珍しく画布のマチエール(材質感)がある表紙絵の本は、日野日出志作品の中で最大の問題作と思われる「恐怖!! ブタの町」。何が問題って、その結末がまったくもって意味不明なのです。最初からこの結末を想定して描いたのか、それとも収集がつかなくなって適当に描いたのか、深い意味があるのか無いのか、さっぱりわからないのです…。
ある晩、けん一少年は寝つけないでおりトイレに立ったところ、遠くから妙な者達が近づいてくるのを目撃します。
まったくもって、いきなりな展開ですが、この左ページの絵はとてもかっこいいですね。月の中で光る斧の刃、背後から月明かりを浴びたシルエット、謎の軍勢の不気味さ、もうこの絵を描きたいばかりに作った話なのではないかというくらいです。
けん一は屋根の上に逃れて見ていると、やって来た連中は住民達を捕まえてまわり、時には反抗する人を殺すこともしています。そしてなぜか、連中はけん一がいなくなったことまで把握しているようです。けん一は町外れの廃屋に一晩身を潜め、翌朝高台から眺めると町は瓦礫と化しています。けん一は絶望を感じつつも態勢を立て直し、連中の目を盗んで家族や近所の人々に会うことに成功します。話によると、連中は悪魔であり、捕らえられた人々はブタにされるとのこと。そのことがよく理解できないけん一でしたが、ある日、多くの処刑道具が瓦礫の町の広場に運び込まれ…。
ブタになることを拒否した人々が見せしめのために残酷な殺され方をされてしまいます。けん一は助けを求めるために町を出ようとしますが見張りが厳しくて脱出できません。そうこうしているうちに、捕らえられた住民達の精神は限界を超えてしまったようで…。
悪魔達はブタを労働力として建物を造っています。そして町を出ようとしていたけん一の秘密の隠れ家が悪魔達に見つかってしまい…。
けん一は建物のてっぺんで意外なものを見たうえ、さらに悪魔達の信じ難い素顔を目の当たりにします。その瞬間、けん一は全てを理解し………、というところで話は終わります。ここでは結末をぼかして書きましたので、この本をお読みでない方はいったいなにがどうなったかさっぱりわからないだろうと存じますが、本を読んだ私もさっぱりわかりません。このことが本作を最大の問題作たらしめているのです。
以下ではある程度ネタバレになるのは承知の上で、結末に対しての解釈をしてみます。ざっと3つほど考えてみました。
その1 けん一の深層心理が悪魔として具現化した
その2 悪魔の一人が人間の恐怖をモニターするために人間(けん一)になりすまして生活していた
その3 悪魔はもともと定まった姿がなく、戦うけん一を力と知恵のある人間の代表とみなし、その姿をコピーした
その1は「毒虫小僧」で示したものと同様ですが、本作の場合は悪魔の来襲以前のけん一の描写がないために、今一つ説得力がありません。彼が心に抑圧しているものがあるとも思われません。
その2はほとんど漫画版の「デビルマン」の飛鳥了ですね。人間が最も恐怖することを知るために自ら人間(飛鳥了)となったサタン。これと同様かとも考えましたが、どちらかというと悪魔が先手を打っていたようなので、これも疑わしい解釈です。
その3は海外SFにありそうな感じのものですが、これにしたって、けん一が「全てを理解する」という理由がありません。
このようにまったく意味不明で説明不能の結末なのです。なにかうまく説明がつくような解釈はないものでしょうか。それとも「解釈」とか言っていること自体が見当違いの恐怖ポイントがあるのでしょうか。あるいはやっぱり最初の画像のページを描きたかっただけで、深く考えずに作られた話なのでしょうか。やっぱりわかりません…。
日野日出志作品紹介のインデックス
日野の作品は子供の頃読んでいたのですが、これは未知だったので、古本屋でちょっと高値でこの本を買って初めて読みました。「赤い蛇」を思わせるような、プロローグとラストの絵柄が同じ構成であり(ただし、この作品の場合には、謎の謎解き?がそれに続きます)そのことが、「赤い蛇」同様の象徴的な悪夢の世界を想起させます。
以下はあくまで私の個人的解釈というか曲解です。
御存知だろうと思いますが、日本でも放映され話題になった、昔のイギリスの変わったテレビドラマの「プリズナーナンバー6」というのがありました。イギリスの元諜報部員の主人公が、謎の村に閉じ込められ、そこで起こる不条理劇を描いたドラマでしたが、その村の真の支配者がナンバー1であり、最終回までその正体がわりませんでした。そして、最終回でついにナンバー1に謁見する権限を得た主人公が会ったのは、謎の仮面を被った男であり、その仮面を剥がすと、瞬間的に主人公の顔が出てきたと記憶しています。すぐにナンバー1は主人公を振り切って、村を捨て宇宙にロケットで逃亡するのですが、この謎の核心のナンバー1とは何者かについて、最も多く言われている解釈が、ナンバー1は、テレビを見ている視聴者自身だ、というものです。
なぜか私はこれを思い出してしまい、勝手に重ねて、悪魔とは主人公自身であるとともに、それによって、漫画の読者である我々自身を示しているのではないか。怖い、残酷、とぼやきながら、興味津々で悪魔の残虐な所業を見続けてきた、我々自身の願望が、実はこの悪魔の正体であった、ということではないのか、と、勝手に解釈してしまいました。
変なコメントを書いてすみません。
私は不勉強なため「プリズナーナンバー6」について存知ませんでしたが、非常に謎めいていて面白そうですね。ちょっとググってみたら、1967年の作品ながら現代社会を予見しているような部分もあるようで、興味深いです。
そしてその作品に対する通説になぞらえて「恐怖!! ブタの町」を解釈したのは慧眼だと感じました。確かに日野日出志作品には読者を狂気の世界に巻き込むものがいくつもありました。その全ては読者が被害者になるものではありましたが、読者はそれさえもどこか望んでいたように感じます。
確かに本作に対して、読者は悪魔と精一杯戦うけん一に感情移入すると同時に、悪魔がどんな恐怖をけん一に与えるかを期待している部分があったでしょう。読者は被害者でもあり、加害者でもあったということで、けん一=読者=悪魔が成り立ちうる、というのはなるほどなあと感銘を受けました。他の日野日出志作品にもある「自分と読者、どちらが狂気なのか?」という問いかけの変形ともとれますね。
何かで読んだのですが、作者はこの作品の結末を「深く考えずに描いた」とのことです。けれどもこれを言葉通りに受け取るのは面白くないし、本心かどうかもわからない。それに心に引っかかる作品を(たとえ深読みであっても)自分なりに意義付けしたいですよね。そんなこともあって、Aさまの解釈は日野日出志作品の根底にある「人間の影の部分のクローズアップ」というテーマに沿っていると感じました。
大変面白い解釈をありがとうございました。
終わりあたりから主人公の文脈も適当
オチがなかったので 謎で終わらせある意味いい話題のあるオチで成功した