「溜池通信」(http://tameike.net/)で学んだことだが、2000年の米国大統領選挙で民主党のゴア候補の副大統領候補となったジョー・リーバーマン上院議員が、コネチカットで苦戦しているという。
そして8月8日に行われた、今年秋の上院選挙の前哨戦となる民主党候補を決める予備選挙で、無名のラモント候補に敗北した。
8月9日のニューヨークタイムズでは、この現象を「怒れる穏健派の復讐」と呼び、「上院議員ジョセフ・リーバーマンが、ほとんど知られていないコネチカットの実業家の手にかかり敗北したことは、民主・共和両政党の政治家に対して、有権者たちはイラクの戦争に関して怒っていて、不満を持っているというメッセージを送ることになるだろう」と述べている。リーバーマン氏は、民主党上院議員でありながら、ブッシュ政権のイラク戦争政策を一貫して支持支持していたのだ。
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2006年8月9日
ニューヨークタイムズ
怒れる穏健派の復讐
上院議員ジョセフ・リーバーマンが、ほとんど無名のコネチカットの実業家の手にかかり敗北したことは、民主・共和両政党の政治家に対して、有権者たちは、イラク戦争に怒っていて、不満を持っているというメッセージを送ることになるだろう。しかしながら、ひっくり返された予備選挙は、リーバーマン氏が、上院において代表していると述べる、超党派や中道に対する反乱ではない。それどころか、コネチカットの民主党員は、そのような考え方が、ブッシュ政権により堕落させられたことに反応しているのである。
政治的新参者であるネッド・ラモントが、リーバーマン氏に対抗したのは、リーバーマン上院議員のイラク情勢に対する楽観的な説明、そしてブッシュ政権の戦争遂行を批判した民主党員をリーバーマン議員が非難したことに感情を害したからであると述べた。コネチカットの多くの人物も、そのような不満を感じたかもしれない。しかしほかの誰も、ラモント氏が行ったようなことをするお金と元気を持ち合わせていなかったのだ。リーバーマン氏は守勢におかれていることに驚愕し、18年間にわたるベテラン議員が党の支持を再び求めて死にものぐるいの運動をしたのは、ほんの最後の数週間にすぎなかった。
リーバーマン上院議員は、11月には無所属で出馬し、ラモント氏と共和党のアラン・シュレジンジャー氏と戦うと述べている。シュレジンジャー氏は弱小候補である。しかしリーバーマン氏は、共和党がシュレジンジャー氏に対して強力な候補のために辞退するよう説得できたとき、党を分裂する危険を考慮するべきである。
リーバーマン氏の支持者たちは、ラモント氏と彼の支持者を、共和党とともに仕事をしたことで上院議員を罰することを欲し、そして民主党を過激主義への破壊的転換を強いることを望んでいる無謀な過激主義者であると描こうと務めている。安定した習慣の土地と呼ばれることを好むコネチカットを、左派孤立主義者の陣営と想像することは難しい。グリニッジ市の政治で共和党とうまくやったラモント氏を、その類の革命を指導していると想像することは困難である。
リーバーマン氏に対する反乱は、実際のところ、まれな現象である怒れる穏健派による反乱である。彼らは、過去数年にわたり、この国がひどく穏健でない方向に進んでいくようにみえたとき、狼狽した有権者である。大統領の選択で始まった戦争は、世界の多くを合衆国に対立させ、絶望的で血なまぐさい混乱になってしまった。国際協定、議会特権、裁判所の権威に対する政府の軽蔑は、国内外の法の支配を損なってきたのだ。
これらが起きているとき、ワシントンにおける政治の議論は、ブッシュ氏が出す話題のとりことなった。誰でも意見を述べる権利があるという伝統的な信条、あるいはアメリカは、いかにして勝つのかが分からない戦争を始めるべきでないという信念が、極端なものと描かれて結末がつけられたのだ。中道は、大統領がそのような気持ちになったとき、法に従うようにさせるように上院議員が務める場所となったのだ。本当の中道を得ようとする試みは、ラジカルな選択肢となっている。
リーバーマン氏がワシントンポスト紙に「私は変わっていない。私の周囲の出来事が変化したのだ」と述べたとき、彼は実際に彼の政治的問題に関係していたのだ。彼の選挙区の人たちが、ホワイトハウスがこの国を破滅的な国際的危機に導き、そして基本的伝統を破壊し始めていると感じたとき、ジョー・リーバーマンは十分に変身して、抵抗を導くべきであったのだ。
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http://www.nytimes.com/2006/08/09/opinion/09wed1.html
そして8月8日に行われた、今年秋の上院選挙の前哨戦となる民主党候補を決める予備選挙で、無名のラモント候補に敗北した。
8月9日のニューヨークタイムズでは、この現象を「怒れる穏健派の復讐」と呼び、「上院議員ジョセフ・リーバーマンが、ほとんど知られていないコネチカットの実業家の手にかかり敗北したことは、民主・共和両政党の政治家に対して、有権者たちはイラクの戦争に関して怒っていて、不満を持っているというメッセージを送ることになるだろう」と述べている。リーバーマン氏は、民主党上院議員でありながら、ブッシュ政権のイラク戦争政策を一貫して支持支持していたのだ。
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2006年8月9日
ニューヨークタイムズ
怒れる穏健派の復讐
上院議員ジョセフ・リーバーマンが、ほとんど無名のコネチカットの実業家の手にかかり敗北したことは、民主・共和両政党の政治家に対して、有権者たちは、イラク戦争に怒っていて、不満を持っているというメッセージを送ることになるだろう。しかしながら、ひっくり返された予備選挙は、リーバーマン氏が、上院において代表していると述べる、超党派や中道に対する反乱ではない。それどころか、コネチカットの民主党員は、そのような考え方が、ブッシュ政権により堕落させられたことに反応しているのである。
政治的新参者であるネッド・ラモントが、リーバーマン氏に対抗したのは、リーバーマン上院議員のイラク情勢に対する楽観的な説明、そしてブッシュ政権の戦争遂行を批判した民主党員をリーバーマン議員が非難したことに感情を害したからであると述べた。コネチカットの多くの人物も、そのような不満を感じたかもしれない。しかしほかの誰も、ラモント氏が行ったようなことをするお金と元気を持ち合わせていなかったのだ。リーバーマン氏は守勢におかれていることに驚愕し、18年間にわたるベテラン議員が党の支持を再び求めて死にものぐるいの運動をしたのは、ほんの最後の数週間にすぎなかった。
リーバーマン上院議員は、11月には無所属で出馬し、ラモント氏と共和党のアラン・シュレジンジャー氏と戦うと述べている。シュレジンジャー氏は弱小候補である。しかしリーバーマン氏は、共和党がシュレジンジャー氏に対して強力な候補のために辞退するよう説得できたとき、党を分裂する危険を考慮するべきである。
リーバーマン氏の支持者たちは、ラモント氏と彼の支持者を、共和党とともに仕事をしたことで上院議員を罰することを欲し、そして民主党を過激主義への破壊的転換を強いることを望んでいる無謀な過激主義者であると描こうと務めている。安定した習慣の土地と呼ばれることを好むコネチカットを、左派孤立主義者の陣営と想像することは難しい。グリニッジ市の政治で共和党とうまくやったラモント氏を、その類の革命を指導していると想像することは困難である。
リーバーマン氏に対する反乱は、実際のところ、まれな現象である怒れる穏健派による反乱である。彼らは、過去数年にわたり、この国がひどく穏健でない方向に進んでいくようにみえたとき、狼狽した有権者である。大統領の選択で始まった戦争は、世界の多くを合衆国に対立させ、絶望的で血なまぐさい混乱になってしまった。国際協定、議会特権、裁判所の権威に対する政府の軽蔑は、国内外の法の支配を損なってきたのだ。
これらが起きているとき、ワシントンにおける政治の議論は、ブッシュ氏が出す話題のとりことなった。誰でも意見を述べる権利があるという伝統的な信条、あるいはアメリカは、いかにして勝つのかが分からない戦争を始めるべきでないという信念が、極端なものと描かれて結末がつけられたのだ。中道は、大統領がそのような気持ちになったとき、法に従うようにさせるように上院議員が務める場所となったのだ。本当の中道を得ようとする試みは、ラジカルな選択肢となっている。
リーバーマン氏がワシントンポスト紙に「私は変わっていない。私の周囲の出来事が変化したのだ」と述べたとき、彼は実際に彼の政治的問題に関係していたのだ。彼の選挙区の人たちが、ホワイトハウスがこの国を破滅的な国際的危機に導き、そして基本的伝統を破壊し始めていると感じたとき、ジョー・リーバーマンは十分に変身して、抵抗を導くべきであったのだ。
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http://www.nytimes.com/2006/08/09/opinion/09wed1.html