アンドロデュノス(ネオジオ)
2008年12月8日掲載
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<<< アンドロデュノス小話 第1話 >>>
「価値観の違い」という言葉は、とてもつまらない言葉です。これを言ってしまえば議論はそこで終わりです。そもそも「人と価値観が違う」ことは重要ではなく、それよりも「自分の価値観が変化する」ということの方がよほど面白く、得るものも多いと考えています。
私が初めてネオジオ横スクロールシューティングの「アンドロデュノス」をゲームセンターでプレイした時、心に強く残るものはありませんでした。当時の私は横シューに対して「独創的な攻守のシステムと手応えのある難易度が命!」という価値観を持っていたのです。
本作は武器チェンジボタンでショットのタイプを変化させることができるのですが、目新しいシステムではありません。また、溜め撃ちを使うたびにパワーダウンしまいます。システム的に「どうでもいいとこ取り」という印象がありました。難易度も低かったこともあり、本作をそれほど評価をしませんでした。
ところが、最近になって無性にプレイしたくなり、当時コレクションの一つとして購入した家庭用ROMを実家から持ってきました。すると、期待以上に楽しく、また熱くなったのです。
緻密な攻略パターンを組み上げていくようなシューティングも好きですが、やはりシューティングの面白さは「撃つ」と「避ける」が基本であることを再確認しました。敵の攻撃を目の前にしてから何を撃ってどう避けるかを判断しても、本作では対応できるのです。
腕前は落ちていましたが、自分が瞬間的に対応できるギリギリのところを突いてくるような感覚がありました。当たり前すぎるシューティングの基本要素のみで熱くなりました。炭火のようにじっくりと燃焼させるのを良しとするこれまでの価値観に加えて、一瞬で強く燃え上がることの面白さに対する価値観をようやく身につけることができました。
三十年もゲーマーをやっていて今さら理解したのかと言われれば恥ずかしい限りですが、新たに得た価値観によって自分のバックグラウンドが豊かになった実感があったのでした。
<<< アンドロデュノス小話 第2話 >>>
十何年も前のことですが、本作の家庭用ROMを購入した時、その足で友人の家に持って行ってプレイしました。友人が注目しているのでかなり慎重にプレイし、難易度が低いこともあって、ノーコンティニューで最終ボスまで来たのです。
7面クリアのスコア集計の後、崩壊する基地からの脱出シーンを経て現れた最終ボスの攻撃は、弾をひょろひょろと撃っているだけでした。私が「なんだ、簡単じゃないか」と得意げに口にした瞬間、妙なワインダーがかかった太いレーザーにやられたのです。
見ていた友人は大爆笑! 「カッコわりー!」の連呼! 私の面目丸つぶれ! 動揺した結果、ゲームオーバーになりました。それ以来、その友人に会うたびに当時のことを話題にされ続けてきました。トラウマ寸前でしたよ。
その後、友人は仕事で海外に行くことになりました。と言っても、つい先日8年間の海外勤務を終えて帰国したのですけどね。私は東京出張の際に会いに行きました。もちろん当時の失態の話題が出ました。もう挨拶代わりです。
友人の家に行ってみると、ゲーム棚に本作のROMが…。友人はこれまでずっと「アンドロデュノス」の文字を見るたびに、私のプレイを思い出してニヤニヤしていたのでしょう。本作が友人との腐れ縁を深くしたのは間違いなさそうです。
2008年12月8日掲載
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「価値観の違い」という言葉は、とてもつまらない言葉です。これを言ってしまえば議論はそこで終わりです。そもそも「人と価値観が違う」ことは重要ではなく、それよりも「自分の価値観が変化する」ということの方がよほど面白く、得るものも多いと考えています。
私が初めてネオジオ横スクロールシューティングの「アンドロデュノス」をゲームセンターでプレイした時、心に強く残るものはありませんでした。当時の私は横シューに対して「独創的な攻守のシステムと手応えのある難易度が命!」という価値観を持っていたのです。
本作は武器チェンジボタンでショットのタイプを変化させることができるのですが、目新しいシステムではありません。また、溜め撃ちを使うたびにパワーダウンしまいます。システム的に「どうでもいいとこ取り」という印象がありました。難易度も低かったこともあり、本作をそれほど評価をしませんでした。
ところが、最近になって無性にプレイしたくなり、当時コレクションの一つとして購入した家庭用ROMを実家から持ってきました。すると、期待以上に楽しく、また熱くなったのです。
緻密な攻略パターンを組み上げていくようなシューティングも好きですが、やはりシューティングの面白さは「撃つ」と「避ける」が基本であることを再確認しました。敵の攻撃を目の前にしてから何を撃ってどう避けるかを判断しても、本作では対応できるのです。
腕前は落ちていましたが、自分が瞬間的に対応できるギリギリのところを突いてくるような感覚がありました。当たり前すぎるシューティングの基本要素のみで熱くなりました。炭火のようにじっくりと燃焼させるのを良しとするこれまでの価値観に加えて、一瞬で強く燃え上がることの面白さに対する価値観をようやく身につけることができました。
三十年もゲーマーをやっていて今さら理解したのかと言われれば恥ずかしい限りですが、新たに得た価値観によって自分のバックグラウンドが豊かになった実感があったのでした。
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十何年も前のことですが、本作の家庭用ROMを購入した時、その足で友人の家に持って行ってプレイしました。友人が注目しているのでかなり慎重にプレイし、難易度が低いこともあって、ノーコンティニューで最終ボスまで来たのです。
7面クリアのスコア集計の後、崩壊する基地からの脱出シーンを経て現れた最終ボスの攻撃は、弾をひょろひょろと撃っているだけでした。私が「なんだ、簡単じゃないか」と得意げに口にした瞬間、妙なワインダーがかかった太いレーザーにやられたのです。
見ていた友人は大爆笑! 「カッコわりー!」の連呼! 私の面目丸つぶれ! 動揺した結果、ゲームオーバーになりました。それ以来、その友人に会うたびに当時のことを話題にされ続けてきました。トラウマ寸前でしたよ。
その後、友人は仕事で海外に行くことになりました。と言っても、つい先日8年間の海外勤務を終えて帰国したのですけどね。私は東京出張の際に会いに行きました。もちろん当時の失態の話題が出ました。もう挨拶代わりです。
友人の家に行ってみると、ゲーム棚に本作のROMが…。友人はこれまでずっと「アンドロデュノス」の文字を見るたびに、私のプレイを思い出してニヤニヤしていたのでしょう。本作が友人との腐れ縁を深くしたのは間違いなさそうです。
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