荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

『家族の灯り』 マノエル・ド・オリヴェイラ

2014-04-05 08:03:41 | 映画
 ある貧困家庭の粗末なダイニングルームの1セットだけで、ほぼ全シーンが終始する。時は20世紀初頭。おそらく映画作家自身の地元ポルトとおぼしき港町のT字形に折れ曲がった裏通り、ガス灯に市の職員がひとつひとつ点火していく美しい光景が、舞台となる家のドアと窓から垣間見えるけれども、この家屋の住人が外の世界に踏み出すことは極力避けられ、大航海時代以前の大洋のごとく恐れられている。それでもミニマリズムのスタイル性にまとまらないのは、キャスティングの豪華さによるものか。それとも、とめどなく続く愚痴めいた台詞の途方のなさゆえにだろうか。
 老いた会計士(マイケル・ロンズデール)と老妻(クラウディア・カルディナーレ)のあいだには一人息子がいたが、8年前に蒸発してしまったらしい。残された息子の妻(レオノール・シルヴェイラ)は、さっさとこんなシケた家など放っておいて新しい人生を送ればいいのに、と見る側は勝手に思うが、けなげに舅と姑の面倒を見ている。老妻は「あの子を私から遠ざけたのは、あなたたち二人だ」などと言って、夫と嫁をののしる。まるで成瀬巳喜男の『山の音』のようだ。『山の音』にも似たようなシーンがある。父(山村聰)と息子の妻(原節子)の仲が睦まじすぎて、息子(上原謙)がよそに女をこしらえている原因を作ったのは、あなた方のほうだ、などと姑(長岡輝子)が夫をある嵐の晩に執拗になじるのである。
 この『家族の灯り』の主旋律となっているのは、息子の不在、貧困への隷属といった悲哀に満ちた事柄だけれども、その深層心理には、「母&一人息子」「舅&息子の妻」というスワッピング的カップルが、悪魔のように成立しているのである。これは直視しづらい画面上のスキャンダルで、オリヴェイラという映画作家の意地悪さが露呈している。先に寝室に下がる老妻は、おそらく毎晩ドアに耳をぴったりとくっつけて、夫と嫁の会話に──息子の不在を嘆いてばかりいる彼女をなにやら思いやっているような内容を装いつつ、秘密がどんどん塗り重ねられていく──聞き耳を立てているにちがいない。そんな晩があまりにも続くので、こうした貧しい現実でさえもシュールな幻想性を纏いはじめてしまったのではないだろうか。


岩波ホール(東京・神田神保町)ほか全国順次上映
ahttp://www.alcine-terran.com/kazoku/