荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『白ゆき姫殺人事件』 中村義洋

2014-04-08 01:49:29 | 映画
 つまらないというより、不可解な作品である。
 信州・茅野市にある石鹸会社の美人OL(菜々緒)が殺害され、地味な同僚OL(井上真央)が容疑者としてメディアで報道され、追いつめられていく。この作品のコンセプトは真犯人が誰か(ミステリー)ではなく、無実の罪を着せられた主人公の抗い(サスペンス)でもない。では、何を中心にこの映画は回っているのか?
 ツイッター上で無責任にインフレ化する無数の言葉によって、ヒロインのOLは何度も何度も断罪され続ける。こんなネガティヴな扱いだというのに、米Twitter社は製作協力にクレジットされる契約によく同意したものである。おそらくTwitter社としては、自分たちのテクノロジーの伝播力の強さが伝わればそれでよく、そこで交わされる無数の言語の無責任さ、不毛さは埒外なのであろう。言論のインフラをめぐるスタンスはそれでいいと私も思う。
 Twitter社はいい。無責任な報道をくり返すテレビのワイドショーも、この際どうでもいい。問題はこの映画の当事者たち(原作者の湊かなえも含む)のニヒリスティックな立ち位置であり、現代人の無責任さ、陳腐さを弾劾する批判精神はいいとして、作品の基盤自体がその批判精神を支えるだけの理性も、威厳も、正義も有していないのである。まるで、現代の風俗をリアルに描く場合、その無責任さ、陳腐さに作品の側も染まる必要があるとでも言わんばかりである。ワイドショー番組の雇われディレクター役を演じた綾野剛はいったいどこに、この作品に参加した意義を見出すのだろうか。
 職場で目立たない平凡なOLを、井上真央は女優魂で演じていると思う。女優は、とくに主役を張るようなスター女優は誰だって輝くようなヒロインを、他者を魅了するヒロイン、映画史に名を刻むヒロインを演じたいだろう。決して美貌でないわけでもない井上が、地味で冴えないOLを一心に演じたのだ。ただその精神を、映画それ自体が保証しているだろうか。ラスト近くの、窓と窓の光の点滅による手旗信号のシーンはいいシーンではあるが、あれだけでいいのだろうか。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)など全国松竹系で公開
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