荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『映画よ、さようなら』 フェデリコ・ベイロー

2016-08-05 23:46:15 | 映画
 ウルグアイ映画『映画よ、さようなら』のなんとも捨てがたい味わい。
 『映画よ、さようなら』とはまた、ばかに切ない邦題をつけたものだが、主人公ホルヘが勤務する首都モンテビデオ市内のどうやら私立らしいシネマテーカ(Cinemateca)の日々をスタンダード画面でとらえたうらぶれ感がたまらない。その滞留した黴臭さはまるで、『さすらい』(1975)などの頃のヴィム・ヴェンダース作品のようだ。
 観客数の減少、設備の老朽化、家賃の滞納など、シネマテーカには問題が山積している。マルティネス館長という人は年老いたシネフィルで、もはやいかなる問題解決能力も持ちあわせていないことがすぐに分かる。ホルヘの努力もむなしく、支援財団からも支援を打ち切られ、シネマテーカはあっさり潰れる。彼らがその月のプログラムとして開始していた「現代ウルグアイ映画特集」「1960年代イタリア映画特集」「マノエル・ド・オリヴェイラ生誕100年祭」はどれもおもしろそうだったのに、残念だ。「おいおいモンテビデオ市民よ、君たちがちゃんと通わないとだめじゃないか!」と、いくつもの大切な場所をみすみす喪失してきた東京都民のくせに、映画の中の他人を叱責している自分を発見する。

 シネマテーカを引き払う最後の日、ホルヘは事務所のわずかな私物をボストンバッグにつめて館を去るが、じつは、この作品のポテンシャリティがぐっと上がってくるのは、この後半だ。ボストンバッグ1個をさげたホルヘは、モンテビデオ市内を歩き回る。正直、物語がシネマテーカ内で進行していた前半は、設定が1970年代と言われても疑問を感じないほどのアナクロ感が漂っていたが、外に出て行った後半は、これがあきらかに製作当時の2010年のウルグアイのお話なのだと改めて納得する。
 映画が終わり、愛が始まる。シネマテーカの客でもあった大学教授のパオラへのアプローチに踏み出していくホルヘ。45歳で失業した彼の解放の始まりである。パオラに会いにいく直前、美容室で髪を切ってもらうシーンもいい。
 映画が終わり、愛が始まる。でも、もちろんこの作品は映画の終焉をシニカルに語る作品ではない。シネマテーカだけが人生のすべてだったひとりの男の喪失と解放の両方を描いてはいる。これ以上の詳述は避けよう。敢えて言うなら、こうなる。映画が終わり、愛が始まる。そして映画がまた始まる、と。


新宿K’s cinemaにて8/19まで
http://www.action-inc.co.jp/vida/