人。
かたや文章は書くし、多くを語るが、まるでセンスが感じられない人。

どっちがいいのだろう?

言わずもがな、どっちも駄目だ、そんなもの!

難しい話になってしまったが、この先はまだ続く…。

(今回のブログの書き出しはどうか…。
うーん、100点満点で10点以下だな~、トホホ…)



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