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どうなってんの?

2010-11-13 09:11:17 | 日記
先日来、テレビでは「尖閣諸島問題のビデオ流出事件」の犯人の身柄確保の報道でもちきりだ。

ネットにおいて彼はある種の英雄のようである。
そもそも、情報を隠す必要があったのか、つまり国家機密として隠ぺいしたことに
意味があったのかどうか、そして情報管理体制とその責任の所在が問題となっている。

民主党のある議員などはテレビで日本企業(フジタ)の人たちが身柄を中国当局に確保されていた
ことを理由に、情報漏洩の問題に対する謝罪を拒否した。
中国に対する外交カード(明らかに非人道的な行為)を国民に伏せておくことが、
人質の身柄の安全のために必要だったということか。
その迎合の姿にこそ国民がいら立ちを覚えていることを政府は知るべきだと思う。

一体全体、外交とはそれほど人間的に低レベルなやりとりなのだろうか?

そもそも情報の漏洩が問題になっているようだが、私などからすれば、
まだまだ、漏洩が足りない(?)

ぶつかったところはわかった。
でも中国人があれをみたところで、もともと自分たちの土地だった
ところに海上保安庁が乗り込んできたので身をもってそれに抗議した
英雄なんでしょ? それじゃ勇ましい武勇伝を放映しているに過ぎないじゃないか。

中国船がぶつかってくる前の映像や、船長逮捕の映像、当然海上保安庁の何人かは
中国船に乗り込んだわけでしょ?
そういうところは撮影していないのかしら…?

2時間くらいのビデオが40分に編集されているんでしょ?
誰もおかしいと思わないのかしら?(みんな思ってるさ)

「誤って海におちた海上保安庁の職員を中国人が銛でついた」
「裸で煙草を一服し、そのあとぶつかってきた」

など、様々なうわさが乱れている。いったいどこからそんな話が漏れてくるのか。
結局、情報をしっかり開示しないかぎり、噂は噂のままである。
「人の噂も75日」というが、そうやって真実をもみ消すつもりなのか。

私は政府がこの問題の本質を「情報漏洩」や情報の「機密性」にすり替えていると
思う。
もっと重要な情報をもみ消してしまうために、やってるんじゃないかと勘ぐって
しまう。
「本当はもっと重要な映像があるんだ!」と誰かが暴露してしまわないかぎりは、
結局、犯人は英雄として無罪放免になるか、あるいは有罪になって、
刑務所にぶち込まれるか、どっちにしても彼が口を封じられていることに変わりはない。

「ああ、この情報が漏れてしまった!」
と騒ぎたてれば、誰ももっと重要な情報があったことに目がいかないでしょ。

政府は他に情報があるのか、ないのか、あるのなら全部国民に開示すべきだと思う。
それしかないと思う。

中国は広大な領土と人口をもつ国である。だから国家を運営してゆくためには、
情報操作も必要なのだろう。アメリカもしかり。
だけど、日本はちがう。情報操作をし国民を束ねる必要などない。
そんなことしなくても「よりよき未来」に対して民衆が歩んでいける、
それを信じなくて日本の未来はあるのだろうか?
情報操作で統制されている国との戦略的互恵関係の維持、そんなものに
国民が翻弄される必要が本当にあるのだろうか?
それが日本が目指すべき方向性なのだろうか?
戦略がないことを露呈しているだけじゃないのか。

映像ビデオの全面公開をやって、得する国はどこか、損する国はどこか?
これだと密約があったことすら疑ってしまう。

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