日野日出志「ホラー自選集」の第14話は「ウロコのない魚」です。私はこの作品がとても好きでして、凄みのある絵柄、幻覚や悪夢の連続、何一つ悪さをしていない「ウロコのない魚」の存在、他人事のようなラストシーンなど、短編ながらも印象的な作りになっています。
冒頭のこのシーンからして絵柄がなんだか凄まじいです。昭和の雰囲気を強烈に発しています。生活感のある書き込みも細かいですが、各コマの構図も考え抜かれており、いきなり異様な殺気を放っています。主人公の少年しげ男は、漁港のある町の魚屋の息子です。町は暑さと悪臭に包まれており、そのせいか少年は毎晩悪夢にうなされているようです。そしてその悪夢の内容が思い出せないそうですが…。そんな少年が海でウロコのない魚を釣ってきたところから話が始まります。
少年がウロコのない魚を釣り上げた直後から、幻覚に苛まれるようになってしまいます。この後は2ページに一回の割合で幻覚や悪夢が繰り返し襲ってくるのですが、ウロコのない魚が何か悪さをするわけではありません。少年は徐々に精神的にまいっていきます。
そして少年が暑さでおかしくなってしまうかと思ったら、それより先に床屋の主人がおかしくなってしまうのでした。そしてこの瞬間に毎晩見る悪夢を思い出すのでした。この見開きは日野日出志作品の中で私が最も好きな部分の一つです。ちなみに、日野日出志「ホラー自選集」版では床屋のセリフが「狂う人間のひとりやふたり」ですが、ひばり書房の版では「頭が変になる人間の一人やふたり」となっています。
少年が見ていた悪夢とはどんな内容だったのか、なぜウロコのない魚が釣れたのか、幻覚の原因は何だったのか、床屋の主人が狂った理由は何か、どれも説明がなく、なんの解決にも至らずに話は終わります。暑さと公害が一連の出来事の原因で、ウロコのない魚を見たことがきっかけとなって少年の精神の歪みが顕在化したのだ、という一応の説明はつきますが、それさえも通り一遍の表面的な解釈に過ぎません。根本的なものが何も解決していないという不安感が、本作を(いい意味で)後味の悪いものにしています。
幻覚と悪夢に苛まれるというパターンはその後の日野日出志作品において典型的なものとなっており、本作はその原型と言えるでしょう。また、暑さで正気を失うという設定は、デビュー作の「つめたい汗」でもあり、本作でも同じようなラストを迎えます。その意味で本作はデビュー作と後の日野日出志作品を繋ぐ手がかりになるかもしれません。
余談ですが、床屋で襲われると言えば、荒木飛呂彦のデビュー作「武装ポーカー」では主人公が散髪中に襲われたところを返り討ちにしたり、「ジョジョ」でポルナレフがアヌビス神に攻撃されたりするシーンがありました。私も今日床屋に行ってきたところで、これらのことを思い出しながらちょっとドキドキしていました。
日野日出志作品紹介のインデックス
冒頭のこのシーンからして絵柄がなんだか凄まじいです。昭和の雰囲気を強烈に発しています。生活感のある書き込みも細かいですが、各コマの構図も考え抜かれており、いきなり異様な殺気を放っています。主人公の少年しげ男は、漁港のある町の魚屋の息子です。町は暑さと悪臭に包まれており、そのせいか少年は毎晩悪夢にうなされているようです。そしてその悪夢の内容が思い出せないそうですが…。そんな少年が海でウロコのない魚を釣ってきたところから話が始まります。
少年がウロコのない魚を釣り上げた直後から、幻覚に苛まれるようになってしまいます。この後は2ページに一回の割合で幻覚や悪夢が繰り返し襲ってくるのですが、ウロコのない魚が何か悪さをするわけではありません。少年は徐々に精神的にまいっていきます。
そして少年が暑さでおかしくなってしまうかと思ったら、それより先に床屋の主人がおかしくなってしまうのでした。そしてこの瞬間に毎晩見る悪夢を思い出すのでした。この見開きは日野日出志作品の中で私が最も好きな部分の一つです。ちなみに、日野日出志「ホラー自選集」版では床屋のセリフが「狂う人間のひとりやふたり」ですが、ひばり書房の版では「頭が変になる人間の一人やふたり」となっています。
少年が見ていた悪夢とはどんな内容だったのか、なぜウロコのない魚が釣れたのか、幻覚の原因は何だったのか、床屋の主人が狂った理由は何か、どれも説明がなく、なんの解決にも至らずに話は終わります。暑さと公害が一連の出来事の原因で、ウロコのない魚を見たことがきっかけとなって少年の精神の歪みが顕在化したのだ、という一応の説明はつきますが、それさえも通り一遍の表面的な解釈に過ぎません。根本的なものが何も解決していないという不安感が、本作を(いい意味で)後味の悪いものにしています。
幻覚と悪夢に苛まれるというパターンはその後の日野日出志作品において典型的なものとなっており、本作はその原型と言えるでしょう。また、暑さで正気を失うという設定は、デビュー作の「つめたい汗」でもあり、本作でも同じようなラストを迎えます。その意味で本作はデビュー作と後の日野日出志作品を繋ぐ手がかりになるかもしれません。
余談ですが、床屋で襲われると言えば、荒木飛呂彦のデビュー作「武装ポーカー」では主人公が散髪中に襲われたところを返り討ちにしたり、「ジョジョ」でポルナレフがアヌビス神に攻撃されたりするシーンがありました。私も今日床屋に行ってきたところで、これらのことを思い出しながらちょっとドキドキしていました。
日野日出志作品紹介のインデックス
傍観者でしかない魚の立場は、完全に横光利一の短編小説「蝿」の蝿と同じですね。先に読んだのはどちらだったか忘れましたが、当時確かに「ウロコのない魚」の魚と「蝿」の蝿は同じ立場だと考えていた覚えがあります。
魚は公害による汚染で体が歪み、人間の方は(暑さも含め、臭いやら何やら地獄の様な環境全てが要因となって)精神をやられてしまった。昔から、天災や不吉な出来事が起こる前触れとして現れる妖怪や奇妙な生き物に関する伝承が色々ありますが、このウロコのない魚の出現がその後に起こる惨劇の前触れだったのだとすれば、その背景には公害等の現実的要因がある訳で、ある日突然気紛れに「不吉の象徴」だけが現れる訳ではない。姿形が気味悪いからと言って、不吉な出来事を全て魚の所為にしてしまうのは魚にとっても気の毒だし、この魚自身も公害でこんな姿になってしまった被害者なのだ。…そう考えると、間接的に公害に対する風刺が込められていると同時に、ここでもフリークスに対する作者の愛情を感じ取る事が出来る様にも思えます。
…しかし最後に桶の中でパシャッと跳ねる魚の姿は、自分をこんな姿にした人間に一矢報いた事で悠然たる態度を取っている様にも思え、もしかしたらこの魚が幻覚を見せていたのでは…?とも考えてしまいます。
おっしゃるように、ウロコのない魚は傍観者という立場を貫いてはいるものの、被害者のようにも見ることもできるし加害者のように見ることもできます。考えてみるとこの作品では、しげ男と床屋以外の登場人物は全員が傍観者で、みんな暑い暑いと言いながらも通常通り生活しています。それと対比してしげ男の狂気がじわじわと増大していき、しかも床屋の狂気がもの凄い加速度を持ってあっさりとしげ男を抜き去っていくという二重の恐怖。
そして、町の人達は傍観者でありますが、この町に住んでいる以上は少しずつ加害者でもあるという現実があります。純粋な被害者はウロコのない魚だけかもしれません。それなのに、しげ男がおかしくなったのは魚のせいだ、と人々が解釈することで堂々巡りに陥っている印象があります。これを回避するには人々の意識を変えるしか手が無いようで…。
最後に跳ねる魚は、「もうやってらんねーよ」と言いたいのかも知れません。この作品はどうにでも解釈でき、それでいてどう解釈してもこういう結果になってしまいそうだというイヤな設定を持っていますね。そして異形の者の哀しみもドライに描かれていて、トラウマ級ながらもなかなか味のある作品ですね。
まともに心配する親たちが印象的に思えます
他の家族は現実世界でフツウに暮らしているのになぜか
彼だけが阻害されるかのようにひとりで
狂気の空気にのみ込まれていく
良く子供のころ気持ち悪くなるとそんな感覚に
襲われていました
あと若いひとほどやたらに昭和昭和と言いますね
少ししつこいですよ
そんなことわかっているんだから
それと昭和40年代生まれの私を若いと言ってくださり、ちょっぴり嬉しいです。Unknownさまが恐らく書いてくださった『はつかねずみ』のコメントにもあったように、時代背景が重要な要素ですね。ちぐはぐな開発や公害などをテーマにしたホラー作品は、平成の現在には少なくなった気がします。しつこくなるのでこのへんで…。